揺らめく陽炎とその感嘆
くらげ
踏世
始まりの鐘の音は、今
「あれが“鳥”で、これが“剣”」
──ああ、どこに行ったのだろう?
「火属性は、水属性と相性が悪い。固有魔法でなんとかなればいいけど、エマにはまだ難しいだろうから迷わず逃げること。」
───晴れた空に響くような澄んだ声。
もし叶うのならば、もう一度、あの子に会いたい。
揺らめく陽炎とその感嘆、開章。
───────────……
たった6畳の部屋の半分を占めるベッドに腰を下ろす。狭くて埃っぽい部屋。
小さな小窓から木漏れ日が当たるだけで、それ以上は何も無い。
それでもわたしはこの小さな子窓が好きだった。
「…もう朝なんだ…」
誰に聞かせる訳でもなく呟いた。そこに意味などあるはずもなく、隣に誰かいてくれないだろうか…と叶うはずのない希望を抱く。
そんなことがあるはずもない。
ただの不要な捨て子には、そんな幸せなんて何も無いのだから。
社会の粗大ごみ。それが、わたし。
もし神さまが命と引き換えにもう一度あの子に会わせてやる、と言ったらどんなものでも投げ出せるだろう。
生まれてからあの子以外と深いほぼ関わりがなく、たった一人孤独で暮らしてきたのだ。
あの翡翠の澄んだ瞳の中にもう一度映りたい。
世界を、全てを教えてもらいたい。
身勝手な欲望に取り憑かれながら今日もまた魔物を狩りに行く。
それはただの仕事に過ぎなくて楽しさなんてなにもない。日銭を稼ぐための作業でしかないのだ。
ああ、なんてつまらない人生なのだろうか?
─────────……
「では、モノルフの奥にある森の魔物討伐をお願いします。報酬は10セチアです」
「はい。日暮れまでには」
モノルフ街の奥はとんだ荒地で厄介な魔物も多い。まして森なんて、命知らずにも程がある。10セチアなんて安すぎる。
そんな不満は呑み込んで、ところどころ欠け古びた杖を握る。
杖は安物ながら見栄えはよく、水晶が埋め込まれている。光の角度によってきらきらと輝くそれを見つめてふと“あの子”を思い出す。
朧げな記憶だが、あの瞳と言葉は鮮明に覚えている。
懐かしむ思いで、胸元で輝く翡翠のペンダントを握る。
それが果たして何を意味するのか分からなかったが、ひどく安心する。
まるで実家がすぐそこにあるような──
じっ、か?
わたしは捨て子だというのに、実家なんてあるはずがないのに?
なぜ実家の“温かみ”というものが分かったのだろうか。
気持ちの悪い感覚に襲われて無意識に杖を強く握る。耐えかねた杖はみしっと悲鳴をあげた。
心做しかはめ込まれた水晶が濁った気がして、慌てて掴む手を緩めた。
不意に、背後から低い唸り声が聞こえた。
明らかに人間では無い何かの、唸り声。
想像より遥かに大きい、竜。
きっと、これが討伐依頼の来た魔物なのだろう。
しかも水竜だ。
わたしととにかく相性が悪い。
大きな翼からは水が滴り落ち、目は「お前を殺してやる」とでも言わないばかりの殺気が滲み出ていた。
『迷わず逃げろ』
あの子が、そう言った。
逃げなくちゃ。逃げなくちゃくけないのに、身体はピクリとも動かない。
腰が抜けて立ち上がれない。
杖を持つ手が震える。
呼吸が浅い。
死ぬの?
わたし、死ぬの?
水竜の水気を帯びた吐息がかかる。
高水圧で殺されるのか。
(なにもない人生だったな)
(最期に“あの子”に会いたかったな)
死は迫り、逃げられない。
なんて醜い死にざまだろう。
さようなら、翡翠の瞳の男の子。
さようなら、つまらない人生───
(あ…れ?)
いつまで経っても、攻撃が来るどころか水竜はピタリと固まって動かない。
「こおって、る?」
わたしは火属性だから、氷なんて何をしても絶対出せないはず。
そもそも、水属性である水竜を凍らせるなんて、並の魔法使いには無理なはずなのだ。
どうして?
