魔法少女なんだから身バレ禁止は当然でしょ?
ミジンコ
第1話 魔法少女、絶体絶命!
『怪異』――それはこの世界に古くから存在する怪物。
その存在は日々、人々の生活を脅かしていた。
何故ならば怪異は人を襲うからである。
怪異は人の感情、取り分け恐怖や絶望といった負の感情を好む性質を持っていた。故にその本能の赴くまま人間を襲い、人々が発する負の感情を喰らおうと襲い掛かって来る。
そんな恐ろしい存在がいつ頃からこの世界に現れるようになったのか、その正確な記録は残っていない。しかし、いつの時代でも人間と怪異の戦いは記録されていた。
そう、人間は怪異に襲われるばかりではなく……戦ってきたのだ。
時代や場所によって様々に呼ばれ方を変化させるその者達は、例えば古く日本では陰陽師と呼ばれていた。西洋では
そして現在――――怪異と戦う者達はまた異なる呼び方をされていた。
その日、都内全域に警報の音が鳴り響いた。それは怪異の出現を知らせる音でも、特に強力な怪異が現れ周辺の人々の避難が促されるときに使用される音だった。
――ズシンッッッ
重低音に合わせて地面が大きく揺れる。
警報音すら掻き消さん規模のその音の正体は……足音だった。
見上げるほどの巨大な身体は周辺に立つ高層ビルに匹敵し、一歩一歩が爆弾でも爆発したかのように地面を割ってクレーターを作る。ちょうど足の下にあった車は何の抵抗も許されず地面の下敷きになり、次に現れた時には厚さ1cmほどにぺしゃんこにプレスされてしまっていた。
人々の避難がまだ完全には終わっていない街の中を巨大な怪異が我が物顔で闊歩する。
その時だった。
「きゃっ!!!」
一人の少女が逃げている最中に足をもつれさせて転んでしまった。
その手を引いていた母親らしき女性が慌てて少女に駆け寄り助け起こす。幸いなことに、少女の怪我は膝を少し擦りむいたぐらいで大したものではなかった。
しかし、それにほっとしたのも束の間。
母娘がいた場所に影が差した。そんなあり得ない現象に母娘は揃って頭上を見上げる。
そこには、ゴツゴツした巨大な岩のようなものがあった。
他でもないそれは怪異の足。次の一歩を踏み出そうとする巨大な怪異の足が、まるで地上に迫る隕石のように二人に振って来ようとしていた。
母親はスローモーションのように引き延ばされた意識の中で、今から逃げたとしてもあれを避けるのは間に合わないかもしれないと思った。
しかし、せめて娘だけでも――そう瞬間的に考えた母親は座り込む娘を抱き上げて駆け出した。
絶体絶命の状況に陥ってなお、母親は娘が少しでも生存する可能性に賭けた。少しでも、一歩でも遠くへ。徐々に濃く広くなっていく影に追いつかれないように、追い越す為に。何も考えずに母親は走った。
しかし、またしても運命は二人を弄ぶ。
「あっ――」
地面に転がる無数の瓦礫とその破片は、走る母親を妨害しついにはそれに足を引っかけてしまった。
それは事故だったが、二人にとっては致命的な事故。転んだその瞬間、己と娘の運命を悟った母親はただ腕の中の娘を強く抱きしめた。
きっとあの足に踏まれてしまえば痛みすら感じる時間も無く一瞬で死ぬことになるだろう。だからせめて恐怖も感じない様に。外で何が起こっているのか分からない様にするために、強く胸の中に抱きしめた。
それは自分自身が迫る恐怖に負けないようにするためでもあったかもしれない。
ぎゅっと目を瞑り、訪れるだろう衝撃に身を固める。
…………しかし、いつまで待っても覚悟した衝撃は襲ってこなかった。
まさか怪異がわざと焦らしているのか? それとも運よく足の場所が逸れたのか?
