2024年のサイキック・ウォー 

東紀まゆか

出会いは人体自然発火

 それは、曇天の土曜日の午後だった。

 スクランブル交差点で歩行者信号が青になり、人々が一斉に横断歩道を渡りだす。


 コートの襟を立てて歩いて来た羽柴五郎は、向かい側から歩いてくる角田豪作を見やった。  

 手にしたスマホで送られてきたデータを確認する。

 スキンヘッドの大男。間違いない。

 次のターゲットは、こいつだ。


 すれ違いざまに、羽柴は角田に掴みかかり、二人は交差点の真ん中でもみ合った。野次馬たちが声を上げる。


「お、なんだなんだ、ケンカかぁ」

「おまわりさーん」


 次の瞬間。

 突如、角田の身体から、炎の柱が吹き上がった。

 火を噴いて燃えあがる角田。羽柴は後ろに飛びのいて、肩で息をする。


「キャー、人殺しぃ!」

「おい救急車、いや、消防車だ」


 羽柴は力尽きたかの様に、アスファルトに横になり、高い火柱を上げて燃える角目を見ている。遠くからサイレンの音が聞こえてきた。



 慈愛病院は、緑に包まれた校外にある病院だ。院名に冠していないが、その専門は精神科である。

 真っ白な軟質素材の壁で四方を覆われた隔離病室では、ソファに座った羽柴五郎が、白衣を来た日浦健二に、カウンセリングを受けていた。


「それで……。羽柴五郎君、君は、人間が進化した、次の生き物だっていうのかい?」

「そう、猿人が原人に、原人が人類に進化した様に、次の段階、新人類に進化したのさ」

「それで……。古い人間である、被害者の角田さんを殺した、と」

「二つ間違いがあるよ。あいつも新人類だ。そしてあいつは、まだ死んではいない」


 日浦と羽柴が話している病室と、壁一枚を隔てた隣の部屋では。

 カメラで送られてくる羽柴と日浦の会話を、医師の蘭堂裕子と、その上司の山本信夫がモニターで観察していた。

 裕子は、溜息をつくと呟いた。


「バカバカしい。そんな妄想で、人を燃やしたんですか?」


だが山本は食い入る様に、モニターを見ながら言う。


「蘭堂くん、それはまだ、わからんよ。凶器が出ておらんのだ。ガソリンも、ライターも、マッチも、人を燃やす様な物は、彼は何も持っていなかった」

「でも山本先生、警官が来る前に、どこかへ捨てたんじゃないかしら?」

「交差点での出来事で、目撃者は沢山いたが、彼は倒れたっきり動かなかったそうだ。それに生身の人間を燃やすのが、どれくらい大変かは、君も知ってるだろう」

   

 裕子は肩をすくめて、画面に見入る。隔離病室では、日浦と羽柴の会話が続いていた。


「新人類っていうのは、僕たち人間と、どこが違うんだい」

「わかりやすく言えば、超能力者だ。他人を思うがままに操ったり、近い将来を予言したりする。そういう連中が、政治家とか、大富豪になったら、この日本は危険だろう? いやもう、なってるんだ。僕は人間を支配しようとする、悪い新人類を駆除する」


 モニターを見ていた裕子が、吐き捨てる様に言う。


「子供っぽい妄想だわ。バカバカしい」


 山本は手元のマイクで、隣室の日浦に指示した。


「日浦くん、彼はどんな超能力を持っているのか、尋ねてみてくれ」


 隔離病室では、日浦が右耳にはめたイヤホンに指を当てて、山本からの通信を確認して、羽柴に問うた。


「それじゃ、新人類である君は、どんな超能力を持っているのかな」

「人体自然発火」

   

 そう言うと羽柴は、ニヤッと笑った。


「それで僕を告訴できるのかな? 人体自然発火による人の焼殺なんて、警察は立件できるのかな。まぁ、さっきも言った通り、奴はまだ、死んでないけど」

   

 日浦はそれには答えず、再びイヤホンに手をやり、山本からの指示を確認して羽柴に尋ねる。


「じゃぁ、今度は、君の所属する組織について教えてくれるかい」

「僕らは偉大なる導師サマラーに集められて、志を共にする集団、新人類同盟だ。この世界を支配しようとする、悪の新人類と戦う。導師サマラーからの指令はテレパシーで届くので、僕らも本人には会った事がないんだ」


