第11話   初デートは突然に

 翌日、土曜日ということも相まって綾園市の繁華街は活気に溢れていた。

 

 天気は快晴。絶好のデート日和である。


 だが多くの人間で賑わっていた繁華街とは違い、竹林や大きな池が掘られていた綾園中央公園は喧騒とは無縁な雰囲気に包まれていた。


 池の周囲に作られていた道を何組かの老夫婦がランニングしており、池の近くにあった公園内では子供たちが無邪気に遊んでいる。


(駄目だ……このままでは駄目だ)


 公園内のベンチに座っていた夜一は、自分自身の不甲斐なさに辟易した。


 今日の夜一はTシャツの上からチャコールグレーのカットソーシャツを重ね着し、下半身にはストライプの入った黒のブーツカットパンツという姿だ。


 ふと夜一は流し目で隣を見る。


 同じベンチにはデートの相手である奈津美がマックシェイクを片手に座っていた。


 学校では三つ編みだった髪はアップされ、眼鏡も外してコンタクトに変えられている。


 衣服も地味な印象は微塵もない。


 私物が入ったポーチ、グレーのヘンリーネックシャツ、そして黒の膝丈パンツというスタイリッシュな服装だ。


「なあ、夜一君」


 マックシェイクを飲み終えた奈津美が口を開いた。


「うちとのデート楽しなかったん?」


「え? な、何で?」


「何でって……夜一君、待ち合わせした場所で会ってから今の今まであんまり喋ってくれへんやん。そんでうち思ったんよ。やっぱり、うちとデートなんて楽しなかったんかなって」


 とんでもない、と夜一は心中で高らかに叫んだ。


 無理やり秋彦から宛がわれたデートだったが、そこは異性にただならぬ興味を持っている高校生だ。


 夜一は三十分も早くから待ち合わせ場所の綾園駅前で相手の女性を待ち続けた。


 そして待ち合わせ場所に選んだ綾園駅前で合流するなり、夜一は綾園市のデートスポットに奈津美を積極的にエスコートした。


 何気なく街を見て回った後で映画館にて人気のラブロマンス映画を鑑賞。


 その後は昼食を挟んでショッピングをするなど自分なりに頑張ったつもりだ。


 しかし、どれだけ当人が頑張ろうと相手に不快な思いをさせてしまっては意味がない。

 現在の時刻は午後一時過ぎ。


 奈津美とデートを始めのが午前十時からだったので、かれこれ三時間が経とうとしている。


 夜一は数時間前の出来事を脳裏に浮かべる。


 思い返せば最初の印象から最悪だった。


 せっかくお洒落をしてきた奈津美に対して「似合っているよ」の一言も伝えられず、映画館では売店でパンフレットやグッズを選んでいるときも適当に相槌を打つだけ。


 挙句の果ては昼食を取るために入ったマックでも、緊張で上手く話せないというチキン振りだった。


 決して奈津美のことが嫌いだったわけではない。


 そればかりか、学校とプライベートのギャップに唖然とするほど驚いたほどだ。


 それほど私服姿の奈津美は可愛かった。


 純朴で委員長タイプの眼鏡キャラというレッテルが、いともたやすく剥がれ落ちるほどに。


「夜一君、どうしてさっきからうちの顔を見てくれへんの?」


 君のせいだよ、と夜一は再び心中で叫びながら両手で顔を覆い隠す。


(くそ、マジで可愛い。冗談抜きで可愛い。関西弁で尋ねてくる姿も超可愛い)


 彼女いない歴十五年の夜一に今の奈津美はいい意味で目に毒だった。


「なあなあ、どうしてなん?」


 奈津美は徐々に近づいてくると、夜一の膝を優しく揺さ振る。


 そのとき、夜一は指の間から確かに見た。


 スレンダー体型だと思っていた奈津美は以外にも豊満な胸の持ち主だということを。


「揉み応えがありそうな……よく発達したおっぱいだね」


「ふえ? お、おっぱいって」


 直後、我に返った夜一の全身に尋常ではない脂汗が滲み出る。


(馬鹿か俺は! 女の子に対して何を言ってんだ!)


