第24話

   

 この試合は時間の都合も考慮して事前に七回までと決められていた。野球経験が乏しいと申告していた大輔は下位の8番打者であった事もあって第三打席を迎える直前で試合終了となった。大輔の心情としては「試合終了になってくれた」といった感じだった。あのまま試合が続いていたらきっと第三打席でもホームランを打たされていた事だろう。2回までなら「偶然」で押し通せても3回連続ともなると必然性を疑われてしまう。自称「野球のド素人」が三打席連続で初球ホームランを放つなど、誰に何を言われて、何を思われる事になるのか……想像するだけで恐ろしい。


 試合の結果は11-4で大輔たちのチームの大敗だったが、長崎知世のお陰というか知世のせいで真田大輔個人は大活躍をしてしまった。した事になってしまった。


「真田君、あんなのよく打てるねえ。おれなんてホームランどころか」


「あれか。親が元プロ野球選手で小さい頃から謎の練習をさせられてた系か」


「伝説の始まりを目撃したぜ」


 途中、代打で出場するもノーヒットに終わってしまった宮下ワタルをはじめとしたチームメイトたちに大輔は囲まれる。何と答えたら良いのやら困っているうちに対戦相手の野球部もその囲いの中に加わってきた。


「おい。真田、お前マジで野球部入らねえか?」


「今から入ったら三年にはうざがられそうだけどな。一年間だけ我慢しろよ」


「来年一緒にコーシエン目指そうぜ? ははは」


 野球部の面々からの勧誘を「いや……」と固辞して大輔はその場から逃げるように離れた。長崎知世と話がしたいと見学者たちが居た辺りに向かう。


「長崎」


 と声を掛けた彼女の隣には川村久美子の姿があった。


 川村久美子は大輔や知世のクラスメートで教室の席は大輔の隣だった。


 彼女は大輔の事をじっと見据えていた――気がする。大輔が彼女の事を見て、目と目が合ったと思った直後に川村久美子はすっと後ろを向いてそのまま何処かに歩いて行ってしまった。振り返りも立ち止まりもしなかった。


「真田君。すごかったねー」


「ホームランとか初めて見た」


「さすが真田君だねー」


 野球部の面々から逃げた先で今度は見学者たちに囲まれてしまった大輔は「いや」とか「あー」とか「ん」とか適当に返しながら、


「長崎。帰るぞ」


 と知世に耳打ちをして一緒にその場を離れた。帰路につく。


 二人並んで駅までの道を歩きながら大輔はつい、


「さっきの川村だったよな? ウチのクラスの」


 と知世に尋ねた。


「さっきの? 私の隣に居た? ええ。そうだったけど。それがどうかしたの?」


「ん。何か俺に言いたげというか。用があったように見えたが。気のせいか」


「言いたいことっていうか聞きたいことはあったんじゃない? 私も聞かれたから」


「何の話だ?」と口を動かしている最中に大輔ははっとなった。


「まさか川村も――」


「『長崎さんは真田君と付き合ってるの?』ですって」


「……ああ。そういう話か……」


 拍子抜けだ。大輔は肩を落とす。一方で何処かほっとしている自分も居た。


 もしや川村久美子も自分と同じ、もしくは知世と同じチカラや能力を持っているのではないかと思ったのだ。どうやらそうではなかったらしいが。


 ……何だろうか。自分で自分の感情が分からない。


「なんて答えたか聞かないの?」


「聞くまでもないだろう」


「まあ、そうよね」


 知世が微笑んだ。


「そんな事よりも」と大輔は知世の事を強く見る。


「ええ。二回連続のホームラン、おめでとう。おつかれさまでした。守る方でも大活躍だったわね」


「そうじゃない」


「そうじゃないの?」


「そうじゃなくないがそうじゃない」


 大輔の言葉に知世が「ふふ」と笑った。大輔は眉間にシワを寄せる。


「その能力は気軽に使うなと言っただろう。緊急時でも無いのに世界を巻き戻すな」


「私にとっては緊急だったのよ」


「俺がホームランを打てなかった事の何処が緊急なんだ」


「緊急よ。重大で即座に対応しなければならないことだったの」


 知世は柔和な顔付きでしかし一歩も引かなかった。


「……長崎は何がしたかったんだ。俺に何をさせたいんだ」


 呆れたみたいに諦めたみたいに大輔は呟いた。


 夕方の駅の中。まばらながらもホームには幾らかの利用者たちが居た。


 まだ電車の入ってきていない線路に体の正面を向けて、大輔と知世の二人は並んで立っていた。


 知世は大輔のすぐ隣でそっとささやいた。


「自分のことを『凡人だ』なんて言っちゃう真田君に『特別』な活躍をしてもらおうと思って」


 知世は言った。


「真田君は全然、凡人じゃないわよ」


 大輔は「ふっ」と笑ってしまった。


「あれは長崎にズルをさせたから『特別』な結果になっただけで。俺自体は凡人だ。出来るまで何度でもやり直しさせられ続ければ誰だって、どんな凡人だっていずれは出来る。……俺じゃない。あれは長崎が作った『特別』だ」


「ええ」と知世はすぐに頷いた。


「そのとおりね。私が真田君を『特別』にしたの。凡人なんかじゃない『特別な真田君』を私が作った。わかるでしょう? 真田君は私と居れば、私と一緒に居るときの真田君は、私と同じ『特別』なのよ」


 知世は何が言いたいのだろうか。何を言いたかったのだろうか。


「……長崎」


 大輔は何かを言おうとして口を開いたがそれ以上の言葉は出なかった。


 数秒後、二人の目の前の線路に電車が入ってきた。


 ――ドン。


「え――」という呟きは大輔のものだったのか知世のものだったのか。


 不意に背中を強く押された大輔はホームの端から線路に落ちた。落とされた。


「痛……」


 粒の大きな砂利に手を突いて、枕木に膝を打ち付け、金属製のレールを脛で叩いた。衝撃が体中を駆け巡る。大輔はその場にべたんと伏してしまった。


 体に力が入らない。だがこのまま此処で寝入るわけにもいかない。


「く……、ぐッ……」


 どうにか四つん這いとなった大輔は近付いてくる大きな気配に気が付いてそちらに顔を向けた。見慣れない電車の下半分――無骨な黒鉄が迫り来ていた。早く。早く。逃げないと――。


 停車駅に入ってきた電車だ。線路に落ちた大輔の姿に気が付いて「キキーッ!」とブレーキも踏まれている。それでも此処から100メートル以上先で停まる予定だった電車はそう簡単には止まらなかった。


「あ……――ぐひゅッ」


 と大輔は悲鳴にならない息を漏らした――真田大輔の意識は此処で途切れる。


  ・


  ・


  ・


 鉄の車輪がゆっくりと大輔の体を轢き潰し裂いた。


「キャーッ!!!!!」


 駅のホームに悲鳴が響き渡る。「窓の外、逆さまになった宮下君の顔」どころではない。知世の本当に目の前で――。


「真田君! 真田君ッ!」


 半狂乱になって叫ぶ知世の腕を誰かが強く掴んでいた。


 知世がその場にへたり込まないように支えていたのか、それとも逃さないようにと捕まえていたのか。その正体は、


「……川村さん? どうして……」


 川村久美子だった。大輔や知世のクラスメートだ。大輔とは教室の席が隣同士だ。



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