今日も藤巻刑事は新人を育てる その四

久坂裕介

出題編

「それではあなたは、夫の鶴下つるした克己かつみさんを殺害さつがいしたことを認めるんですね、杏梨あんりさん?」と藤巻ふじまき刑事は、聞いた。すると杏梨は、力なくうなづいた。


 藤巻刑事は杏梨とテーブルをはさんでイスに座ってたが、隣のイスに座っていた後輩の奥野おくのは、「よし!」と小さくガッツポーズをした。ここは克己と杏梨が住んでいた、マンションのリビングだ。藤巻刑事が杏梨の目をのぞき込んでみると、光が無かった。観念かんねんし、全てをあきらめたような目をしていた。


 昨日きのう、鶴下克己は会社の昼休みに弁当を食べていると突然、苦しみだした。同僚どうりょうが119番通報して救急車で病院に運ばれたが、間もなくくなった。死因しいんは、青酸せいさんカリによるものだった。警察が調べると、食べていた弁当から青酸カリが検出けんしゅつされた。同僚の話だと弁当は、いつも妻の杏梨が作っていたということで当然、杏梨が疑われた。


 そして杏梨をスマホを調べてみると、インターネットで青酸カリを買った形跡けいせきがあった。そのことを藤巻刑事がめると、杏梨は克己の弁当に青酸カリを入れたことを認めた。


 杏梨の話だと、夫の克己は結婚前は優しかった。だが結婚した途端とたん、克己は変わった。少しでも気に入らないことがあると、杏梨に暴力をるった。杏梨はそれでも毎日、弁当を作り克己に喜んでもらおうとしたが、暴力は無くならなかった。


 結婚すると、こんなにも人は変わってしまうのかと杏梨は絶望ぜつぼうし、自殺を考えた。だが、克己のことは許せなかった。なので自分が死ぬ前にまず、克己を殺そうと考え実行した。藤巻刑事は、聞いてみた。

「それではこれから署で、詳しいお話を聞きたいんですがよろしいでしょうか?」


 すると杏梨は、首をった。

「今日はまだ掃除そうじをしていないので、させてください。私が警察署に行ってしまうとここは汚れてしまうので、せめて水周みずまわりだけでも」


 藤巻刑事は、杏梨はもう罪を認めているので逃げることは無いだろうと考え、許可を出した。

「はい。かまいませんよ」


 すると杏梨は、イスからゆっくりと立ち上がった。

「取りあえず、キッチンから」


 そしてシンクを洗剤せんざいを使って、洗い始めた。塩素系えんそけいタイプの洗剤を使っているのだろう、『ツン』という独特どくとくにおいがリビングまで届いた。


 すると奥野は、話し出した。

「『取りあえず』って聞くと、僕は何だか悲しい気分になるんですよね」


 興味を持った藤巻刑事は、聞いてみた。

「へえ。どうしてですか?」

「『取りあえず』って、『とりえず』。鳥同士とりどうしが会えないっていうふうに、思っちゃうんですよね~」


 すると藤巻刑事は、ため息をついて説明した。『取りあえず』に、そんな変な意味はありませんよ。『取りあえず』は平安時代から『たちどころに』、『すぐに』という意味で使われてきました。中世以降なると『さしあたって』、『間に合わせて』という意味で使われるようになりました。まあ敬語表現ではないので、『ひとまず』、『まず』、『一旦いったん』という言葉を使った方がいいでしょう。とにかく変に言葉を、ぜてはいませんよ、と。


 それを聞いた奥野は、軽く頭を下げた。

「へー、そうなんですか。何か、すみません、くだらないことを言ってしまって……」


 すると杏梨はシンクを洗う時に使っていた洗剤のボトルを持ったまま、告げた。

「次は、トイレを掃除します……」


 そしてそのまま、トイレに向かった。それを見ていた藤巻刑事は、奥野に告げた。

「まあ、言葉を混ぜるくらいなら笑い話にもなりますが、世の中には絶対に混ぜてはいけないものもあります。『取りあえず』、杏梨さんは自殺しようとしているようなので、止めてください」


 奥野は、おどろいた表情になった。

「え?! 杏梨さんが自殺?! 一体、どうやって?!」

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