第3話

   

「ふっざけんなよ! お前!」


「アホか! マジでアホか!」


 南河の友人たちが強めの力で彼を叩いた。


「……人騒がせな。もう少しでオオゴトになるところだったし」


「でもまあ良かったじゃん。ドロボーされてなくて」


 クラスメートたちは、ほっと気を緩めたり、


「長崎さんに感謝しなさいよね」


「何で分かったの? 凄いね。長崎さん」


「ポケットが少し膨らんでるの見ただけで? 良く分かったよねえ」


 簡単に問題を解決してみせた長崎知世の名探偵ぶりに感心したりしていた。


 無意識だったが大輔はちらりと宮下ワタルの事を見てしまった。


 一回目では冤罪を被って嫌な思いをしたであろう宮下ワタルが今回は、


「凄いな。長崎さんは」


 皆と一緒に拍手をしていた。ネガティブな表情はしていなかった。


 ――と思っていたら今回も、


「ウチのクラスにドロボーとか。居たとしても宮下くらいだろ」


「あ。さっきまで俺も一瞬、思ってた。ゴメンなあ。宮下」


 デリカシーの欠片も無い一部の人間からは嫌な事を言われてしまっていたが、


「はは……しないよ。泥棒なんて」


 宮下ワタルは苦笑いながら笑っていた。


 長崎知世が扇動しなくともこのクラスにはそういった素地があったという事か。


 大輔はこれまで、クラスの皆とは距離を取っていた。極力、関わらないようにしていた。少しの興味も持っていなかった。


 だからクラス内の「そのような空気」には一切、気が付いていなかった――が今、大輔は気が付いてしまった。


 いつの間にか真田大輔に心境の変化が訪れていたのだ。


 いつの間にか――そのキッカケは明らかに長崎知世のあの一言だ。


「――南河君。アナタ自身よ!」


 それは大輔が記憶している「一回目」とは違う言葉だった。


 知世が続けた「アナタのお財布を今持っているのはアナタよ」と「穿いてるズボンのポケットに入ってるモノは何?」という台詞も、大輔には「一回目」を踏まえた、単なる「事実」にしか聞こえなかった。


 長崎知世は先程の「一回目」を確実に覚えている。大輔は確信していた。


(長崎知世は俺と同類……? ……居たのか。同じ……。……初めて会えた。)


 しかもまだ自分のように諦めてはいない。


 長崎知世は活き活きとしていた。


 凍り付く程に冷めていた大輔の胸の奥に小さな火が灯されたような気がした。


 気持ちが昂ぶる。


 話がしたい。話を聞きたい。他の誰とも出来なかった話だ。


 久し振りの感情を抑え切れずに大輔は彼女に歩み寄る。


「長崎」


「え? あ。真田君? 何? どうかした?」


 教室の中、クラスメートたちが「何だ何だ」と物珍しげに見ている前で大輔は、


「二人だけで話したい事があるんだが後で時間もらえるか?」


 知世に用件を伝えた。


「いいわよ」という知世の返事に、


「きゃーッ!」


「……大胆」


「イケメンムーブッ!?」


 クラスメートの女子たちの悲鳴と歓声が被さる。


 知世は「ふふふ」と微笑んで女子たちの高過ぎるテンションを軽く抑えた後、


「じゃあ……放課後で良いかな? 真田君て何か部活に入ってたかしら」


 と大輔の事を見た。


「いや。何も。長崎は?」


「天文部の幽霊部員。人手が必要なときに呼ばれるくらいよ」


「そうか。わかった。それじゃあ六時間目が終わったらまた声を掛ける」


「ええ」と知世が頷いた事を確認して、大輔は自分の席へと戻った。


「すげえな。真田」


「男前すぎるだろ」


「急にどうしたんだ。長崎の名裁きに心を奪われたのか?」


 クラスメートたちは好き勝手な事を口々にささやいていた。


「逆にあの真田にあそこまでさせた長崎さんが凄いとしか思えない」


 クラスの皆は女子も男子も健全な十代中頃らしく、先程の大輔の行動を恋愛事だと決め付けていた。


 一方で大輔本人にはそのつもりが全く無かった事から、


(何を騒いでいるんだ……?)


 皆が盛り上がっている事を不思議に思っていた。


「孤高の一匹狼だと思ってたのに。ついに巨星墜つか」


「死んでねえわ。まだ」


「時間の問題だろ。放課後まであと何時間のイノチだ」


 彼らの中では愛の告白をした大輔が長崎知世に振られてしまうところまでセットで確定しているらしかった。


 そして。実際に、


「――ゴメンナサイ」


 大輔は知世に謝られてしまった。その日の放課後、廊下の隅での出来事だった。


「私、いまはまだ誰ともお付き合いするつもりはなくて。誰か好きなヒトが居るとかじゃないんだけど」


 大輔が口を開くより先に知世の方から言われてしまった。


(……ちょっと待て。何が「ゴメンナサイ」? これはどういう状況だ……?)


 仮に、謝らなければいけないとしたら「六時間目が終わったらまた声を掛ける」と言っておきながら六時間目の後の終礼が終わってから声を掛けた大輔の方だが、それもわざわざ謝るような事ではないだろう。「六時間目が終わったら」は言葉の綾だと思ってもらいたい。


(……ああ。お付き合いだとか好きな人がどうたら言っているのはいわゆる牽制か? だったら杞憂だ。取り越し苦労だ。)


「いや。俺はそんな話がしたいんじゃない」


 大輔が知世としたいのは恋愛なんかよりももっと重大な話だった。


「『そんな話』……?」


 知世の顔が薄っすらと赤く染まる。


「う……」と大輔は思わず一歩、あとずさってしまった。


(……何だ。今度は怒った? どういう事だ……?)


 今迄、大輔は自身が抱える大きな問題の影響から他人と十分に距離を取って過ごしてきた。


 こうして生身の人間ときちんと向き合う事は小学校の低学年以来だろうか。本当に久し振りの事だった。


 余りにも久し振り過ぎたせいか目の前に居る人間が今、何を考えているのか大輔には分からなくなってしまっていた。


(……おかしいな。登場人物が何を考えてそんな行動を取っているのかとか、作者のキモチを答えるような国語の問題は得意だったはずなんだが……。)


 生きている人間を遠ざけていた時間には本ばかりを良く読んでいた大輔だったが、実際の人間はフィクションのように分かり易くはなかった。必ずしも理屈に基づいて動いてはいなかった。生身の人間は矛盾だらけだが大輔はそれを知らないでいた。


「恥ずかしい!」


 知世が言った。


「『別にクラスの皆に見られていても声が聞こえなければいい』とか言って教室から出てすぐの廊下で話し始めるとか真田君が自信満々のところをソッコウで返り討ちにしちゃったら申し訳ないかなって思って気を遣って先回りしてあげたのに。全部私の勘違いとか。恥ずかしすぎるよ。この距離だったらゼッタイ、みんなに聞こえてるだろうし! ほら、『何か変じゃね?』とか『告白じゃなかったの?』とか『別に告白じゃなかったのに告白されると思い込んで先に断るとか』とか言ってるのが聞こえるでしょう。向こうの声が聞こえてるってことはこっちの声も聞こえてたって証拠!」


 が何を言っているのか大輔には全く分かっていなかった。


「あー……何を」と聞き返そうとした大輔の言葉を無視して、


「ひさびさの2連敗だよ」


 知世が言った。


「え?」と漏らしたはずが大輔の声は出ていなかった。口も舌も喉も動かない。


(これは……。)


 ――そして世界はまた歪み始めた。



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