母親は意を決して閉じていた瞳を開けて、周りの様子を見る。
すると、
「――もう大丈夫」
この絶望的状況には似つかわしくない優しい声が響いた。
年若い少女らしきその声から伝わってくるのは聞いてる者を落ち着かせようとする優しさ。さっきまでは身体の芯が冷えるような心地だったのに、その声を聞いた途端に本当に大丈夫なんだと母親は体に体温が戻ってくる感覚を覚えた。
強張っていた身体から自然と力が抜け、それによって力強く抱きしめられていた娘が母親の胸元から顔を出し、肩越しに外の様子を見る。
娘の目に映ったのは、可愛らしい衣装を身にまとった少女の背中だった。
「だれ……?」
その問い掛けに、二人に背を向けて立っていたオレンジ髪の少女が顔だけ振り向かせる。
「こんにちは! 怪我は無かったかな?」
「あ……うん! 全然大丈夫だよ!」
「そっか、間に合ってよかったよ~」
オレンジ髪の少女はそう言って安堵の息をもらす。娘と見知らぬ声とのやり取りに母親もすぐに後ろを振り返った。
そこにいたのは、セーラー服が原型であろう白基調の衣装に身を包んだ中学生か高校生ぐらいの少女だった。少女の両手は頭上へと掲げられており、その手の先には半透明のオレンジ色の膜が今もなお巨大な足を受け止め続けていた。
「ま、魔法少女、さん……?」
「はい! 魔法少女ヒナタ、ピンチに駆け付けました!」
娘よりも少し年上に見えるぐらいの少女が自身が死を覚悟した怪異の足を受け止めている……そんな信じられない光景を目の当たりにして、母親は瞬時にその正体を悟った。
オレンジ髪の魔法少女『ヒナタ』は母娘ににっこりと人懐っこい笑みを見せると、その笑顔を真剣な顔に変えて二人に早く避難するように促す。
「二人とも、ここは危険ですから早く逃げてください! 私の魔法が避難所まで二人を案内します! これについて行けば大丈夫です!」
魔法少女の手から現れたオレンジ色に発光する鳥が、一度母娘の前にやって来て再び飛び去っていく。けれどその鳥はまるで母娘のことを待っているかのように、少し離れた場所で待機していた。
「さあ、早く!!」
「は、はいっ! ありがとうございます!!」
母親はすぐさま娘を抱きかかえるとオレンジの鳥が飛んで行ったほうに走り出した。
それに少し遅れて、母親の肩から顔を出した娘は魔法少女に向かって大きく手を振りながら叫ぶ。
「ありがとうーー!! 魔法少女のお姉ちゃーーーん!! 頑張れーー!!!」
ヒナタは感謝と激励の言葉に力強い頷きと笑みを返す。
そうして母娘の姿が見えなくなった瞬間――――途端にその表情を苦悶に歪めた。
まるで直前まで息を止めていたかのように重く深い息を何度も吸っては吐きを繰り返し、必死に酸素を求めるように荒い呼吸をする。
「はぁ、はぁ……結構きっついなぁ……!」
そう言ったヒナタの顔には汗が滝のように流れ、頬を伝ったそれが地面にぽつぽつと落ちる。
それもそのはずだ。このビル程も大きな怪異の踏みつけを受け止めて平気でいられるほど、ヒナタは魔法少女として強い力は持っていなかった。だが決して彼女が魔法少女として劣っているということではない。
むしろ並みの魔法少女であればこんなに長く受け止め続けることは出来なかっただろう。ヒナタだったからこそ母娘が逃げるまでの時間を耐えることが出来たといっても過言ではない。
直後、怪異の足を受け止めていたシールドに亀裂が走る。
最初に受け止めてからここまで、怪異は足元の存在を踏みつぶそうと圧力を高め続けていた。それがついにシールドの限界に達したのである。
さらに、今の一撃を受け止めるのにヒナタは多くの魔力を消費してしまっていた。残量が無いわけではないが、一度に大量の魔力を消費したことによる疲労が確実にヒナタの思考と動きを鈍化させる。
ヒナタがその場から退避するのと、シールドが破壊されるの。
早かったのは――シールドの破壊だった。
パリンというガラスが砕け散るような音とともにシールドが砕かれ、無防備になったヒナタへ無慈悲にも身長を優に超える怪異の足が迫る。
そのとき――一陣の風が吹いた。
「――!」
次の瞬間、凄まじい轟音と衝撃を伴った一撃が地面を割る。
割れた地面から舞い上がった土埃が下の様子を隠してしまう。
