第5話
主導権は知世にあった。大輔はあくまでもその巻き添えを食っているだけだった。
肉体的や経済的なダメージは与えられていない事も大きかったかもしれない。
正直、大輔にとって世界を巻き戻される事は大きな大きな負担だ。
深く考える前に「もう止めてくれ」と口から出ていたくらい、大変な日々だった。
だが「もう止めてくれ」と言って「イヤよ」と返されたならそれ以上は何を言って良いのか分からない。
「……まあ」と知世が口を開いた。黙りこくっていた大輔に気を遣ってくれたのかもしれない。
「急に世界がリセットされて、自分だけが以前の――『未来』のことを覚えていたら混乱はするわよね」
「……ああ。最初は自分の頭がおかしくなったと思った」
「でも今日で原因がわかったんだからさ。もう大丈夫だったりしない? これからは急にリセットされても『あ、また長崎がやったな』くらいに」
「思えないな」
過去、実際に大輔の心に掛かった負担は「混乱する」とか「自身の正気を疑う」程度のものではなかった。
「長崎の巻き添えを食ったせいで俺がどれだけ苦労してきたか」
「な、なによ。大袈裟ね」
「終わらせたはずの宿題が白紙に戻ってたり、したはずの遊ぶ約束がしてなくなって公園で一人待ちぼうけを食らわされたり、とっておきの秘密を打ち明けられても前に聞いた事がある話だから上手くリアクションが取れないで友情にヒビが入ったり」
立派な実害だ。その積み重ねが大輔の性格をねじった。
宿題の話ではないが一生懸命に頑張った事がふと無かった事にされる理不尽。またもう一度、死ぬ気でやれというのか。はじめから。またまた無かった事にされるかもしれないのに? やってられるか。
もしも世界が一度も巻き戻されていなければ今頃の大輔はもっと素直に育っていたはずだ。
「わ、私が悪いっていうの? それ全部、私のせいなの? 100パーセント私?」
売り言葉に買い言葉でもないが長崎知世にそう強く出てもらえると大輔としても返し易くなる。
「さっきは『権利』だの言われて、そうかと納得しかけたが要は『ズル』だろうが。この世で一人、長崎だけが何度でも世界を巻き戻して、巻き戻して、納得がいくまでやり直せるっていう『ズル』をしているだけだ」
「ず、ズルじゃないわよ。これは私が持って生まれたただのアドバンテージよ。たまたまお金持ちの家に生まれた子が他の子よりもお金を多く使えたりするのと一緒で。あとは運動神経の良い子が誰よりも早く走ったりとか頭の良い子が頭を使ったりとか歌の上手な子が歌を」
「話のスケールが違い過ぎるだろう。絶対音感より瞬間記憶能力よりミオスタチン関連筋肉肥大よりももっとずっとずっと馬鹿げた話だ。世界を巻き戻せるなんてのは」
大輔は考え直した。「俺が助かりたいからお前は死ね」というレベルじゃない。
「俺はただ『普通』に生きたいだけだ。長崎が世界を巻き戻す事を止めて『普通』に生きてくれたら、それだけで俺も『普通』に生きられるんだ」
「私は……」と知世は下を向いた。そして顔を上げる。
「『普通』なんてごめんだわ。私は完璧じゃなきゃいけないのよ!」
強い目で大輔の事を見据えていた。
「……長崎」
「そもそも」と知世は大輔の言葉を掻き消すように喋り始めた。
「この世でひとり、私だけがズルしてるなんて言ってたけど。でも。リセットできるのは私だけじゃないかもしれないじゃない。そうよ。真田君の宿題を真っ白に戻したりしたのって本当に私なの? 証拠は? あるの? ないんでしょう? そう。そのリセットは私じゃない誰か別のヒトがしたリセットかもしれないじゃない」
「こんな事が出来る人間は長崎以外に聞いた事がない。ネットで検索しても」
「あーら。私だってネットに『世界をリセットできます』なんて書いたことはないわよ。『ネットに書いてないから無い』なんてことはないでしょう?」
