雷に打たれた感覚

 たくさんの人に話しかけて、たくさん友人を作りたい。

 なんてそんな決意をした時もありました。

 とある授業終わり、お手洗いに向かったパトリシアは女子生徒数人に連れられて人気のないところまでやってきていた。

 背後には校舎の壁。目の前には五人の眉を吊り上げた女性たち。

 流石にここまでくれば今の己の状況などすぐに理解できた。


「いいところのお嬢様ってもう少しお堅いと思ってたんですけれど、意外としたたかなんですね」


「誰彼かまわずちょっかいかけるのが貴族様のやりかたなんですねぇ」


 くすくすくすくす。ずいぶん楽しそうに笑うなぁと、パトリシアは目の前の女性たちを見る。

 まあ陰でコソコソさせるよりはずっといいけれど、と口を開いた。


「なにがおっしゃりたいのでしょうか?」


「なにがって……ねぇ。そんなこともわからないんですかぁ?」


「ちょっと考えればわかると思うんですけど」


 ふむ、と顎に手を当てる。

 まあ正直な話をすれば彼女たちが言いたいことはなんとなく理解できている。

 ようは牽制をされているということだ。

 彼女たちが狙っている男性がどちらなのかはわからないけれど、近づくなと言いたいらしい。

 だがしかし、わかっているからといって察してあげる必要はないのである。

 パトリシアはここにくる時に決めたのだ。自由に生きると。


「申し訳ございません。私自分が悪いことをしているだなんてこれっぽっちも思っていないものでして……。あなたたちが一体なににそんなにお怒りなのか理解できないんです。どうぞお教え願えますか?」


