第24話   不吉な予感

 声をかけてきた主は生活指導の教諭である。


 岩島という名前で一年中ジャージを着ていることで有名らしい。


「岩島先生、前もって弁明しておきますけど俺は校則に違反するようなことは何一つしていませんからね。本当ですよ。隠れてバイトもしていません」


「おい、それは遠回しにアルバイトをしていると言っているのか?」


「ち、違いますって。本当にバイトはしていませんよ。演技の勉強のために叔母の経営している幼稚園で朗読なんかはしていますが、それだってお金はもらっていません」


「幼稚園というのは、あじさい幼稚園か?」


「は、はい。そうですが……どうして先生が叔母の経営する幼稚園の名前を?」


「そのあじさい幼稚園からお前に電話だ。何でも急な用事だからと」


(幼稚園から学校に電話?)


 夜一は眉根を寄せて首を捻った。


 普通に考えて電話をかけてきたのは叔母の宏美だろう。


 しかし、わざわざ学校に電話をかけてくる理由が分からなかった。


 用事があるのなら携帯電話にかけてくればいいのに。


「お手間をかけてすいませんでした。すぐに出ますから」


「そうか。電話は私の席に回してもらっている。使い方は知っているか? 受話器を取って外線の二番ボタンを押すんだ」


「受話器を取って外線の二番ボタンを押すんですね」


 岩島の席に案内された夜一は、教えてもらった通りに受話器を取って外線の二番ボタンを押した。


 受話器を耳に当てて「代わりました。朝霧です」と返事する。


 しかし、夜一はすぐに異変に気づいた。


 受話器からは「ツー」という電子音しか聞こえてこない。


 話し中ではなく完全に切れている。


「どうした? 鳩が豆鉄砲食らったような顔して」


「間違い電話だったんじゃありませんか? 切れていますよ」


「おかしいな。電話を取った先生の話ではあじさい幼稚園と名乗ったらしいぞ。何だったら電話して確認してみるか?」


「それには及びません」


 夜一は首を傾げたまま静かに受話器を置く。


「本当にお手間をかけました。折り返し自分から電話しておきます」


「遠慮せずに使っていいんだぞ」


「部活動中ですので止めておきます。失礼しました」


 独特の雰囲気に満たされていた職員室から一刻も早く立ち去りたかった夜一は、岩島に軽く一礼するなり早足で出入り口へ向かった。


 職員室に用があったのだろう何人かの生徒とすれ違いつつ退室する。


 すると夜一は周囲の目を気にしながらスマホを取り出した。


 登録されていた宏美の携帯電話番号を選択して通話ボタンを押す。


『おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません』


 無機質な圏外トーキが夜一の耳朶を打つ。


「あの人はどこにいるんだ?」


 夜一はすぐに通話を切ると、今度はあじさい幼稚園に電話をかけた。


 五コール目で相手が電話に出る。


『もしもし、あじさい幼稚園です』


「お仕事中すいません。俺……いや、僕はいつもそちらで朗読をさせていただいている朝霧夜一と言います」


『朝霧夜一さん? ああ、はいはい。思い出した。園長先生の甥っ子さんね』


「そうです。それで、すみませんが叔母を呼び出していただけませんか?」


『園長先生なら二日前に有給を取って旦那さんと旅行中です』


「旅行? 一体どこに?」


『沖縄です。何でも与那国島の立神岩を見に行くと喜んでいましたよ』


「じゃあ、さっき僕の学校に電話をかけてきたのは誰なんですか?」


『さあ? 私に訊かれても……』


 要領を得ない返事に夜一は頭を抱えた。


 昨日といい今日といい、どうやら不運や不審というモノは立て続けに襲ってくるらしい。


「そうですか。お仕事中にすいませんでした」


