風の遺書

如月いさみ

第1話 トリ あえず

 風がスズキを揺らして駆け抜けていく。

 姿は見えぬ。

 だが揺れるスズキが描いていく。


 風は魂が駆ける姿だ。


 花村ちかは差し出された遺書を見つめ

「なして、うちに?」

 と聞いた。


 出兵前に家族にあてて遺書を用意するのは当時ごく普通のことだった。

 戦況が悪い方へ一気に傾き始めたこの頃は生きて帰れる方が奇跡であった。


 そのため『もう戻ることはないだろう』と出兵する人間は遺書をしたためた。

 だが、それは『家族』にだ。


 しかし遺書を差し出す郷田義男とちかは幼馴染以上の関係ではない。

 家族でも。

 婚約者でもない。


 だから『なして、うちに?』と言う言葉が彼女の口から零れたのだ。


 義男は静かに笑むと

「俺が帰れなかったら君に伝えられなかった言葉が伝えられるかもしれないと思って書いた」

 と告げた。


 郷田義男には婚約者がいる。

 家同士が決めた婚約者だ。


 不義密通など許されない。

 家の決め事を覆すことなどできない。


 だが。

「俺が死んだら家にも何にも縛られることが無くちかに俺の思いを伝えられる。だから君に遺書をしたためた」

 

 ちかは震える手で遺書を受け取ると静かに抱きしめた。

 義男に対して仄かに抱いていた恋心があった。


 しかし義男に降ってわいたように他の女性との結婚話が持ち上がり、ちかは諦めた。

 諦めるしかなかった。


 ちかは小さな青い花を摘むと義男に渡した。

「義男さんの気持ち知りとう思います。けど生きて帰ってほしい」


 それが今ちかが出来る精一杯の返事であった。

 義男は青い小さな花を手にすると笑みを深めた。


 そして丁寧にハンカチに花を包み

「勿忘草か、大切にする」

 と告げた。


 義男が出兵して半年で戦争が終わりを告げた。

 ちかに届いたのは義男の親友が送ってきた電報だけであった。


『トリ あえず』

 義男が乗った飛行機とりは出立し戻ることがなく誰とも会うことはなかった。


 ちかは遺書を手にスズキの中に一人立ち

「義男さんは鳥やない風になったんや」

 と泣きながら微笑んだ。

 

 ねぇ、いま会いに来とる?

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風の遺書 如月いさみ @k_isami

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