第7話

   

「え? 真田君てメッセージアプリ、入れてないの?」


「いや。メッセージアプリだと『招待』とか『追加』とかの手間が掛かるだろう。下手をしたら世界を巻き戻すたびに登録をし直さないといけなくなるわけだし」


 電話番号を覚えておけば、相手の「許可」など待たずに連絡を取る事が出来る。


「ああ。もしかしてスマホの連絡先に入れていない番号からの着信は拒否する設定にしてたりするか?」


「それはしてないけど……。それってつまり11桁の数字をメモしたりもしないで素の頭で記憶しておかないといけないってことよね?」


「紙に書いてもスマホで打ってもそれ以前まで巻き戻したら全部消えるからな」


「んー……」と知世が渋い顔を見せる。


「無理じゃない? うまい具合に語呂合わせとかになってれば覚えられるかもしれないけど。だって11桁だよ? 一、十、百、千、万……て数えると100億円から999億円くらいの資産を一円玉の数まで正確に記憶するとかになるよ?」


「それは難しく考え過ぎだろう」と大輔は笑ってしまった。


「頭の070とか080を省けば実質は8桁だ。それを4桁と4桁に分ければ歴史の年表を月日まで覚えるのと同じだろう。言うぞ。覚えろ。俺の番号は――」


 と大輔は自分のスマホの電話番号をすらすらと唱えた。


「無理無理無理……私なんて自分の番号も覚えてないわよ。何が『同じだろう』よ。歴史の年表を月日まで覚えることを『簡単』としてんじゃないわよ」


 知世は「はぁ~あ」と此れ見よがしな溜め息を吐いた。


「真田君て頭良いんだったっけ。知らなかったというか興味が無かったというか」


「同じ試験を合格して同じ高校に通っているんだからそこまで頭の差は無いだろう」


「はいはい。天才には凡人の苦悩が理解できないって話よねえ。出来てる人間が言う『やれば出来る』ほど残酷な言葉は無いわよ。いい? 同じ高さのハードルでもね、死ぬ気で飛んでどうにかこうにか越えられたヒトもいれば、軽くまたいで越えちゃうヒトもいるの」


 冗談めかしているつもりなのか知世は大袈裟な表情で辛辣な事を言ってくれる。


「……『天才』に対抗する為であろうとも『ズル』は許されないけどな」


 大輔も張り合って嫌味ったらしく笑ってやった。


「……『ズル』じゃないし」と知世が唇を尖らせる。


「その都度、その都度、全力で頑張ってるもん」


 以前からクラスメート同士ではあったものの真田大輔と長崎知世がまともに会話をするようになってからはまだ数時間分も経っていなかったが、


「『普通』はそんな『都度』なんてないんだぞ。『人生は一度きり』だ」


「一度きりの人生なのに手を抜いて過ごしてるヒトだって少なくない中、私は何度でも何度でも全力で頑張ってるんだから」


「あー……耳が痛いな」


「悪いところよりも良いところを見付けて評価しなさいよ」


「長崎がポリアンナみたいな事を言い出したぞ」


「は? ぽりあんな? どこの街よ。島だったかしら」


「通じるとは思っていなかったが……せめて『誰?』と言ってくれ」


 他の誰にも打ち明けていなかった秘密を共有しているからか、クラスメートの自殺を未然に防ぐなどという漫画やドラマみたいなミッションを共にクリアしようとしているからか、いつの間にか二人の間には遠慮やおためごかしの類いが全く無くなっていた。


 口にする言葉の全てが本音というわけではないものの、相手に気を遣って言いたい言葉を言わずに呑み込むような事はなかった。


 大輔と知世の二人は共犯者や戦友同士のような関係性となっていた。


 事情を知らない当事者以外の人間からすれば本当に「いつの間に?」だ。


 多くのクラスメートたちが大輔と知世のじゃれ合いを横目で見ていた。耳をそばだてていた。大輔はその事に気が付いていながらも全く気にしていなかった。一方で、いつもとは違う気分になっていた知世はクラスメートたちの視線にも何にも全く気が付いていなかった。彼女は気を抜いてしまっていたようだ。