普通に生きたい大輔と普通には生きられないという知世。世界を巻き戻す事はもう止めて欲しい大輔と止められないという知世。何処まで話を進めようとも二人の主張は交わる事のない平行線のまま――それは本当にこの世でただ一人、長崎知世にしか出来ない「ズル」なのか、これまでに真田大輔が被ってきた実害の数々は本当に全て長崎知世が起こした行動の余波なのか。徐々に論点はズレてきてしまっていた。
「どうしても止める気は無いんだな。長崎。だったら言わせてもらうぞ」
正攻法で無理ならば搦め手だ。
「無駄に怖がらせても悪いと思って言わなかったが」
「何よ」
「古今東西、何の話の中でもズルには大きな代償が伴う」
「……何が言いたいの」
「世界を巻き戻すなんて非常識な行為だ。それ相応の副作用があるんじゃないのか。よくある話で言えば、長崎の寿命が減っているだとか」
「や、やめてよ。そんな……」
「確認のしようなんてないがな。長崎の寿命が減っているか、減っていないか」
「…………」と知世が押し黙る。
少し怖がらせ過ぎたか? いやでも怖がってもらえなければ意味がない。
これで今後は世界を巻き戻す事を控えてくれると良いのだが。
本当のところは確かに「確認のしようがない」のだが、どうやら長崎知世も大輔と同じで、一時的な記憶を含めた精神だけをそのままに肉体の時間は世界と一緒に巻き戻っている事から電池の消費よろしく心臓の鼓動の残り回数を無駄に消費してしまっているというような事はないだろうと大輔は勝手に思っていた。つまり先程の大輔の言葉はただの脅しであった。
漫画やアニメの「ドラえもん」の野比のび太がタイムマシーンを使った先で日々を過ごした後に、タイムマシーンを使用した現代の時刻にまた戻るを繰り返した結果、戸籍的には小学五年生だがのび太本人の肉体は二十歳過ぎになっているというような科学読本のネタもあるが、目の前の長崎知世は見た目にも老けてはおらずその心配は必要なさそうだと大輔は判断していた。
「でも」と知世が呟いた。
「私は……」
六時間目と終礼が終わって放課後となってからもう何分が過ぎていただろう。長く話し合っている気もするし、まだまだ放課後になったばかりのような気もする。
大輔と知世の二人は教室から出ると廊下を歩いて歩いた先に居た。
此処は普通校舎の二階。人影の無い奥まったエリア。大輔の右手、知世から見ると左手側には窓があった。その窓の外、不意に上から下へと大きな陰が流れていった。
「ん?」
「え?」
その陰を右目の端で捉えた大輔と、同じように左目の端に映した知世が同時に声を上げる。
約1秒後――ドシャッ! という水分の多さを思わせる大きな音が聞こえた。
大輔は、
「今の……」
と言葉には出来ないまま窓の外に両目を向ける。窓ガラス越しに真下を覗く。
「キャーッ!」
「うーわッ!?」
「おぉ!?」
階下からの悲鳴が床なのか窓ガラスなのかを突き抜けて聞こえてきていた。
「ひ、ヒトだった……? いまの」
知世が大輔の横顔を見る。窓の外を確認する事は出来ない様子だった。
「人間……だと思う。下で誰かが倒れてる。動かない。他の人が集まってきた」
目に映る光景を大輔は言葉に変換していた。
それ以上の事は分からない。想像も出来ない。頭が働かない。
「だ、誰……?」と頑なに窓の外を見ない知世が尋ねてくるも、
「分からない」
としか大輔には答えられない。ただ目に見えたものを言葉に変える。
「制服を着ている。この高校の生徒だ。ズボンを穿いている。男子。何年生かまでは分からない」
「み……みや」
知世が声を震わせる。
「宮下君じゃなかった? おち、落ちてきたとき……顔が」
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