第12話

 今年は赤色で合わせましょう。

 そう送った手紙の返信はなかった。

 相変わらず奴隷解放の件で顔を合わせることはあっても、特別二人で話をすることもない。

 あの頃はまだ小さな火種だったそれも、やがて大きなものとなって至る所に飛び火した。


「見た? あの奴隷と……」


「見たわ。あんなに親密そうに」


「聞いた話じゃ自室に呼んだって」


「フレンティア公爵令嬢は?」


「さあ。最近お二人で一緒にいるところなんて見てないもの」


「どうするおつもりなのかしら……?」


 聞こえてくる声から意識を背け、背筋伸ばして歩く。憐れみの視線も、からかいの声も、その全てを無視して。

 ただ真っ直ぐ前だけを見た。

 今日はデビュタント当日だ。パトリシアは主役の令嬢たちほど目立たず、しかし華やかな装いで纏めていた。

 もちろん、その身には赤を纏って。赤い髪留めに赤い耳飾り。ドレスは赤を引き立たせる黒を基調に、足元にいけばいくほど赤い宝石が煌めいている。

 そんなパトリシアの隣にいるのは、同じように黒を基調にしたアレックスだ。耳飾りや首元のアクセサリーなど目立つところに赤が入っている。

 暗くなってしまうかと懸念したけれど、二人ともとても似合っており、落ち着いた大人の雰囲気を出せた。

 これなら令嬢たちを邪魔することもないだろうと安心したほどだ。

 会場ではデビュタントの主役たちが、皇帝と皇后に挨拶をしている。

 それが終わればダンスが始まるため、大人たちはしばし待ちの時間だ。

 ちょうどいいと、パトリシアはアレックスに声をかけた。


「少しよろしいですか?」


「……」


 いいとも悪いとも言わずに、アレックスは人気のない方へと歩いていく。

 それに黙ってついていき、二人は静かな庭園へとたどり着いた。

 護衛もつけずに大きな木の下に二人でいるのは、勉強を抜け出して遊んだ幼い頃以来だ。


「なぜあの場にあの奴隷がいたのですか?」


 そんな思い出の場所でこんな話をしなくてはならないなんて。

 楽しい思い出が塗りつぶされていくようで、なんだかとてもイヤな気持ちになった。

 だがそれはアレックスも同じだったらしく、不愉快な質問に顔を歪ませた。


「彼女を奴隷と呼ぶな。……使用人がいることのなにが悪い」


「彼女はあそこにいるべき者ではなりません。お客様と接する可能性のある者は厳選されているはずです」


 貴族たちが集まるパーティー会場で働ける者は限られている。

 そこにミーアは入っていない。なのにあの場所にいれたのは、きっとアレックスが裏で動いたのだろう。


「なぜそのようなことをなさったのですか?」


「……彼女はパーティーに出たこともないのだ。見てみたいというから、少しだけ顔を出させただけだ」


「少しだけ? その間になにかあったらどうなさるのですか。その間の仕事は? 他の者に負担がかかっていないと断言できますか?」


「――、」


 できないはずだ。例えば彼女がその時までに与えられていた仕事を終わらせていたとしても、会場にいる時間にするべきだった仕事はできないはずだ。

 追加の仕事を与えようにも本人がいないのなら、きっと同僚がさらにやることを増やされていることだろう。

 そもそも、ミーアが皇太子に気に入られていると噂されている時点で、彼女に与えられる仕事は減ったはずだ。

 その皺寄せは、必ずどこかにいっている。


「彼女は元の仕事に戻すべきです」


「……ただ、パーティーを見てみたいという願いすら叶えてはいけないのか? 終わったら必ず帰す」


「なすべきことをなさずにいては、いつか必ず他の者たちから不満が生まれます。そうなって困るのは彼女なのですよ?」


「他の者たちはただミーアを妬んでいるだけだろう。放っておけばいいのだ」


 そうではないとなぜわからないのかと、どう伝えればわかってくれるだろうかと考えた時、ふと気がついた。

 彼はそもそもそういう環境に陥ったことがないのだ。

 パトリシアは社交界デビューしてからというもの、未来の皇太子妃として羨望や嫉妬の眼差しを受けてきた。

 周りとの関係を良好にするためにしてきた行動は沢山ある。

 だからこそ周囲との軋轢を生まないことがどれほど大切なのかを知っているのだ。

 そこに気を使えるか使えないかで、その後の行動も大きく変わってくる。

 だがしかし、アレックスはそれを知らない。

 なぜなら彼は生まれながら上に立つ人であり、周りがそういった意味で気を遣っていたからだ。


「違います。その不平不満は妬みだと片付けていいものではないのです」


「彼女を傷つける者は全て辞めさせればいいだけだろう」


「奴隷解放をしようとなさっている方が、そのような私利私欲で人を解雇してはなりません」


「奴隷解放の件とは関係ない。……もういい。疲れた。彼女を下がらせればいいんだろう」


 よくはない。これのなにが悪いのか理解できなければ、彼はまた同じようなことを繰り返すだろう。

 だから止めようとしたのに、パトリシアが口を開く前に手で制された。


「私はもういいと言ったんだ。これ以上君の意見を押し付けないでくれ」


 それだけ言うとアレックスは振り返ることなくその場を後にする。


「……」


 こうやって去っていく彼の後ろ姿を見るのは何度目だろうか。

 今日という日を楽しみにしていたのに。一緒に入場できたことを本当に嬉しく思ったのに。

 結局こうなってしまうのだ。

 もしかしたらもう、昔のようには戻れないのかもしれない。

 彼の心にミーアがいるかぎり、この関係が改善することはない気がした。


「……どうしたらいいの」


 しかしどれほど考えようとも、この現状を打破する名案が思いつくことはなかったのだった。

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