「……それに『ズルだ』『ズルだ』って言うけど私だって文字通りイノチを削ってるわけだし」


 知世は静かに呟いた。彼女はまだ先に大輔が言い放った「悪質な冗談」が「嘘」である事に気が付いていないようだった。


「ああ。その事だけど」と大輔が訂正しようとしたところで、


「あっと。先生が来ちゃったわね」


 六時間目が始まる時刻になってしまった。


 休み時間は終了だ。


 大輔は「後でちゃんと言っておかないとな」と心に留めながら、次の授業の準備を始める。


「はい。席について。時間ですよ。授業を開始します」


 と教卓の奥に立った数学教師も、大輔も、知世も、今のこの教室内に宮下ワタルの姿が無い事に気が付いていなかった。


 気が付いていたのは精々、宮下ワタルと席が近い3~4人くらいだっただろう。


 だがその3~4人も「居ないな」と気が付きはしても「何処に行ったんだ?」とか「どうしたんだ?」とは思わなかった。考えなかった。気にしていなかった。


 誰も宮下ワタルと関わりたいとは思っていなかった。「先生、宮下君が居ません」とは口にしない。彼ら彼女らは、そんな事には気が付いていないという振りを続けていた。


 六時間目の授業が始まって15分も過ぎた頃――ドシャッ! という聞き覚えのあるような音が遠くで鳴ったような気がした。


「……え?」と知世が呟いた。ガガガッと椅子を鳴らしながら大輔は立ち上がる。


「どうした真田。トイレか?」と振り返った教師が大輔に問うた。


 この数学教師は普段から大変にのんきで今の言葉も「注意」ではなかった。


「……先生。宮下が居ません」


 大輔は本日の教室の中にはあるはずのない空席を見付けてしまっていた。


「ん? 宮下? ……ああ。空いてる席は宮下ワタルだったか。そうかそうか」


「宮下はいつから居ませんでしたか……?」


「いつからって……宮下ワタルは休みじゃないのか。そこの席は授業の最初から誰も座ってなかったぞ。先生、誰の席だったかなと考えたからな」


 数学教師が言い終えるよりも早く、大輔は教室を飛び出した。


 廊下の窓から下を見る。


「……くッ」


 そこには宮下ワタルだったモノが落ちていた。


 転がっているというよりも地面に張り付いているみたいに見えた。


「こら。真田。何してるんだ。ほら。教室に戻れ」


 廊下に出てきた数学教師が窓際で立ち尽くしていた大輔の事をようやく注意した。


「……それともやっぱりトイレなのか? 我慢の限界で走り出したら逆にそのせいで決壊しそうになって立ち止まってるとか。生理現象だからな。休み時間の内に済ませておけと言いたいところだが急に催す事もあるだろう。別に行くなとは言わんから。何も言わずに出ていくな」


 大輔に声は掛けるも大輔が注目していた窓の下までは見ようとしなかった教師に、大輔はわざわざ「宮下が」と伝えるような事はしなかった。


 今は何も喋る気にはならず無言のまま大輔は教室内に戻った。


「なんだ? どしたん?」


「今日の真田君、ちょっと……」


 などと教室内はざわついていた。


 そんな中でただ一人、知世だけは「…………」と不安げな顔を大輔に向けていた。


 知世と目が合った大輔は口を結んだまま、そっと首を横に振った。


 ――世界が巻き戻る。


「……ンなんで自殺するのよ!?」


 知世が小声で叫んだ。


「こうなったらもう宮下君が踏み止まるまで何度でもリセットしてあげるわよ。私の寿命が何なんだってのよ。宮下君が自殺する事を諦めるのが先か、私のイノチが尽きるのが先か、勝負よ!」


「今」は五時間目終了後の休み時間だった。大輔は自分の席についていて、知世は宮下ワタルに「やめなさい」と伝えた後だった。


「長崎。落ち着け。その意気込みは凄いと思うが。自分の命まで懸けて相手を助けようとするな。カルネアデスの板を相手に譲ろうだなんて考え方は止めた方が良い」


「かる……何? また意味わかんないんだけど。そんな事よりも私は」


 感情の収まらない知世に大輔は、


「ただの冗談だ。長崎。あの話は嘘だ」


 ようやく言ってやる事が出来た。



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