ジェントリあえず、それもそのはず

水白 建人

第1話

『キサマ、いつからそこに!?』

『お邪魔してますう』

 警備をかいくぐり、私が有する御殿の執務室にぬけぬけやってきたのは赤髪の汚らしい小娘だった。

 驚くなかれよ。びんぼうがみだそうだ。


「おいしいご飯はまだですかあ? ジェントリさまあ」

「誰が馳走するあうものか」

 私はノートパソコンのキーをたたいていた指を止める。

「おい、ぞうきんのごとき襤褸ぼろをデスクにこするな、たわけ。猫かキサマは」

「れっきとした神さまですよお」

「給仕。盛り塩にかかれ」

「塩対応!?」

「寛大であろう。貧乏神なぞにわざわざ塩をくれてやるのだぞ」

「調味料だけじゃいやですよお」

 貧乏神めが私のデスクにしなだれかかる。

「ステーキ、SUSHIおすし、マルゲリータにカオマンガイ……ああ食べたいなあ、おなかすいたなあ。……チラッ」

「知っているか? どこぞの太鼓のキャラクターとやらは、ペットではないと主張しながら床で食事をするそうだ」

「初めて聞きましたあ。でもそれがどうかしたんですかあ?」

「私はキサマをペットとしてすら認めん」

「じゃあ客分ですねえ」

「たわごとを」

 私はデスクに置いていたボトルからひとつぶ、ガムを取り、親指で床へとはじいた。

「そら、食ったら出ていけ」

「出ていきません! いただきますう!」

「這いつくばりおった……」

「おかわりください!」

「しかも飲み込みおった……!?」

 しばし面食らったが、私はかぶりを振った。

「ええい、出ていけと言ったであろうが」

「もっと食べさせてくださいよお」

「私は多忙なのだ。これ以上、犬も食わんような貧乏神の相手なぞできるか」

「ギブミ~おもてなしい~」

「くどい!」

 私の握りこぶしがデスク上のボトルやノートパソコンを揺らした。

「私はジェントリだ、上流階級だ。スラムのどうもう、稼げぬあん、いわんや貧乏神に血肉たるカネを費やすはずがなかろう。馳走するあうなぞもってのほかだ」

「でも神は非礼を受けずっていうじゃないですかあ」

「くだらん。ゆえに私はとりもなおさずキサマに言ってやるのだ。『ジェントリあえず、それもそのはず』だと」

 全盛期のありようを過去にしようと、ジェントリの本質は不朽である。

 カネを稼ぎ、地域に尽くし、カネを稼ぎ、紳士に徹す――新時代にふさわしき新貴族たらんとすればこそよ。

 いやしくも寄食を求める貧乏神にはかけらたりとも理解できまい。

ジェントリへんほひさまははははひふふはですへふう」

「なんだそのほお袋は。猫の次はねずみのまねごとか?」

 あきれる私の視界の端にふと、デスクを転がるボトルのが見えた。

「キサマ、さては私のキシリトールを!?」

「んー! すーすー甘くていいにおいですう」

「またしても腹の中に……、食い意地を極めればちょうへいそくすら恐れぬか」

「神さまだから平気ですよお」

「ほう? かみけて、大事にはならんとでも?」

「はあい」

「言質は取ったぞ」私は指を鳴らす。「給仕! そこな貧乏神めをランドリールームへと連れてゆけ!」

「食堂じゃないんですかわわあぁ!? どちらほわいさまあ!? いきなり担がないでくださいよお!」

「ときに貧乏神よ。キサマ、最後に湯を使ったのはいつだ?」

「ええ? かぎちゃんにカップラーメンを食べさせてもらったのがおとといでえ……」

「はき違えるでないわ!」

 ジェントリといえども我慢の限界だった。

悪臭漂におうのだキサマは! 頭のてっぺんから足のつま先まで!」

貧乏神おんなのこに対してひどいですう……!」

「ハッ! 私はジェンダーレスだ。男も女も平等にとがめてやるとも」

「言ってることがよくわかりません!」

「貧乏神に理解なぞ求めん。よいか給仕、徹底的に丸洗いだぞ」

「ままま丸洗いですかあ!?」

「赤貧洗うがごとしであろう? 案ずるな、キサマをたたき込む先は業務用洗濯機よ。その貧相な体を収めるには充分すぎるであろうな」

「鬼い! 悪魔あ! お金持ちい!」

「もうよい、連れてゆけ。――おっと給仕、乾燥機まで使わせずともよいぞ。天日干しにしてやれ」


「ジェントリさまあ。洗濯機おふろに入ったんですからご飯にしてくださいよお」

