漠然とした未来のために

 パトリシアは一人、部屋で書類を読み込んでいた。

 一つ目は奴隷解放法案について。

 ロイドはこの法案の難しいところを可決後だと思い、そこに重点を置いて記載してくれていた。

 大まかなところはパトリシアと意見は同じで、やはり奴隷という存在の希少価値が上がるほど、裏で取引される頻度は上がるだろうということだ。

 その際、現在の奴隷の扱いよりも酷いものとなる可能性が高く、彼らの命の危険も増えるだろうということだった。

 可能な限りの売買を抑えるべく、現在の流通を事細かに調べる必要がある。


「……なるほど」


 ある意味で専門家ともいえる奴隷商人から詳しい話を聞くのはいい方法かもしれない。

 そこから今後の対策を練ることもできるだろうし、表に出ていない商人たちも炙り出せる可能性もある。

 これは良い方法だと紙に纏めようとして、ふと気づく。

 これをやるのはパトリシアの役目ではないと。


「――……」


 ゆっくりと椅子の背にもたれかかり天井を見上げる。

 見慣れない木目のそれは、ここが公爵邸ではないことを教えてくれた。

 そうだ。

 今のパトリシアはもう、こういったものに関わるべきではない。

 ふわりと開けている窓から部屋の中に夜風が入り、頬を優しく撫でる。

 少しずつ肌寒くなっていくそれは、季節の変わりを教えてくれた。


「……優秀な人」


 手に持った書類を見る。

 目の付け所がパトリシアと似ていて、この書類は己の中の考えを改めるのに役に立った。

 彼と話をし、要点をまとめれば様々なことが解決できるかもしれない。

 けれど……。


「それは、私の役目じゃない……」


 ふともう一つの書類が目に入る。

 それは彼が少しだけ気まずそうに渡してくれた『女性の社会的立場における問題点』がまとめられたものだ。

 中身はある意味簡単で、才能ある女性にもその才能を発揮する機会を与えるべきでは、というものだった。

 あれだけ女女と言っていたロイドからこんなものが渡されるなんて、よほど考え込んでのことだったのだろう。


「……はぁ」


 それを読んでパトリシアの中に生まれた感情は、当たり前を当たり前だと思うことへの恐怖だった。

 女は結婚し家を守るべき。

 だからこそ適齢期になればお披露目であるデビュタントに出て、お相手を探すのだ。

 パトリシアは皇太子妃という地位が確立されていたため、相手探しをすることはなかったが、それでもデビュタントは行われた。

 お披露目のためである。

 子供の頃から将来は結婚して相手の家に入るものだと、それが当たり前だと思っていた。

 その当たり前から、抜けたはずなのに。

 今自分は令嬢にあるまじき、アカデミーに通うことをしている。

 適齢期は少し過ぎるだろう。

 そもそも元皇太子の婚約者など、誰が受け入れてくれようか。

 わかっていたのに、わかっていなかった。


「…………女性の、地位」


 この国では女性が働く機会はかなり少ない。

 平民ならばお店を開いたりすることもあるし、家がそうならデザイナーとして活躍する者もいる。

 けれどそんな人は一握りに満たない。

 皇宮で地位を持ち、意見を通せるものは男性しかいない。

 その中に女性がいる想像なんてしたことがなかった。

 ――けれど。


「……もし、女性が入ることができたなら」


 夢物語だ。

 常識を覆すことがどれだけ難しいことか、パトリシアはよく理解していた。

 この問題は根深く、そうそう簡単にはいかないだろう。

 だからこそ思う。

 もし、もしそうなれたら。


「……それは、きっと」


 パトリシアが幼い頃から夢見ていた、自分の力を発揮できる場所になるのではないか。

 きっと不可能なことだ。

 そんなことはわかっている。

 わかっているけれど、足掻いてみたいと思うのが人間なのではないだろうか。

 なにをどうしたらいいのかはわからない。

 けれど、この学園にきたばかりの時、学園長と話したこと。


『いつか必ずあなた様の目指す場所が見えてくるでしょう』


 その答えが見つかる気がするのだ。

 漠然とした目指す場所だけれど、それをこの学園にいる間に確かなものにはできないだろうか。

 パトリシアはゆっくりと立ち上がると、そっと窓辺へと近づいた。

 冷たい夜風は、熱を持ったパトリシアの頭を少しだけ冷静にしてくれる。


「……よし。頑張りましょう」


 できることを少しずつ。

 それが今、パトリシアがするべきことであり、未来につながることだと思うから。

 くるりと踵を返し机へと向かう。

 先程は止めてしまった手を動かし、紙に己の考えを書いていく。

 いつか必ず、役に立つ。

 その日が来るのを夢見て、今はただできることをやるだけだった――。

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