あの踏みつけを喰らったのであればヒナタが無事であるはずもない。
「ガアァァァーーー!!!!」
怪異はそれが嬉しかったのか天に向かって咆哮する。まるで自身の勝利を確信したかのようなその雄叫びには愉悦のような感情が滲んでいた。
しかし……
「全く、ほんとに馬鹿なんじゃないの?」
怪異ともヒナタとも違う、鈴の鳴るような声がした。
そしてその声は怪異に向けられたものでは無かった。何故ならその言葉の中に応える者がいたから。
「あはは、ごめんごめん。ちょっと先走っちゃった……」
二つの声は地上ではなく、上空から聞えていた。
周辺ビルの屋上より、怪異の頭よりもなお高い場所に声の主たちがいた。
一人は青色を基調とした、こちらもセーラー服を改造したような衣装を纏った青い髪の少女。
もう一人はオレンジ髪の少女――ヒナタは、青い髪の少女に抱えられていた。
青髪の少女はキッと眉尻を吊り上げてヒナタを怒鳴りつける。
「何も考えないで飛び込んでいくなんて馬鹿なんじゃないの!? 私が助けなかったら間違いなく死んでたわよ!!」
「だ、だって――」
「だっても何も無いの!! 次からはもっと慎重に、考えて行動しなさい!! じゃないと命が幾つあっても足りないわよ!!?」
「ご、ごめんなさい……でも、助けてくれてありがとう『ミヤビ』ちゃん」
「ふん……あの母娘を助けたのは間違いなく『ヒナタ』よ。そこは褒めてあげるわ」
ヒナタの感謝の言葉に、直前までの大噴火がごとき怒りを鎮めたミヤビはヒナタの行動が間違っていなかったと肯定する。それを聞いたヒナタは満面の笑みを浮かべ、一方ミヤビは仕方ないなとばかり眉を八の字に歪めて溜息を吐いた。
そして、さらにその場に加わる声があった。
「二人とも、いちゃつくのは後にしなさい。今はアレを倒すのが優先よ」
「しょうがないにゃ~。ヒナタは困っている人がいると助けずにはいられない主人公体質なんだにゃ~」
「ひ、ヒナタ先輩大丈夫ですか!? け、怪我とかしてたら私が治しますぅ!?」
順に白髪の魔法少女、紫髪の魔法少女、緑髪の魔法少女。
計三人の魔法少女が新たにその場に現れた。
「だ、誰がいちゃいちゃなんてしてるのよ!!? 冗談も大概にしなさいよね!!?」
「にゃはは~、ミヤビちゃんはツンデレだにゃ~」
「大丈夫だよ。特に怪我とかはしなかったから」
「よ、良かったですぅ。ああでも魔力がほとんど無いじゃないですかぁ!? 回復かけときますぅ――」
「ほら皆さん! まずは目の前の怪異に集中してください! 今回のはかなりの強敵ですよ……!」
怪物、いやもはや怪獣と表現すべきだろうか。ただ歩くだけで街を破壊するその姿はまさしく特撮映画に登場する怪獣のようだった。
白髪の魔法少女が言った強敵という言葉で片付けていいのか分からないが、ここまでの様子からして相当に手強い怪異であるということは間違いない。
「実際にアイツの攻撃を受けたとき、アイツの瘴気に触れました。トンデモない濃さと量でした……お陰で一撃防ぐだけで魔力の大半を持ってかれましたけど」
「ええ、ここからでも分かるほどに濃い瘴気。それにあれほどの巨体です、内包している瘴気の量も凄まじいでしょうね……加えて今も尚、人々の負の感情を喰らって成長しています。このままだと本当に手が付けられなくなってしまいます」
「じゃあ、その前に倒すしかないですね。レイナさん、他の魔法少女たちは?」
「安心してくださいミヤビ。もう十分もすれば別地区担当の魔法少女たちが援軍に来てくれるはずです。ですから私達の仕事は、それまでコイツを抑え込むことです」
「でも~、別に倒してしまってもいいんだよにゃ~?」
「で、でも下手に手を出して反撃されたら手に負えないことになるかもしれませんし……!?」
「そうですね。では――」
白髪の魔法少女『レイナ』がこれからの行動を全員に伝えようとしたときだった。
五人全員が凄まじい瘴気の高まりを感じとった。
背筋を悪寒が走る。
その元凶は鋭い牙の生えた肉食恐竜のような口の中に瘴気を集めている様子だった。それは次第に密度を高めていき口の中に黒い球体が生成される。
「あ、あんなの――」
――防げないじゃない
そう言葉を続けようとしたミヤビは言い切る直前でその言葉を呑み込んだ。
