第34話   一難去ってまた一難

「さ、さ、さ、三千人! 一ヶ月前までは五十人もアクセスしていなかったのに!」


「フラー(馬鹿)、モニターに唾を飛ばすな! 汚いだろうが!」


「す、すいません。あまりにも驚いたもので」


 夜一は持参していたティッシュで液晶モニターに付着した唾を拭き取る。


「ほんまや! アクセス数が信じられんほど増えとる! 芸能人がユーチューブに配信動画をアップしても同接100人もいかへんこのご時世に、こんな一高校のホームページに千を超えるアクセスがあるやなんて」


「あらあら、これはどうしてかしらね?」


 奈津美と君夜もアクセスカウンターの人数に驚嘆の声を上げると、武琉はマウスのカーソルをカウンターの場所に固定させて両足を組んだ。


「実はさっき部室に来る途中、漫研やアニ研の奴らに呼び止められて根掘り葉掘り訊かれたんだよ。動画コンテストに応募したラジオ番組のことをな」


「どうして漫研やアニ研の人たちがラジオ番組のことを?」


「上里円清をゲストに呼んだからに決まっているだろ」


 武琉は続いてパソコンのメールをチェック。


一部始終を武琉の背後から覗いていた夜一は、驚きを通り越して呆然としてしまった。


 メールの数が千オーバー。


それもスパムメールではない。


きちんとしたタイトルと内容が書き込まれている。


「これは予想以上の反響だな。連中が言っていたように先週の〈ひまわりスロット〉で上里さんがワン(俺)たちの番組を褒めてくれたからか。いや~、念のために予防策を取っておいてよかった」


「〈ひまわりスロット〉って若手の女性声優さんが一人でパーソナリティをしているラジオ番組ですよね?」


 夜一も〈ひまわりスロット〉の名前は知っていた。


一度も聴いた覚えはないが、確か人気アニメのタイアップとして始まったラジオ番組である。


「そうだ。その〈ひまわりスロット〉のラジオに上里さんがゲスト出演したみたいでな。ワン(俺)たちの番組に出演したことを高評してくれたらしいんだ。それで漫研やアニ研の連中が上里さんをゲストに招いた映像つきのラジオ番組を観せてくれって喧しかったよ」


 武琉は口の端を鋭角に吊り上げた。


「金を払ってでも……ってな」


 守銭奴の顔つきに豹変した武琉は、メールを一通一通開いて中身を確認。


二十通も読んだときには「これはイケるぞ」と雄叫びを上げた。


「名護先輩、もしかして先輩の言った借金を返済する話し合いって」


 一方、武琉と同様にメールを黙読していた夜一は目元をひくつかせる。


そんな夜一に顔だけを振り向かせた武琉は小さく首を縦に振った。


「売るぞ。ワン(俺)たちが収録したラジオ番組を」


「いや、それはさすがにマズいんじゃ……」


「何がマズい?」


「何がって詳しくは知りませんけど色々な権利があるじゃないですか」


「それは肖像権なんかのことを言っているのか?」


「そうそう、それですよ。俺たちだけが映っている番組ならともかく、ゲストにプロ声優を招いたんですよ。仮に番組を販売しようとしても上里さんの事務所が黙っていないでしょう?」


 チチチ、と武琉は軽快に舌打ちした。


「だから俺は前もって上里さん本人から確認を取ったんだ。お前も聞いていただろ? 本番収録直前に番組の権利はワン(俺)たちラジオ放送部が持つと。それに〈オフィス・リング〉は上里さんが経営する事務所。つまり社長本人のお墨つきに他ならない」