『滅相もない。子供たちも楽しみにしていますから、また遊びに来てくださいね』

「ありがとうございます。それでは」

 夜一は何度も礼を述べて通話を切る。先生に見られると厄介なので、すかさず携帯電話をズボンのポケットに仕舞う。


「じゃあ電話をかけてきたのは誰なんだ?」


 しばらく廊下の角で思考に耽っていた夜一だったが、一向に答えが浮かんでこないことに時間を費やしても無駄だと悟った。


 なので足を動かしてラジオ放送部へ戻っていく。


 グラウンドを迂回して文化系サークル棟の裏手へ。


 心を落ち着かせてくれる小鳥の鳴き声を聞きながらプレハブ小屋の扉を開ける。


「おかえり。どうだった? 生活指導の先生たちの説教は厳しかっただろう?」


「どうやら間違い電話だったようです」


「学校に間違い電話をかけてくるなんて凄いな。しかも相手は夜一君を名指ししたんやろ」


「でも切れてから誰が電話をかけてきたのか分からずじまいだったけど」


 夜一は奈津美の隣に座った。


「おかえり。どうだった? 生活指導の先生たちの説教は厳しかっただろう?」


「相手は自分の名前を名乗らなかったのか?」


「それが叔母の経営する幼稚園の名前で俺を呼び出したんです。けれど肝心の叔母は旅行中で幼稚園に電話をかけても誰が電話をかけたのか分かりませんでした」


 武琉の質問に夜一は嘘偽りなく答えたときだ。


「おかえり! どうだった! 生活指導の先生たちの説教は厳しかっただろう!」


 ついに我慢が限界に達したのだろう。


 秋彦は目元に若干の涙を浮かばせると、癇癪を起こした子供のように何度も長机を叩く。


「泣かないでくださいよ、部長。ちょっと無視したぐらいで」


「お前は無視される辛さを知らないからそんな悠長なことが言えるんだ。そう、あれは俺が中学生になったばかりのこと。俺はクラスメイトの女に恋をした。俺が声をかけるたびに「うるさい。黙れこの見てくれだけのラジオオタクが!」と罵ってくれた女に。だが、ある日から返事一つしてくれなくなった。そのとき、俺は生まれて初めて痛感したんだ。好きな女に無視されると身体の奥底からゾクゾクするのだと」


 夜一は秋彦とつき合いが長いという武琉に目線で回答を求めた。


「こいつ、言動はSだけど基本的にMだから」


「ええ! だって奈津美は部長のことを攻めだと」


「それは奈津美の脳内設定の話だ」


 事の真意を確かめるべく、夜一は武琉から奈津美に颯爽と視線を移す。


「ちゃうねん、部長は攻めやねん。ちゃうねん、部長は攻めやねん。ちゃうねん、部長は攻めやねん。ちゃうねん、部長は攻めやねん。ちゃうねん、部長は攻めやねん」


 そこには長机にべったりと顔を突っ伏し、何かを召喚する呪文のように「ちゃうねん、部長は攻めやねん」と繰り返す奈津美の姿があった。


「夜一君、三人に構うより今は台本を最後までチェックしたら? ゲストを招いてのラジオ放送は三日後の土曜に控えているのよ」


 君夜の甘い声を聞いて夜一は胸中で舌打ちする。


「九頭竜先輩に言われなくともしますよ。台本チェックは声優の基本ですから」


「声優? 今のあなたは声優志望でしょう? よ・る・い・ち・く・ん」


 夜一は爪の先が皮膚に食い込むほど拳を握り締めた。


 相手に心情を悟られないように引きつった笑みを浮かべたまま。


「そうでした。俺はまだ声優志望でした。ど・う・も・す・い・ま・せ・ん」


 心のない謝罪を一言ずつ述べた後、夜一は再び台本のチェックにかかった。


 君夜と顔を合わせないよう君夜側に頬杖をついて。


 だからこそ夜一は見抜けなかった。


 君夜がかすかに唇を歪ませながら夜一を見ていたことに。

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