第17話
「アレックス様」
「――、パトリシア」
抱き合う二人は、傍から見れば仲のいい恋人同士に見えるのだろう。
それを見たのが、男の婚約者候補でなければ。
慌てた様子のアレックスと、泣いていたのだろう目尻を赤らめたミーアがいた。
「なぜ、彼女が、ここに?」
「それは……」
「皇帝陛下はこのことをお知りですか?」
「…………いや、父上はご存じない」
後ろめたいことがあるということかと、ただ黙って彼を見つめた。
皇帝の誕生祭に、よりにもよって彼女を連れてくるなんて。
「少しだけ参加させたがすぐに帰すつもりだった。だから今会場の外に――」
「そういう問題だと、アレックス様は本当にお思いですか?」
少しだけだから、だから許されるものなのか。
もし彼が本当にそう思っているのなら、考え方が根本から違うのかも逸れない。
交わることは、もうないのかもしれない。
それでもほんの一握りでもいいから、小さな希望に賭けたくて。
パトリシアは口を開いた。
「アレックス様、今一度よくお考えください。このようなことが皇帝陛下のお耳に入ったら……」
「わかってる、わかってはいるが……」
「わかっているのならなぜ」
「もうやめてくださいっ!」
突然後ろに押されたと思ったら、パトリシアとアレックスの間にミーアが入ってきた。
彼女は目元に涙を溜めたまま、こちらを睨みつけてくる。
「アレックス様にパーティーに出させてくださいとお願いしたのは私です! 怒るなら私にしてくださいっ」
「……そういうわけにはいきません。あなたを連れてきたのはアレックス様なのですから、責任は彼にあります」
彼女がどれほど願い出ようとも、アレックスが良しとしなければパーティーになんて出れるはずがない。
それに立場が違いすぎるのだ。一使用人と皇太子、責任の重さが違いすぎる。
だからこそアレックスに責任の有無を追求しているのだが、どうやら彼女はわからないらしい。
「……どうしてパトリシア様はいつもアレックス様に冷たく当たるのですか。かわいそうだとは思わないのですか? そんな……そんなだから……私はアレックス様をお一人にはできなくて……」
「ミーア……もういい。少しパトリシアと二人で話をしてくるから、君は先に戻っていてくれ」
「でも、またアレックス様が傷つくのではと不安で……」
「ありがとう。でも私は大丈夫だから。先に会場で待っててくれ」
「……はいっ」
なにを、見せられているのだろうか。
壊れ物に触れるかのような手つきで彼女の涙を拭うその指に、パトリシアは信じられないものを見る目を向けてしまう。
この二人といるといつもこんな感情を抱くなと、思わず額を抑えていた腕を取られ、アレックスに連れられて庭園の端へと移動させられた。
「パトリシア。君の言いたいこともわかるが、少しはミーアに優しくしてあげてくれないか。君が彼女に優しくしてくれるだけで、周りの目も変わるだろう」
「なぜ私が? 周りの目を変えてどうしたいというのですか。彼女を側室にするつもりはないのでしょう?」
「…………それは、」
言い淀み視線を逸らすその様子を見て、彼がミーアの気持ちに気づいたことを察した。
彼女がその先を願わないわけがないのだ。ただでさえ今、皇太子に愛されているという事実があるのだから。
「……では、なさるおつもりだと?」
「いや……、私はっ」
「だからパーティーに連れてきたと? 彼女をお披露目しようと」
「――、」
彼の反応を見てわかった。どうやら口にしたことは事実だったらしい。
たとえ今奴隷であったとしても、皇太子が彼女を側室にすると宣言すれば、そう易々と覆せるものではない。
皇族の言葉とはそれほど重く責任のあるものなのだ。
それがわかっているからこそ、彼はそれを逆手に取ろうとした。
既成事実を作ればいい、と。
「……仕方ないだろう。君とクライヴから脅迫を受けたと怖がっていたんだ。私に捨てられるのでは、と」
「だから側室にすると約束したのですか? 私にはしないとおっしゃったのに?」
「そもそも君たちが余計なことを言わなければ、彼女はあんなことを口にしなかったんだ!」
「そんなわけ、ありません……。私たちがなにも言わなくても、彼女はそれを望んでいたのです。なぜ分かろうとなさらないのですかっ」
パトリシアに内緒で、二人は勝手に進もうとしたのだ。
あのパーティー会場で側室をとると宣言されていたら、一体どんな顔でそれを聞いたらいい。
パトリシアはまだ、皇太子妃にすらなれていないというのに。
何年も何年も待ち続けて、それでもなれていないのには理由がある。
それをわかっているはずのアレックスが、なぜ……?
「わかってる! だがその願いを口にしだしたのには君とクライヴに責任があると言っているんだ!」
「責任? あなたがその言葉を口になさるのですか? 今この状況になっているのはなぜだとお思いですか?」
「……っ、君はっ、……君と話していると、頭がおかしくなりそうだ。人に優しくすることのなにが悪い、人を愛することのなにが悪い。君は人を愛したことがないからわからないんだっ!」
「――」
例えるならプチッ。
伸ばした糸を切るように。
張り詰めた紙に穴を開けるように。
ぷつんと大きな音が一つ、己の中で鳴った気がした。
その瞬間は不思議な感覚だった。
目を開けているのに視界が一瞬で真っ暗になって、瞬きを何度かするうちにだんだんと見えるようになっていく。
その間わずか数秒。けれどそれだけの時間で、パトリシアは一つの大きな決意をした。
「わかりました。では、皇太子殿下、参りましょう」
「なにを、っ、おい!」
彼の手を掴んで走り出す。
その時の気持ちは、きっと一生忘れることはないだろう。
なんて晴れやかな気分だろうか。
心はずっと穏やかで、けれど喜びに溢れていて。
不安や恐怖はもうなかった。
ただ、前だけを見て。
走って走って、そしてパーティー会場へとたどり着いた。
無理やり連れてきた彼から手を離し、視界の端にミーアがいるのも確認して。
訝しむ周りの人達。驚いた顔の皇帝や皇后、そして父を見ながら、パトリシアは声高々に宣言した。
「――私、パトリシア・ヴァン・フレンティアは、皇太子殿下の婚約者の座を退きます。皇太子妃には――なりません」
序章.完
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