 穴があったら飛び込みたかった。


 いや、そんな程度では現状維持は難しい。


 ならば今からでも「うっそぴょーん」と馬鹿キャラを演じて池にでも頭からダイブしようか。


「ぷぷぷ……くくく……くはあ……はははははは」


 真剣に遠くの池を直視したとき、奈津美は喉仏が見えるほど高笑した。


「揉み応えのあるおっぱいって……よく発達したおっぱいって……ははは、そんなこと言わんで普通。夜一君、悪いことは言わん。声優になるんは止めてお笑いに転向しい」


「いや、さすがにそれは」


「嘘や嘘。ほんの冗談やから気にせんとって。自分は声優になるべきやで。何たって独学で公開オーディションの最終まで行けたんやろ? 絶対に素質あるわ」


「最低評価で落選したけどな」


「ええやん別に。うちみたいに二次審査で落とされるよりは何倍もマシや」


「そうだな。二次審査で落ちるよりは何倍もマシ……え?」


 夜一は瞬きを忘れて奈津美の顔を凝視する。


「まさか、門前さんもあの公開オーディションに?」


 奈津美は歯茎を覗かせながら右手を左右に振った。


「ちゃうちゃう。うちが参加したのは歌手のオーディション。それもずっと前のことや」


 予想していなかった不意打ちに夜一の目は点になった。


「歌手のオーディションって……ライトニング娘。とかの?」


「あんな大人気アイドルグループのオーディションちゃうよ。うちが受けたんは小さな芸能プロダクションが募集してた歌だけのオーディション。一次の書類審査には合格したんやけど、二次の面接審査でばっさり落とされてもうた」


 夜一もゲームの公開オーディションを受けたときに面接を体験していた。


 しかし高校入学の際に行われる圧迫感と緊張感のある面接とは違い、ブースの外にいたディレクターや音響監督に家族構成や今回の演技に対する意気込みなどを簡単に聞かれたのみだった。


「もう一つ、カミングアウトついでに夜一君に教えてあげるわ。実はうちな……夜一君よりも年上で先輩やねん」


 一瞬、夜一は奈津美が何を言ったのか理解できなかった。


 同級生の奈津美が年上で先輩? 


 そんな馬鹿な。


 奈津美が学校でつけていたリボンは確かに一年生を示す白色のリボンだったはず。


「年上って言っても一つだけな。だからうちの本当の学年は部長たちと同じ二年生やねん。ただ留年してもうて今年も一年生をやる羽目になったっちゅうわけや。おもろいやろ?」


「いやいや、まったく面白くない……いえ、面白くないですよ」

「急に敬語にならんでもええよ。年は上でも学年は同じなんやからタメ口で構わへん」

 そんなことを言われても「はい、分かりました」と簡単には同意できない。


 役者の世界は実力主義であると同時に厳粛な縦社会だ。


 それは夜一も重々承知している。


 だからこそ、一つ年上でも夜一は年上の相手ならば誰であろうと敬うことにしていた。


「ホンマに敬語は止めてえな。留年したのは他でもないうちの責任や。それに夜一君とはこれからラジオ番組の相方として頑張らなあかん者同士。仲良く番組を引っ張っていくために敬語は止めて気さくに話せる仲になろうや」


 夜一は饒舌に喋る奈津美に背中を何回も強く叩かれた。


(門前さんってこんなキャラだったのか)


 夜一は奈津美の本性を垣間見た気がした。


 もしやBLが大好きな眼鏡委員長キャラは表の顔であり、スタイリッシュな服装で関西弁を捲くし立てるこちらが本当の顔ではないかと。


「あ、でも夜一君はうち以上に部長と仲良くなってほしいわ。そんで誰もいない放課後の部室であんなことやこんなことを……おっとあかん、想像したら涎が出てきた」


 前言撤回。


 奈津美の腐女子振りは表の顔ではなく歴とした本性だった。


 そして奈津美には悪いが、秋彦と肉体的な関係を持つなど地球が七回滅んでも絶対にない。


(まさか留年したのもBLのことばっかり考えて勉強が手につかなかっただけじゃ)


 そう夜一が同情の余地無しの想像を働かせたときだ。


「せやけど夜一君はホンマに凄いな。百人ものお客さんの前であんなに堂々と演技できるなんて相当に腹が据わってないとできへんで」


 我に返った奈津美が会話を続かせるために話を戻してきた。


「ああ、門前さんも観たんですね。公開オーディションの動画」


「せやから門前さんなんて他人行儀は止めてえな。奈津美でええよ」


「奈津美さん?」


「あかんあかん。さんは余計や。奈津美でええって。ほら、呼んでみい。奈・津・美」


「な、な、な、奈津……美」


 奈津美は温和な笑顔を浮かべ、「バッチシや」と右手の人差し指と親指で丸を作った。


「これからもうちのことは奈津美って呼んでや。約束やで」


 そういうと、奈津美は夜一の右手の小指に自分の右手の小指を絡ませてきた。


「ゆーびきーりげーんまーん。嘘ついたら部長の○○○を自分の××の△△に快く受け入れる。指切った」


「そんな指切りげんまん嫌だああああ――――っ!」


 腹の底から大声を張り上げると、奈津美は笑みを崩さずに淡々と告げた。


「ちなみに指切りげんまんの語源って知っとる? 何でも江戸時代の遊女が愛情を抱いた客に対して、自分の気持ちは変わらないことをアピールするために小指を切断したことから由来してるんやて。おっかないな」


(おっかないのは指切りげんまんの口上を過大変化させたあんただよ!)


 夜一は二度と奈津美のことを〝さん〟づけで呼ばないように固く決意した。


 そのときである。


「ねえねえ」


 声変わりもまだの無垢な声が夜一の鼓膜を震わせた。


 ふと気づくと、目の前に五、六歳と思しき数人の子供たちが立っていた。

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