 羽柴が面談を終え、個室に戻った後も、医師たちは議論を繰り広げていた。

 山本が、興奮した口調で言う。


「素晴らしい! 彼の妄想は、全て辻褄があっている! こんな症例は見た事ない」


 日浦は、羽柴との会話を思い出して、身震いする。


「被害妄想も、逆恨みもなく、淡々と犯行に及んだ様ですね。聞いてて怖くなりましたよ」


 裕子が、呆れた様に言った。


「これは作り話、心神喪失ではなく偽証じゃないですか。それだと、我々の仕事ではなくなります」

「どのみち、この事件は立件されない」


 山本の言葉に、日浦と裕子は驚いた。  


「さっき警察から連絡があってね。被害者の焼死体を紛失したそうだ。凶器も見つからないし、立件は不可能だろう」

「そんな……。彼が言った通り、被害者は生きていて、逃げたとでも言うんですか?」

「私はそこまで、空想力豊かではないよ。警察が手違いで紛失したか、何者かに盗まれたんだろう。まぁ我々は治療に専念しよう。ちょっと特殊な方法を試したいと思う」


 やがて羽柴の治療は、奇妙な形で始まった。

 何もない部屋のベッドに寝ている、パジャマ姿の羽柴は、トレイを持った裕子が入って来たので顔を上げた。

 裕子は、少し怯えた様な口調で言う。


「定期回診です」


 羽柴がベッドに上体を起こすと、裕子は彼の耳元に唇を寄せ、囁いた。


「監視カメラは止めてあります。私は導師サマラーの使いです」

 

 それを聞き、羽柴の顔が、ぱぁっ、と明るくなる。


「そうか、あなたも新人類同盟か!」

「しっ、どこに敵がいるかわかりません」

 

 裕子は、持って来た錠剤を、羽柴に渡すと言った。


「超能力を増幅する薬です。これを飲んで、大人しくして周囲を欺け、というのが導師サマラーからの指令です」


「了解した。仲間がいると心強い」


 羽柴は、裕子から薬と水の入ったカップを受け取り、素直に飲む。それを複雑な顔をして、見ている裕子。

 羽柴の病室を出た裕子は、そのまま山本と日浦がいる部屋に駆け込んだ。


「緊張したー。変なお芝居させないで下さいよー」

「お見事。患者と信頼関係を築けたじゃないか。素直に薬も飲んだし」

「これなら、注射治療も出来そうですね」


 その日から、「新人類同盟の使者」になりきった、裕子の治療が始まった。


 窓の外に桜が満開の春。

 羽柴は裕子と親し気に語り合い、錠剤をもらい、注射を打ってもらう。

 彼はすっかり、大人しい患者になっていた。


 窓の外から、セミの鳴き声が聞こえる夏。

 羽柴は隔離病棟を出て、解放病棟で、他の患者たちと談笑するまでになった。


 裕子は、日浦のいる診察室に羽柴を呼び出した。


「羽柴さん、新人類の事なんだけど……」

「え? 新人類? 漫画の話ですか?超能力者? そんなのいる訳ないでしょ」


 治療の効果は上々と、満足げな日浦の横で。

 裕子は、どこか不満げな顔をしていた。



 そして、彼葉が木枯らしに舞う冬が来た。

 羽柴がコートの襟を立てて、病院の正面玄関から出て行くのを、玄関奥で日浦と裕子が見送る。


「無事、退院ね。結局、あの事件は何だったのかしら」

「いいじゃないか。彼も途中からは、手のかからない、いい患者だったよ」


 そう言って日浦は歩み去るが、裕子はしばらく、去っていく羽柴の背中を見つめていた。

 そして、忙しさにかまけて、彼女も、この奇妙な患者の事を忘れた。

 だが、半年後。


「せっかく終電前に帰れたのに、なんなのよ、も~」


 駅から不審な大男に尾行されているのを感じ取った裕子は、彼をまこうとして路地の奥へ奥へと入り込み、ひとけのない裏路地を、小走りで逃げていた。


 顏に、ミイラの様に包帯を巻いた男が裕子を追いかけて来る。なんなのアイツ、と思った時、裕子は路地の突き当りに追い詰められてしまった。


 振り返り、大男と対峙すると、男はしわがれた声で言った。


「貴様は我々の秘密を知った。生かしてはおけん」

「オーケー、オーケー、私も仕事がら、あなたみたいな人とは良く知り合うけど……。秘密を知るもなにも、あなたとは初対面でしょ?」


 大男が、懐から大きなナイフを取り出したので、裕子は焦った。


「お前の思考を呼んだ」


 大男は、月明かりにギラリ、と光るナイフを手にしながら、裕子に歩み寄る。


「貴様、なぜ新人類の事を知っている」


 新人類。自分が置かれている危機にもかかわらず、裕子がその言葉に懐かしさを覚えた時。


「久しぶりだね、先生」


 声と同時に、ナイフを持つ大男の右手からボウッと炎が上がり、彼はナイフを取り落とした。

 男は慌てて左手で叩き、炎を消す。

 その隙に、暗がりから走り出て来た人影が、裕子を庇う様に立った。


「あ、あなた!」


 その男の顔を見て、裕子は思わず叫んだ。


「先生のお芝居も上手かったけど、俺の方が上手だったでしょ」


 そう言うと、走り出て来た男、羽柴は裕子にウインクすると、大男に向かって構えた。


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2024年のサイキック・ウォー  東紀まゆか @TOHKI9865

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