突然水竜の背後から人影が現れる。
しっかりと身構えるが、杖を握る手が震える。しか、想像とは反するような声が聞こえた。
「大丈夫かな?討伐したから大丈夫だよ」
「おまえ、何ぼーっと座り込んでんの?礼くらいしろよ」
「…へ?」
「うるさいソルン。ごめんね。怪我、ない?」
黒髪に赤メッシュの不親切な(嫌い)男の子と、水色の髪をして、ハーフアップの…エルフ耳の女の子。
杖を手にしているのは女の子で、男の子は何も手にしていない。
おそらく水竜を凍らせたのは、ソルンと呼ばれた男の子ではなく、エルフ耳の女の子。
にこやかに微笑まれ、自然と気が抜けた。あまりに整った顔立ちで、しばらく眺めしまった。
いけないいけない、お礼しなくちゃ。
ソルン、というヤツに礼をするのは癪だけど、お礼はきちんとしなくちゃいけない。
「ありがとう、ございました。えっと…」
「あ、私はアリアでこっちはソルン。ソルンは無視でいいからね」
「うるせぇな」
「え、エマ・ソワンスです…」
仲良さげな二人の空気に押される。
貴方のような人が入れる場所じゃないと、静かな圧力をかけられているように。
この中には入れない。
身体は反射的に拒絶した。
「すみません…わたしが受け取るはずだった報酬はお渡ししますので」
「ええ、いいよいいよ!私たち学生だけどそこまでお金に困ってないし」
「でも…」
「いいって…。というか!これも何かの縁だし、良ければ街で何か奢らせてよ?」
「ま、まち?」
助けて貰って報酬もない上に、奢るだなんて。何かの罠だろうかと身構える。
そうだ、この人たちは水竜を凍らせることの出来るほど実力がある。これもなにか罠なのかもしれない。
そんな警戒に気がついたのか、彼女は優しく笑いかけた。
「親睦も兼ねて、ね!何も危害とか加えるつもりないからさ」
とても罠をかけるような人には見えなくて、大人しく奢られることにした。
奢られるときは静かに奢られるのが善だからだ。
経験がそう、言っている。
──────────────…
きらきらと輝く、『ステンドガラス』というものがはめ込まれた窓を眺める。色とりどりのそれはまるで宝石のようで綺麗だなと思った。
「ご注文のストロベリーパフェとコーヒーそれからフレンチトーストです」
「ありがとう。フレンチトーストはこの子に」
フレンチトースト、と呼ばれるものは僅かな湯気をたて目の前へと運ばれた。
フォークでつつくとじゅわりとバターがとろけだし、その上にのせられた白くて丸いなにかが、とけだした。
どうしたらいいのか分からなくて、フォークを片手にしどろもどろになった。
そんなわたしを見かねて声をかける。
「それ、アイスクリームだから早く食べた方がいいよ。溶けちゃう。勝手に注文してごめんね」
「い、いえ!ぜんぜん!いただきます」
アイスクリー厶が何なのか分からなかったが溶けてしまうことは分かったのですぐに手をつける。
ふわふわのパンは口の中でとろけて、じゅわりと甘みと塩味がとろけだす。
パンの種類でこんなにも変わるものなのか。普段食べていた硬いロールパンとは全然違う。
「おい、しい」
なにか、懐かしい。昔、はるか昔に感じた───?
目から何かが溢れ出た。無色透明のなにかは、頬を伝い落ちてゆく。
それが何を意味するのかは分からなかったが、忘れた記憶を甦らせるように零れ伝う。
「えっええ?!エマちゃん泣かないで?!あ、フレンチトースト苦手!?ごめんね今…」
「いえ、違うんです…これは、そのなんというか…」
言葉にしようとも出来ないもどかしさ。
この涙は何を意味したのだろうか?
