第9話

   

「……しょッと」


 大輔は力を込めて宮下ワタルを引っ張った。窓の外に出ていた彼の上半身がずるりとこちら側に戻ってきた。


 死の淵から文字通り引き戻された宮下ワタルは大輔の顔を振り向き見て呟いた。


「……何を」


「こっちの台詞よ!」


 顔と言葉を向けられた大輔ではなく、その隣から知世が口を挟んだ。


「『何を』しているの!」


「…………」


 宮下ワタルは目を逸らすように俯いてしまい、言葉では何も答えなかった。


「宮下。お前が『本気』だって事は分かったから。もう止めろ」


 大輔は「前」に宮下ワタルが呟いていた「シヌユーキも無いくせに」という言葉を忘れていなかった。


 俯いたままの宮下ワタルが大輔の言葉に頷いてくれたのかどうかは分からない。


 項垂れて小さくなった宮下ワタルを大輔と知世が挟んで歩く。さながら「宇宙人の捕獲」といった様相のまま三人は校舎から出た。


「宮下君て電車通学? バス通学? それともこの辺りが地元?」


「……電車」


「宮下の家は駅のどっちだ? 上りか下りか」


「……下り」


 かろうじて受け答えには応じてくれるが、


「ねえ。どっかコーヒー屋とかハンバーガー屋とか寄って美味しいモノ食べてく?」


「…………」


「あー……悪くないと思うぞ。人間、腹が減っているとネガティブな思考に陥りがちだって言うからな。逆に美味い物を食べれば幸せを感じるはずだ」


「…………」


 会話には参加してくれない。


「二人はあのドラマって観てる? ネットでみんなが考察してるやつ」


「…………」


「ああ。まだ始まったばかりなのに人気だな。自分の予想が当たっているか、外れているか、最終回まで観て確認しないといけないな」


「…………」


 結局、三人は何処に寄り道するでもなく駅に到着してしまった。


「……ここまででいい」


 ふと宮下ワタルが口を開いた。


「…………」と少しだけ間を置いてから知世が、


「逃げるつもり?」


 と冗談を言った。


 横で聞いていた大輔の方がどきりとしてしまう。悪い冗談だ。知世に対して「あんな冗談」を言ってしまっていた大輔が言えた義理ではないかもしれないが。


 宮下ワタルは「ふッ」と力無く笑った。


「……このまま線路に飛び込むとか。しないよ。……君たちに迷惑はかけない」


「そうか。だからって家に帰ってから一人で……なんてのも無しだぞ」


 大輔が念を押す。


「……少なくとも今日は。もう死のうとしたりしないよ」


 宮下ワタルが頬を持ち上げた。顔の下半分だけが笑顔で上半分は無表情だった。


「本当だな。言質を取ったぞ?」


 もう一度、大輔は念を押した。


「……ああ」と頷いた彼の言葉を大輔は、知世も、鵜呑みにしてしまった。


 次の日の朝、登校してきた大輔は普通校舎のすぐ近くの地面に張り付いている彼の姿を見た。遠くから人だかりを目にして「まさか」と駆け寄ったが、嫌な予感は的中してしまっていた。


 また三階の窓から飛び降りたのだろう。今度は止める人間など居なかったわけだ。


「彼」から漏れ出る赤い液体が地面に染み込んでいく。


 地面の染みはまだ乾いていないどころかその元が流れ切ってもいなかった。


 ついさっきまで彼は生きていたのだと感じられた。


 宮下ワタルは昨日、


「……少なくとも今日は」


 と言っていた。


 それは「先の事は分からないが」という意味の慣用句ではなくて本当に「今日は」という意味だったのだ。言葉の通りだ。それ以上でも以下でもなかった。


「助けられた手前、その義理で昨日一日だけは死ぬのを我慢してくれたって事か」


 大輔は「ふざけるな」と奥歯を噛み締める。


 不思議なものだ。宮下ワタルとは友達でもなんでもないのに。彼の死は大輔の胸を締め付ける。


 長崎知世が世界を巻き戻してくれるという卑怯な前提があるものの――目の前で起きたクラスメートの自殺、そして自分と知世ならば彼を助けられるという事実によって「宮下ワタルの自殺を阻止する事」がまるで大輔の義務であるかのように重くのしかかっていた。


 真田大輔はつい昨日まで「一度でも過ぎた『未来』は変えるべきではない。変えてはいけない」と心に決めていたはずなのに。長崎知世と知り合った今ならば恐らく何度でもやり直す事が出来る為、望まぬ未来を迎えてもその責任を一人で永遠に背負い続けなければいけないという重圧が無くなったからか。それとも。自身にとっての最良を求めて何度でも全力で「今」を駆け抜ける、ワガママで自分勝手な彼女の活き活きとしている姿を見てしまったせいだろうか。


 大輔の心は揺れていた。凍っていたはずの心臓が鼓動している。


「……見殺し程、夢見の悪いものはない」


 大輔は独り言ちて、頷いた。


「宮下は昨日、『君たちに迷惑はかけない』とも言っていた。……だが迷惑をかけられた。そうだ。迷惑だ。宮下に死なれる事は。お前が自分で『迷惑はかけない』って言ったんだからな。責任を持って生き続けろ――!」


 その後、少しだけ遅れて登校してきた長崎知世が宮下ワタルの自殺を知って、


「なんなのよッ!」


 と世界を巻き戻してくれた。


 宮下ワタルの自殺うんぬん以前に知世とは話しておきたい事、聞きたい事がまだまだ沢山あったのだが昨日は大輔も知世も精神的にすっかりと疲れてしまっていて話はまた後日に改めてとなっていた。


 なので大輔はその詳細をまだ何も知らなかったが知世の巻き戻しはやはり日にちをまたぐ事が出来るらしい。


「今」はまた前日の五時間目に戻っていた。英語の授業中だ。


 大輔や知世にとってもこれは何度目の授業になるのだろう。


 五時間目終了後の休み時間、大輔は知世とアイコンタクトを取って席を離れた。


 教室を出て廊下の隅で首尾よく知世と合流を果たす。


「作戦会議ね」


 鼻息の荒い知世がぐいっと顔を寄せてきた。


「ああ。それも一つだけじゃなくて幾つも考えよう。考えついたものは全部、試してやろう。もう意地だ。何十回、何百回、やり直してでも必ず宮下の自殺を阻止する。宮下との根比べだ。――出来るか?」


「当然ね」と知世は唇を横に引いた。自信満々の顔だった。


「それじゃあ。まずは前回までのおさらいだな」


「ええ。最初は私が『やめなさい』と伝えた。けどやめなかった」


「次に俺が『止めておけ』と言ったら口論のようになって結果、宮下は」


「あれは真田君のせいではないけどね。別に」


「ああ。ありがとう。だが結果として宮下は俺たちが何もしないよりも早く死んだ」


「……その次は飛び降りようとした瞬間の宮下君を物理的に止めた」


「これで阻止する事が出来たと思ったが次の日にまた多分、校舎から落ちて死んだ」


「逆に言うと次の日までは生きていたのよね。物理的に止めればその日は死なないでくれるって事かしら。でもだからって毎日毎時間、宮下君を付け回して死のうとするたびに止めに入るっていうのは」


「現実的じゃないな。俺も長崎も宮下の為だけに生きているわけじゃない」


「うーん……」と知世は強く唸った。


 大輔は話を進める。


「以上の三例から分かる事は」


「え? わかることなんてあるの?」


「宮下は、その場の勢いや一時の気の迷いで自殺するわけじゃないって事だ。決意が固い」


「……それってつまり私たちに宮下君の自殺を止めることはできないってこと?」



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