「なぜ生きている!?」

「お返事が物騒ですう」

「しかもまだ微悪臭漂におうか……」

 あわよくば始末できるかと思ったのだがな。

 まこと神とは厄介なものよ。

「失せろ貧乏神。キサマごときのために油を売っていられるか」

「ええ~? むしろだらだらしましょうよお。貧乏暇なしになっちゃってもいいんですかあ?」

「休むときは休む。だが今は書き入れなのだ」

 私は腕時計型通信端末スマートウォッチで取引先に電話をかける。

 ちょうど約束の時間だったのだ。

「――もし、私だ」

「なんですかあそれ?」

「チッ……、ああなんでもない。そちらのディスカッションはどうなった?」

 貧乏神めに邪魔をされてはたまらん。

 私はデスクから離れ、執務室を右へ左へ歩きながら取引先との通話を続けることにした。

「――軟調がどうした。リークを繰り上げて――」

「ねえねえジェントリさまあ。チラッ」

「――手こずるようならば私がオファーを出す。そちらは新商品の――」

「ジェントリさまってばあ。チラッ」

「ええい、気安いわ! ――なっ、待て、値付けに文句があるわけでは――」

「もうすぐお昼ですよお? 食堂にお連れしてくださいよお」

「あやつめ、通話を切りおって……!」

 間が悪いことに取引先にあらぬ誤解をさせてしまった。

 これが貧乏神のたたりだとでもいうのか?

「……やむをえん。現地の部下を通じて軌道修正するとして、だ」

 私はついて回ってくる貧乏神に怒りを宿した目を落とす。

「喜べ貧乏神。餞別うまのはなむけをくれてやる」

「やったあ! なにをいただけるんですかあ?」

拳銃弾なまりだまだ」

「ひえええかみごろしい!?」

「知ったことか」

 私は懐から回転式拳銃を抜く。

 狙い定めるは赤髪がかかる正中線上の――人間ならば脳髄があろう――一点だ。

「この調子で貧乏くじを引いていては立ちゆかんのでな」

の倒れって思えばまんざらでもなくないですう?」

 こやつめ、存外に博識だな?

「それに貧乏神との共倒れもおつだったりしますよお。ふたりじゃさみしいのでしたら子どもを作るのもありよりのありですう」

「なんだと?」

「ジェントリさまは独身卒業、貧乏神はご飯食べ放題! 貧乏人の子だくさんって言いますからねえ、気がすむまで産んであげちゃいますよお?」

「フッ……フハハハ!」

「まじめに聞いてくださいよお」

「どうして笑わいでか……ッハハ!」

「もしかしてえ、笑うかどには福来たるってことですかあ?」

「相続争いを!! 軽んずるでないわ!!」

 私は貧乏神の襤褸ぼろを片手でわしづかみにし、笑止千万とばかりに貧相な体を窓向こうの前庭へと放り投げてやった。

 しかし執務室を一階に設けたことが今になって口惜しい。

 豚のごとき悲鳴を上げたのもつかの間、すぐに貧乏神は起き上がり、執務室の窓枠から不満げな顔を出してきた。

「また暴力に訴えたあ! 心が貧しい証拠ですよお!?」

「みなまで言わずともよい」

「あれえ……認めちゃうんですねえ」

「満たされてなぞおらんからな。ゆえに富めるのだ」

「じゃあボクとジェントリさまって相性ぴったりじゃないですかあ。おそばに置いてくださいよお」

「貧乏神ごときが私をにするか」

「おそばなだけに?」

「…………ほう」

「今のは近くという意味の《そば》と、おだしが利いたつけ汁で食べるほうの《蕎麦そば》を――」

「給仕! そこな貧乏神たわけをつまみ出せ!」

「ああああまたうしろからああっ!? ふざけすぎました許じでぐだざいお願いじまずうう!!」

「情けなどん!」

「もしかしてそれも、おそばなだぎゃぶぷっ!? おでこ撃だれだああああっ!?」

「なぜに、はじかれた……!?」

「ジェントリさまのばかああああ!! ユーモアが通じ合うならとりあえずやっていけるじゃないですかああああぁぁぁぁ…………」

 給仕に引きずられる格好で貧乏神がみるみる遠ざかってゆく。

 馳走せあえずじまいと相成ったにもかかわらず、ずいぶん気力を費やしてしまった。

「……つくづく、厄介払いとは高くつくものよな」

「プライスレスですよお?」

「キサマ、いつからそこに!?」

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