 面倒だからはっきり言ってくれ。

 そんな思いを込めて口にした言葉だったが、どうやらきちんと伝わったらしい。

 明らかに顔が険しくなった女生徒は、強く拳を握り締めた。


「あなた、クライヴ様とハイネ様に近づかないで」


「近づいておりません」


「はぁ!? さっきそばにいたじゃない!」


「さっきとは教室でのことでしょうか? ならばそれはお二人からいらっしゃったのです」


 パトリシアから二人に近づいてはいない。

 だからそう答えたのに、目の前の顔はより一層怒りに染まっていく。


「はぁ!? あんたがたぶらかしたんでしょ! あのお二人のことを思って離れるくらいしなさいよ!」


「相手は高貴な方ですよ? 私から拒絶なんてできるはずがありません」


「そっ……」


 実際その通りなはずだ。

 彼らは二人とも高貴な血筋の方であり、公爵家令嬢といえど本来ならこのように気軽に話ができる存在ではない。

 そんな人たちから話しかけられて無視をするなんて、下手をしたら不敬罪で罰せられてしまうかもしれない。

 だからこそ無視なんてできるはずがないのに、彼女たちは言葉に詰まりながら、なおも詰め寄ってくる。


「だったら、お二人から嫌われるような行動をとりなさいよ!」


「それこそ不敬罪にあたると思うのですが……」


「うるっさいわね! いいからとにかく――」


「なんの騒ぎですか?」


 彼女たちの背後から男性の声がした。

 振り返った女生徒たちがこぞって息をのみ、頬を赤らめはじめる。

 その様子を見てもしやクライヴやハイネがきたのかと予想したが、それは間違いであるとすぐにわかった。

 見覚えのあるその姿は、昨日出会ったアヴァロン国伯爵の子息、シグルド・エヴァンスだ。

 彼は女生徒たちを見た後、その先にいるパトリシアを見つけ瞳を大きく見開いた。

 なんだかいつもこんな顔をされるなと思う。

 ひとまずぺこりと頭を下げれば、途端に眉を寄せる。


「……彼女は公爵家の御令嬢だぞ」


「べ、別におかしなことはしていませんっ、ただこの学園での過ごし方を教えていただけで」


 まあ確かに彼女たち流の過ごし方を教えてくれていただけなので、間違ってはいないだろう。

 ものはいいようだ。


「教える? お前たちが? 一体なにを教えられるというのだろうな。私にも是非ともご教授願いたいものだ」


「……そ、それは……」


「入学してから勉強の一つもしてないくせに、人に物を教えようなんて傲っているにもほどがある」


「……っ、」


「どうせ男子生徒についてあれこれ言っていたんだろうが、そんなことをする前にやるべきことがあるんじゃないか?」


「…………」


 さきほどまで赤くほおを色付かせていた女生徒たちは、青ざめ黙って下を向いている。

 中には涙目になっている者もいて、なんだか嫌な感じだとパトリシアは腕を組んだ。

 シグルドの言いたいこともわかる。

 ここは学舎であり、そのための場所と言っても過言ではない。

 だというのにその本分を忘れ、色恋に狂う様は確かに見ていていい気分ではない。

 だがしかし、同じ女性としてわかる部分もある。

 結ばれるのなら素敵な人と。

 それは恋に夢見る女性なら一度は考えたことがあるはずだ。

 白馬に乗った王子様とはいわずとも、少しでも理想の人と添い遂げたい。

 その感情を、悪いものだとは思いたくない。


「だいたいお前たちは……」


「エヴァンス様、そこまでに」


 まだ続きそうだったところを止めれば、彼はこちらを鋭い視線で射抜いてくる。

 明らかに不服そうな顔に、しかしパトリシアはいっさい下がらなかった。


「なぜ止める? 私は君を助けようとしたのだが」


「はい、わかっております。お助けくださりありがとうございます」


「なら」


「それとこれとは話が別です。あなた様が今なさっていることは、私という存在を盾にして彼女たちを傷つけているだけです」


「――……なんだと?」


 怒りに顔つきがさらに険しくなるが、それを怖いとは思わなかった。

 なんとなく彼はアレックスに似ている気がする。

 人の意見を真っ向から否定するところが同じだなと思うと、不思議と恐怖は生まれてこなかった。

 嫌な意味で慣れたのかもしれない。


「エヴァンス様のおかげで彼女たちは反省したと思いますので、これで終わりにいたしましょう」


「……君は聖人にでもなるつもりか?」


「まさか」


 笑ってしまう。

 聖人だなんて、そんな存在にパトリシアがなれるわけがない。

 むしろそんな存在よりもずっと遠い位置にいると自負している。

 皇后となるつもりだったころなら、もしかしたら違ったのかもしれない。

 しかし今のパトリシアはただの令嬢で、感情を抑制する必要があまりないのだ。

 だからこそ、なおのこと彼女たちを許せるのだ。

 昔ならばしきたりに添い罰したであろうが、そのしきたりがここにはない。

 ならばパトリシアのすることは一つ。


「興味がないんです、彼女たちに。どうでもいいとさえ思います。だからこれ以上、どうか私の手を煩わせないでください」


 それはあなたもだと、視線で訴える。

 面倒ごとに時間を割きたくないからこそ、彼にも関わりたくないのだ。

 パトリシアの言葉を聞いて固まったシグルドに、初めて会った時と同じように軽く頭を下げて挨拶をした。


「ごきげんよう、エヴァンス様、女生徒の皆さま」


 苗字で呼ぶのは親しくなるつもりがないという拒絶。

 もちろんそんなことまでは気づかないだろうけれど、これは自分ルールというものだからいいのだ。

 彼を振り返ることなくその場を去る。

 シグルドはどうやら一つ上の学年らしいので会う機会もないだろうし、突き放すように言ったのだからこれでもう関わってはこないはずだ。

 女生徒もこれで多少は懲りただろうし、しばらくは静かになるのではと期待している。

 後数分で次の授業が始まるため、少しだけ急いで教室に向かう。

 いったい次はなにを教わるのか、楽しみで仕方がないとわくわくしているパトリシアは知らない。

 その後ろ姿が消えてもなお、残像を探すように虚空を見つめるシグルドの瞳に――。

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