「だからって本人や事務所の許可を取らずに販売するのはどうかと」


「そう言われればそうだな。じゃあ、今から上里さんの事務所に連絡して正式な許可を取ってくれ。頼んだぞ、朝霧」


「俺ですか!」


「上里さんをゲストに招いたのはお前だ。だったら許可を取るのもお前だろ?」


 武琉は機敏な動きで席を立つと、夜一の両肩を強く掴んだ。


「頼む。ワン(俺)たちが借金を返済する当てはもうこれしかない」


 爪の先が皮膚に食い込むほど武琉は力を込めてきた。


さすがは空手の有段者だ。


腕力が常人とは桁外れに強い。


「痛っ! わ、分かりましたから手を離してください! 鎖骨が折れる!」


 夜一は痛みに耐えかねて、自分の持つ最大限の力で武琉の両手を離す。


「少し時間をください。外で電話してきますから」


 そう告げると、夜一は颯爽と出入り口の扉に向かう。


未だに顔を押さえて悶えている秋彦の身体を跨いで屋外へ出た。


「こんな形でまた電話することになるとは」


 夜一はスマホを取り出してアドレス帳から相手の電話番号を選択した。


〈オフィス・リング〉ではない。


実の父親である上里円清のスマホにである。


 仕事中かと思われたものの、相手は十コール目でようやく電話に出た。


『ふあ~、もしもし……上里ですけど~』


「仕事じゃなくて寝てたのかよ。もう四時だぞ」


『昨日の夜、久しぶりにラジオのスタッフと飲みに行ってな。気がついたら数軒の店をハシゴして朝だった……ってどちら様?』


「スマホの画面に相手の番号と名前が表示されるだろう。俺だよ俺俺!」


「何だ。今どきオレオレ詐欺か」


「違う! あんたの息子の夜一だよ!」


「うう~ん、夜一?」


 電話の向こうで伸びをしながら欠伸する円清の姿が夜一の脳裏に浮かんだ。


「そう、あんたの息子の夜一。二日酔いのところ悪いんだけど、父さんにちょっと訊きたいことがあったから電話したんだ」


『…………何だって?』


「父さん、今絶対に寝てただろ!」


『寝てない寝てない……で、肝心の訊きたいことって?』


 夜一は掻い摘んで事の真相を話した。


 ラジオ放送部は理由があって多額の借金を負っていること。


借金を返済するために円清を招いて、高額な賞金をもらえる動画コンテストにラジオ番組を応募したこと。


結果的に応募したラジオ番組は佳作止まりで賞金がもらえなかったこと。


そして現状を打破するためにラジオ番組をDVDとして売りたいということをである。


『別にいいよ』


 数分の時間を有した夜一の話に対して円清の答えは一言だった。


『あのときにも言ったけど、番組の権利は全部お前たちの物だ。俺は約束のギャラをもらったし口を出すつもりもない。だから好きにしろ。以上』


 おやすみ、と最後につけ加えて電話は切られた。


ツー、ツー、ツー、と寂しげな電子音が夜一の鼓膜を震わせる。


 数十秒後、夜一は携帯電話を仕舞って部室の中へ戻った。


「どうだった? 事務所の許可はもらえたか?」


 室内に入るなり、武琉が心配そうな顔で尋ねてきた。


「事務所はどうか知りませんが、本人から許可はもらえました。好きにしていいそうです」


「トーヒャー(よっしゃあ)!」


 武琉は沖縄弁で喜びを表現すると、うつ伏せになっていた秋彦に呼びかける。


「おい、秋彦。いつまで寝ている。ワン(俺)たちの借金を返済できる目途が立ったぞ」


「誰かさんに顔を鞄で叩かれたせいで起き上がれません」


「いいから起きろ。さもないとお前が数々のラジオ番組でもらったノベルティを握り潰す」


「ピロリロリ~ン! 勇者は魔法使いの呪文で目覚めた! おはようございます!」


 秋彦は意味不明な言葉を発して跳ね起きた。


どうやら学生鞄で顔面を叩かれたダメージは完全に抜け切ったようである。


「さて、諸君。これでワン(俺)たちの行く手を阻む障害はすべて消えた。ならばワン(俺)たちが取るべき手段は一つ。ラジオ放送部番外編を一枚のDVDにして販売するんだ!」


 饒舌に喋り始めた武琉を他所に、夜一は復活した秋彦に近づき耳打ちした。


「部長、何だか名護先輩の性格が変わっていませんか?」


「ああ……あいつ普段は寡黙で無愛想だけど、なぜか自分が目立つような場面になると行動力が増してお喋りになるんだ。空手の道場でも率先して師範に組手を挑むらしいぞ」


 秋彦が口元を隠すようにして呟いたときだ。


「そこの二人! 何をコソコソと話をしている! ワン(俺)の話を真面目に聞かない奴は顎に蹴上げをお見舞いするぞ!」


 武琉の激語に夜一と秋彦は一斉に口を閉じる。


「よーし、じゃあ話を戻すぞ。ワン(俺)たちが君夜に負った借金の総額は約百万。これをすぐに返済するまともな手立てはない。君夜を除いた四人が毎日バイトに明け暮れたら別だが、すでにワン(俺)と秋彦はバイトが見つかって停学を食らった身だ。今度、学校に内緒でバイトしたら問答無用で退学させられる」


 しかも、と武琉は語気を荒げて話を続けた。


「ワン(俺)、秋彦、君夜の三人は来年で三年。せっかく今年になってラジオ放送同好会が正式な部活動として学校に認められたんだ。忌々しい借金なんて早々に全額返済してクリーンな身で活動したい。そこでワン(俺)は考えて」


「はいはーい。先生、水を差すようで悪いんですが質問ええですか?」


「誰が先生だ、と一応のツッコミは入れておいて……質問なら自由に受けるぞ、はい奈津美くん」


「うちらが収録した番外編のDVDなんて、動画にせよ音楽にせよ今どきの世間様に売れるんかな? だって百万円分の借金をチャラにするには相当な売り上げが必要やで」


 この言葉に全員は一斉に口を閉ざした。

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