それを言ってしまったなら心があの怪異に屈してしまうような気がしたから。それだけは魔法少女としてのミヤビのプライドが絶対に許さなかった。
だが怪異は更なる絶望を彼女たちに与える。
正面を向いていた口が突然、下へと向けられたのだ。
「「「「「っ!?」」」」」
上空にいる自分達に向けられたのであれば避けるなどの選択肢を取ることも出来ただろう。だが下には避難所が、その中には街から避難した多くの人達がいる。
故に、取るべき選択肢は一つしかない。
「――合体魔法を使います!! 地上への被害だけは絶対に防ぎますよ!!」
「「「「了解!!」」」」
レイナの号令で全員が動き出す。
合体魔法、それは文字通り二人以上の魔法を重ねることで通常よりもより強力な魔法を発動する技術のことだ。それによって発動される魔法は、単純に力の足し合わせでは止まらない威力を秘めている。
五人が空中で円を描くように広がり、そしてそれぞれが持つ魔法発動の触媒である杖を構える。
すると五人の頂点とした巨大な五芒星が空中に描き出される。それは各々のカラーであるオレンジ、青、白、紫、緑の五色で彩られ輝きを放っていた。
――怪異の攻撃が放たれるのと、五人の魔法が完成するのはほぼ同時だった。
「―――――――――ッッッ!!!!!」
「「「合体魔法、クインテット・フルバスター!!!!!!!」」」
真っ黒な光線と、五色の閃光が正面から激突する。
押しては押し返され、また押してはまた押し返される。
光線と閃光は一進一退の攻防を繰り広げていた。
しかし拮抗しているように見えた二つの攻撃は徐々に五色の閃光の方が優勢に押し始める。黒い光線はじりじりと押し込まれていき、この勝負の決着が見えたかに思われた。
黒い光線がその勢いを更に増してくるまでは……
「「「「「っ!!!」」」」」
突然、伝わってくる圧力が増したのを五人が感じた。
さっきまで優勢だった五色の閃光は、今度はこっちがじりじりと押され始める。
「もっと力を込めてっ!!!」
誰が叫んだのかその判別もつかないぐらいに五人は必死だった。それでもその叫びに応えるように全身全霊の力を合体魔法へと注ぎ込んでいく。
一回り太くなった黒い光線は、同じく勢いを増した五色の閃光と再び一進一退の押し合いを始める。
「――――――ッッッ!!!!!」
「「「「「はぁーーーーーーーーーー!!!!!」」」」」
裂帛の気合の直後、二つのぶつかり合いは臨界に達し大爆発を起こす。
その揺れは地面を揺らし地下のシェルターに避難していた一般市民にも伝わった。
大爆発による光と、それによって舞い上がった粉塵が街の様子を覆い隠す……
先にその姿を現したのは、怪異の方だった。驚くべきことにその身体は無傷であった。正確にいえば先程に爆発で傷は負っていたが、驚くべき再生能力を発揮しこの短時間で受けた全ての傷を回復してしまったのだ。
一方、次に姿を見せた五人の魔法少女たちは……満身創痍であった。
誰一人として無傷な者はいない。美しかった衣装はあちこちが擦り切れ、焼け焦げ、見るも無残な様になっている。その中でたった一人、立ち続けて怪異を睨みつけていたのは――ヒナタだった。
「っ……」
身体はそよ風でも倒れそうなほどにふらつき、目の焦点も定まっていない。
他の四人の魔法少女は地面に倒れ伏し、辛うじて息があるのは分かる。立ち上がろうと藻掻いている者、ピクリとも動かない者、いずれにしても状況は壊滅的。
魔法少女たちの圧倒的不利に違いはなかった。
――バタンッ
そして遂には、最後まで立っていたヒナタも地面に崩れ落ちた。
しかし、魔法少女たちがどんな状態であろうとも怪異にとっては関係ない。ただ自らの欲望のために活動する存在であるが故に、人々からより大きな負の感情を引き出すための行動を本能的に理解していた。
怪異の口元に再び、黒い球体が生成される。
五人の魔法少女による合体魔法でさえも正面から打ち砕いた絶対的な暴力がまた放たれようとしている。
今度は魔法少女という守護が無いままに。
……ここに、魔法少女という希望が打ち砕かれようとしていた。
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