「え、うわぁエマ泣かせてんじゃん。ありえねー」
「ほんと、うるさい。ソルンがこれ全部奢ってね」
また、迷惑をかけた。
このままじゃダメなのに変われない。
わたしは…無知で無力な、ただの捨て子───
──────────────…
「美味しかったねぇ」
「くっそ高すぎる…あのパフェがクソ高い。アリアのせいかよ」
「あ、はは…」
わたしから出たのはただの乾いた笑い。
いつになったら帰してもらえるのだろう、という思いが滲み出ているのだろう。
優しい空気感の生ぬるさが相まって、居心地が悪い。
「あ、ごめんね長居させちゃって。あともう少しだけ!エマちゃんとお買い物したいんだ」
「あーじゃあ俺てきとうに時間潰してていい?」
「だめ。荷物持ち係」
「は?」
腕を引き、大型の魔道屋へと進んでいく。
このお店にもステンドガラス。
この街は本当にステンドガラスが好きなんだな、と無駄なことを考える。
「エマちゃん服ボロボロだし新しいの買おうよ」
「え、あ…」
わたし、お金が無い。
なんて素直に言えなかった。
今まで楽しく話していた少女がお金もない捨て子だと思われるのが怖かった。
結局は他人にどう思われるかが怖かっただけなんだ。
ひととしてもちっぽけなんだな、わたし。
でも、これ以上嘘はついてられない。騙すような真似、わたしにはできない───
「ごめんなさい…わたし、お金ないんです。日々暮らすのも精一杯で」
どうして白状したのかも分からないが、この人たちも一緒に冒険したい、と思ったのかも知れない。
まだ自分の人生に何かを求めているのかもしれない。
そう思った以上、自分に素直になりたかった。
彼女は少し驚いた顔をしてにこやかに微笑んだ。
「そっか。ごめんね、それで──…いや、じゃあ私がお金を出そう。だから付き合ってくれる?」
「…うん。ごめんなさい」
どうしてそこまでしてもわたしと一緒に居たがるのか分からない。
でもそれ以上に喜びが勝ってなにも考えられなくなった。
自分を必要とされることが、これほどまでに嬉しいなんて。
この人は色眼鏡なんてなくて、誰に対しても思いやりを持って平等で。
…それに比べて、私は──
「ねぇねぇエマちゃん!これなんかどう?」
勧めてきたのは黒の「プリーツスカート」というものと白い「シャツ」と呼ばれるもの。
どちらも街ゆく人とすれ違う程度でしか見たことがなく、変わった姿形をしていた。
「試着してみなよ。ほら」
小さな個室へと背中を押され、渡された服を着る。
(ひらひらするし、すごく質がいい)
(着心地がいいってこのことなんだな…)
「でーてきて!エマちゃーん」
「…これ、似合ってますか?」
「わぁかわいーい!!うんうん、とっても似合ってる!このままセットで買っちゃおっか!」
手を合わせて喜ぶ彼女を横目に、ソルンのほうにも聞いてみることにした。どうせならと意見を求めたのだ。果たして気の迷いか、予想と反する反応を得た。
「似合ってますか…?」
「お、おう…悪くはないんじゃね?」
「素直に褒めなさい」
即座に怒られてはいるが、彼なりにも褒めてくれたのだろう。
普通の人と楽しく会話をしたのなんて初めてかもしれない。
なんて温かい、居場所。
もし、もし願いが叶うのであれば。
叶わない願いは胸の内に秘めるだけでいい。
「ずっと、ここにいたいな…」
はっと気がつき口を塞ぐ。
それをただの願望であり続けるために。
そのために一人で生きてきたというのに。
きっと二人にも聞こえてしまった。言ってしまったことは二度と消えない。
断られるのを待つというのはこれほどまでに息苦しいものなのか、と場違いに体感した。
しかし、降ってきた言葉は予想と全く反するものだった。
「じゃあ、居る?」
ただ「おはよう」と伝えるかのように。
当たり前の言葉のようにそう返す。
ただただ伝えた、それだけの顔をしていてそれ以上でも以下でもない。
じわじわと、白い闇に心は蝕まれる。
「…とに?」
「え?」
「ほん、とに?」
なんど聞き返しても、それは現実だとは思えなくて。溢れた希望を彼女にぶつける。
そこで「冗談」と返されてしまえばおしまいなのに、それでも心はそれ以上の言葉を求めてしまうのは軽率だろうか。
孤独な日々に終止符を打ちたい。
独りじゃないと、解からせて欲しい。
わたしの欲望に、彼女は────
「ほんとだよ。一緒に、冒険しない?」
決して否定をしなかった─────
「…うん…!」
わたしの冒険が始まる鐘の音が今、鳴り響く────
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