第33話

「どうかなさいましたか」

 テーブルのそばに侍るサビーナが、心配顔で俺に問うてくる。あ、いやと慌てて場を繕いながら、俺は手元のカップに目を落とす。いつもと変わらぬ朝食後の一杯。その、繊細なカップで揺れる澄んだ琥珀色の液体を見つめながら、やっぱコーヒーが飲みてぇなと俺は思う。

 とりあえず紅茶を流し込むと、俺は何となく図書室に向かう。

 最近は暇があれば図書室に足を運び、この国の成り立ち、とりわけ五侯と王室の関係に関する本に積極的に目を通すことにしている。

 今回の事件には、おそらく五侯の問題が絡んでいる。先日マリーとの会話で得た着想は、俺の中で否定されるどころか、いよいよ大きく膨らんでいた。

 だが。

 実際に図書室に赴いてみると、そんなモチベはあっという間に霧散してしまう。代わりに俺の心を占めたのは、昨晩のウェリナとの一件。いやほんと、何だってあんなバカやらかしたかね。そんな苦い後悔と、その奥に確かにある奇妙な納得。

 どのみち俺は、ああするしかなかった。

 その上で俺は気付いた。気付いてはいけなかった、でも、いつかは気付いてしまうだろうと予感した感情に、俺は、とうとう追いつかれた。

 そんなことをぼんやり思い出していると、いつの間にか足は昨晩の書架に向いている。

 朝の図書室を満たすのは、精霊ではなく新鮮な日の光。ただ、本の劣化を防ぐためか窓の大きさは控えめで、全体としては夜と同程度に薄暗い。その代わり、わずかな窓から差し込む光は怖いぐらいに澄んでいて、うっすらと舞う埃がきらめく様さえ美しい。

 そんな薄暗い図書室のフロアを突っ切り、奥の書架へと向かう。

 そこは昨晩、ウェリナが本を手に立っていた場所だった。そういえば、あの時のウェリナはやけに真剣に、むしろ食い入るように本を読み耽っていた。その横顔に、今更のように俺は違和感を覚える。あれは……楽しむためというよりは、どうしても知りたいこと、知らなくてはいけないことを渇望する顔だった。

 一体……何を知り違っていたんだ、奴は。

 とりあえず、ウェリナが本を戻したあたりの書棚を見て回る。奴が本を挿したのは、確か、この辺り……おっ、さっそく発見。背表紙のデザインと劣化具合には、確かに見覚えがある。

 書架から引っ張り出し、革張りの表紙に箔押しされた表題を読み取る。

 文字は転生後、なぜか勝手に読めるようになったので解読に支障はない。ただ、表紙の文字が劣化で掠れているのと、部屋が薄暗いせいで若干読みにくい。ええとこれは、何と書かれて……

「――えっ」

 その意外なタイトルに覚えず声が漏れたとき、図書室の外からメイドと思しき女性の慌てた声がする。

「お、お待ちくださいカサンドラ様!」

「は?」

 どういうことだ? 今、確かにカサンドラって……まさか。

「妃殿下! 王太子殿下は現在、面会謝絶の危険な状態です!」

 妃殿下――ってことは、やっぱりあのカサンドラか。リチャード王子のご母堂で、俺が、今回の一件の黒幕ではないかと密かにアタリをつける政敵。そんな、ある意味ラスボスともいえる彼女が来襲だと!?

「……って、まじかよ」

 手元の本を棚に戻し、溜息。こっちの件ひとつ取っても頭の中が破裂しそうだってのに、ああもう、面倒事ってのはどうしてこういっぺんに来るかね。少しは気を使えってんだクソ。


 

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