はじまりの合図
そんな話を聞いてからまた少し時間が経ち、拍子抜けするほど普通の日々を送っていた。
いや、ある意味普通ではないかもしれないが。
「なるほど。僕ならまずは奴隷商に話を聞いて彼らのまとめ役を割り出します。元々特殊な仕事ですので、必ずトップ役を担う奴がいると思います」
「……なるほど。そういうものを割り出して話を聞く方が早いのですね」
「はい。ですがそういうやつほど口が堅い傾向にあるので、割らせるのには骨が折れるかと。はじめにトップに目星をつけて、その周辺を探ります。弱みを握るもあり、本人ではないところから情報を聞くのもありです」
ロイドからの提案に深く頷く。
なるほどそういうやり方もあるのか。
きっと騎士団の人たちはこういうやり方をして情報集め等をしているのだろう。
やはり彼は物知りだと感心した。
「マクベス様は物知りですね」
「そ! そんな…………。あの、その、もしフレンティア様がよろしければ、なのですが……ロイド、とお呼びいただけませんか……? あと様は不要です!」
「……では、ロイドさん、と」
「――!」
パァッと顔を明るくしたロイドのお尻に、ぶんぶんと振り回す尻尾が見えたような気がしたが、多分気のせいなので知らないフリをした。
その後もあーだこーだとロイドと話しながら歩いていると、不意に遠くから声をかけられる。
「フレンティア嬢!」
「……こんばんは、ルージュ様」
「こんなところまで珍しいですね。どうなさったんですか?」
「ロイドさんとお話をしてて、人気ないところへ向かってたらいつのまにかこんなところできてました」
「なるほど。ついにレッドクローバーに入られたのかと思いました。この先に部屋があるので」
「そうだったのですね」
レッドクローバーに入る気はさらさらないので、どこで活動しているかなんて知ろうともしていなかった。
そうなのかと思いつつも、すぐに意識をクロウへと向ける。
彼はちょうど騎士の選択授業中だったのか、汗をかきつつ手には木の剣が握られていた。
「最近はどうですか?」
「漠然としてない目標があるだけで、やる気が出てきます」
「漠然としてない……?」
「誰かの専属騎士になりたい。そんなふわっとした目標の元やってたので……。それよりも今は、あなたを守れるようになりたい」
「……」
断ったはずだけれど、彼の中では決定事項になったようだ。
まあパトリシア本人に今のところ面倒をかけてきてはいないので、好きにさせることにした。
……マリーに見られたのは別問題として。
「それじゃあ、授業を抜けてきたので。ロイドも、またな」
「ああ」
「フレンティア嬢も。また」
「はい。頑張ってくださいね」
深く頭を下げると、クロウは踵を返して走っていく。
元気だなぁとその後ろ姿を眺めていると、ロイドが口を開いた。
「僕はこのままレッドクローバーで仕事をしようと思うのですが、よろしければフレンティア嬢も少し見ていきませんか?」
なるほど、とロイドをジロリと見つめる。
どうやら気づかぬ間にロイドによってここへと案内されていたらしい。
彼の目的はパトリシアをレッドクローバーへ連れていくことだったようだ。
少しでも興味を持って欲しくてやったことなのだろうが、しかしその程度のことで都合よく動くパトリシアではない。
「行きません」
「…………そう、ですか」
落ち込んだ様子のロイドを急かして、パトリシアは彼を見送る。
このまま帰るのもいいけれど、どうせなら学園を散策するのもありかもしれない。
いつもの三人は忙しそうにしていたので、今日もまた最後には一人で図書室に行くのもありだ。
そんなことを思いながら帰ろうとしてふと、足を止めた。
「………………」
「…………こんばんは、マリーさん」
そこにマリーがいた。
ただ静かに、しかし強い拒絶の瞳をして。
もしかしたらクロウやロイドとのやりとりを見ていたのかもしれない。
彼女は強くこちらを睨みつけつつ歩みを進めた。
そしてパトリシアとすれ違うその瞬間に足を止め、ジロリと横目で見てくる。
「……嘘つきは酷い目に遭う運命なんですよ」
低い声。
今まで聞いた可愛らしい声とのギャップがありすぎて、びっくりしてしまう。
だがしかしそんな心情を曝け出すことは絶対にしてはいけないと、パトリシアはにっこり微笑んだ。
「…………嘘などついておりませんが?」
「……ほら、嘘つき」
彼女は微笑んでいるパトリシアの顔を一瞥すると、もう用はないと言わんばかりに歩き出す。
ただ最後、まるで捨て台詞のように悪意を吐き捨てた。
「私はあなたを許しません」
彼女はこのままレッドクローバーの活動場所へと向かうのだろう。
あの四人が今どんな関係なのかはわからないけれど、少なくともあの話をしてきたシグルドとは上手くいっていないのだろう。
多分焦っているのだ。
だからこそシェリーの時とは違い、ここまで表立ってやってきたのだろう。
悪手だなと、彼女の後ろ姿を見て思う。
たぶんそろそろなにか行動を起こすのだろう。
こんなにわかりやすく宣戦布告してくれるなんて。
「――ありがとうございます」
動きやすくなったとほくそ笑んだ。
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