第26話自分とは違う考え方の人
部屋には、大きな木製の作業台が置かれている。銀製の乳鉢と杵が静かにその一角を占め、薬草の乾いた香りが漂う。作業台の上には、今しがた調合されたばかりの黒い液体が入ったガラス瓶が光っている。
「ねえ、フローリア。これを医療室に持っていけばいいの」
「あ、うん」
結局、団長と室長が話し合った結果、ソフィアが2週間、騎士団で働くことになった。
「アドバン様!新しい薬持ってきました!!」
ソフィアが、元気よく医療室に入ると、室内で作業をしていたアドバン様が顔を上げ、優しい笑みを浮かべた。
「おお、若い薬師が2人もいると、この医療室もパッと明るくなるな」
その言葉にソフィアは少し照れくさそうに笑った。新しい環境に少しずつ馴染み始めている彼女の姿が、私の心を微妙に揺さぶる。
「フローリア、今日は、魔獣除けの薬を作るって言ってたわよね。ここは私に任せて、もう取り掛かってもいいわよ」
「大丈夫よ。時間には余裕があるから、私も手伝うわ」
薬の効果や喜ぶ姿を見るとやる気が増す。だから、私もここで手伝いたい。しかし、ソフィアはそのまま引き下がらなかった。
「やだ、遠慮しないで。2人で役割分担した方が、絶対効率がいいわ。それに、この1週間で騎士様達とも大分仲良くなってきたし。心配いらないわ」
心配などしていないが、どんどん自分の居場所を奪われているような感覚に苛まれる。ソフィアに嫉妬?自分がそんな感情を抱いているなんて…。自己嫌悪が募る。
「…わかった。じゃあ、もう行くね」
作業室で、薬づくりに集中しようとするが、どうも気分が乗らず、作業が思うように進まない。
心の重さを感じながら、気分転換に温室へ足を運ぶことにした。
***
温室に入ると、鈴の音が鳴るような美しい声が響いた。
「あら、フローリア。今日は来ないって言っていなかったかしら?」
声の主は、優雅に立ち上がった侍女長様だった。
何度か自作の薬などを贈り、その感想を聞くうちに、私は、侍女長様に親しみを感じるようになっていた。昔は、あまり興味がなく、お姉様たちの美容の話を聞き流していたので、侍女長様から聞く他国の美容の知識は、とても興味深かった。それに、侍女長様は「そんなの余裕よ」と言って、私が欲しい珍しい薬剤などを取り寄せてくださる、とても親切な方だった。
話をしていく中で、自分が元宮廷薬師であり、美容製品の開発に関わっていたことを打ち明けた。しかし、新しく美容部門が立ち上がる際に、あっけなく職を失ったことも話さずにはいられなかった。「人のためになる薬を作りたい」という思いを抱いていたが、美容も誰かの役に立つことに気付いて、薬師として幅広い分野で日々努力していることも語った。
侍女長様は、そんな私の話をいつもニコニコと聞いてくださった。時折、彼女の顔に微妙な引きつりが見えたが、それでも彼女は親身になって耳を傾けてくれた。
「侍女長様、いらしていたのですね。ええ、ちょっと気分転換に…」
「薬づくりでも行き詰ったの?元気がないじゃない。いつものお礼に何でも聞くわよ。力になれるかは、話次第だけど」
その穏やかな笑みと優しい言葉に、心が少しほぐれた。つい、本音が口をついて出てしまう。
「…自分とは違う考え方の人と出会った時、どうすれば受け入れることができるのでしょうか?」
「それは、受け入れなきゃいけないの?」
侍女長様は不思議そうな顔をした。
「受け入れたくはないのです。でも、自分の考えを言い続けることが悪いことをしているように感じてきて…その人と話をしていると、みじめな自分に気付いてしまうのです」
抽象的に言い過ぎたのか、侍女長様は少し考え込んでいる様子だった。そして、静かに語り始めた。
「そうね。事実は一つだけど、真実は人の数だけあるのよ。相手には相手の生きてきたストーリーがあるから、考え方を全否定するのはよくないと思うけど」
その言葉に思わず、はっとする。私はソフィアが私の言い分を聞いてくれないと思っているけど、ソフィアは私が自分の言い分を聞いてくれないと思っているだろう。でも…。
「私は、その人の提案を断っているのです。でも、遠慮しないで、気にしないでって。結局その人の言い分通りになってしまう…いえ、上手く言い返せないのです」
思い出し、暗い気持ちになる…。
「まあ、ちょっと違うかもしれないけど、貴族が言い方に含みを持たせて、思い通りに操ろうなんてよくある話だし、私もやるわ」
そういうものなの?自分がそのように操作されているとは考えもしなかった。ソフィアの場合は…本当にそう信じて言っているようにも思うけど…。
侍女長様は、少し笑ってから続けた。
「だからこそ、私は、発言に気を付けているわ。立場的にね、他の人の命に関わることもあるもの」
命に関わる!?…怖いわ、王宮の侍女の世界は想像以上に厳しいのね。
「フローリアは、受け入れたくないのでしょう?…じゃあ。受け入れなくていいわ!思い切って、その人に、嫌われちゃえばいいのよ。みんなと仲良くなんて夢物語よ。当事者じゃない私が客観的に判断すれば、その人は、あなたに必要のない人間。共存なんかできないわ」
嫌われてもいい?そこまでは考えたことがなかった。でも、確かに好かれたいとは思っていない。
「あなたも貴族令嬢の端くれ。自分の考えを通すために、したたかに、女の武器を使って、利用できるものは利用する!その心意気で戦ってみなさい!返事は?」
「は、はい、頑張ります!」
力強く答えたものの、『したたかに、女の武器を使って、利用できるものは利用する』…うぅ、果たして私にそれができるのだろうか。
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