第10話 ラジオ・パーソナリティ
夜一の顔を見るなり、最初に声をかけてきたのは秋彦だった。
「何だ? お前から聞きたいのか? 俺がいかにアニラジを愛しているのかを」
「いえ、それよりも別なことを訊きたいんですが」
「別なこと?」
夜一は大きく頷いた。
「サークル棟にある放送部が学校行事の放送に関わっていることは分かりました。ですが、このラジオ放送部はどんな活動をするんですか? やっぱりラジオ放送部というからにはラジオ番組のようなことを……」
夜一は分厚いガラス越しにブースの中を見やった。
「当たり前だ。ラジオ放送部がラジオ番組を放送しなくて何を放送する」
ただな、と秋彦は神妙な面持ちで顎の先端を擦る。
「正味な話、今までは部員不足でまともな放送ができなかった。もちろん学園側に公の活動を認められていない同好会だったことが一番大きい。それでもラジオ番組を放送するには最低でも五人のメンバーが必要なんだ」
「四人では駄目なんですか?」
「駄目ってことはない。だが正式な部に昇格するためには最低でも五人以上のメンバーが必要だったし、加えてラジオ番組を放送するには五人ないし六人が理想的なんだ」
秋彦は固めていた右拳を開き、夜一の眼前に突きつける。
「まずはプロデューサー。番組の全予算の調達及び管理する人間が一人」
親指を折り曲げる秋彦。
「次にディレクター。パーソナリティへのキュー振りや、番組内の構成を考える人間が一人」
人差し指を折り曲げる秋彦。
「続いてミキサー。BGMからSEまで番組内のあらゆる音を総括する人間が一人」
中指を折り曲げる秋彦。
「四つ目は構成作家。番組の企画立案から各コーナーを一から作る人間が一人」
薬指を折り曲げる秋彦。
「最後にパーソナリティ。これは声優を目指しているのなら分かるよな? 構成作家が書いた台本をリスナーに伝えるラジオ番組の花形だ。このパーソナリティを務める人間が二人」
小指を折り曲げた秋彦の右手は、再び握られた状態になった。
「本当ならアシスタント・ディレクターという雑用係も一人ほしいんだが、さすがに高校のクラブでやる分には必要ないから五人がベストメンバーだな」
喉を鳴らして笑った秋彦に夜一は尋ねる。
「あのう、もう誰が誰の役割を果たすか決まっているんですか?」
「もちのロンさ。プロデューサーは九頭竜君夜。ディレクターとミキサーは俺。構成作家は名護武琉。そしてパーソナリティはお前と門前奈津美だ」
「円能寺先輩が二つも役職を兼ねるんですか?」
「あいにくとミキサー卓を操作できるのが俺ぐらいしかいないからな。それともお前はミキサー卓を自由自在に操作できるか?」
「いえ、まったく」
「だったら決まりだな。夜一、お前には奈津美とともにパーソナリティを務めてもらう」
(俺がラジオ番組のパーソナリティ)
確か昔のラジオ番組ではDJと呼ばれていたが、多種多様な放送が可能になった現在では音楽を中心とするラジオ番組の司会者をDJと呼び、アニラジなどのトークを主体とするラジオ番組の司会者はパーソナリティとして区別されているという。
そして秋彦が言ったように、パーソナリティはラジオ放送の花形的存在だ。
アニラジでも人気声優がパーソナリティを務める番組は、メールの数もアクセス数も桁違いらしい。
「どうした? 急に顔をニヤけさせやがって。そんなにパーソナリティは嬉しいか?」
無意識のうちに表情を緩めてしまったのだろう。
夜一は指摘されるなり体裁を取り繕うために一度だけ咳払いをした。
「そう畏まるな。どのみち、お前にはパーソナリティを務めてもらうつもりだったんだ。ゲームの公開オーディションで最終審査まで残った逸材を雑用なんかに回さねえよ……ただでさえ期限が迫っているんだから」
「期限? 期限って何の期限ですか?」
「え? あ、い、いや何でもない。あくまでもこっちの話……そうだ、それよりもせっかく部室に来たんだから軽くパーソナリティに慣れておくか?」
秋彦は話を逸らすように慌てて他の三人に指示を出した。
「よし、お前ら。『魔法少女ラジカルあすか』を消して今すぐ放送の用意をしろい!」
「用意をしろいって言われても何の台本も書いてないぞ」
「誰もちゃんとした番組を収録しようってわけじゃない。夜一の実力を生で見るために奈津美とブースの中でちょっと絡ませようと思ってな」
「だったら出番のないワン(俺)はここで高みの見物をさせてもらう」
「私もここからブース内の二人を見守るわね」
自分の出番がないと判断した武琉と君夜は途端に身体を弛緩させた。
武琉は長机の上に組んだ両足を放り投げ、君夜は電子ポッドの前に移動してお茶の準備に入る。
「そう言うわけでメインはお前たち二人だ。ちゃっちゃとブースに入って用意してくれ」
秋彦の指示を受けて奈津美はすかさず席から立ち上がったものの、パーソナリティの知識しか持ち合わせていなかった夜一は機敏な行動に移れなかった。
ブースの中に入って何をすればいいのだろう、と夜一が目を泳がせながら首を右往左往させたときだ。
「おい、夜一。何をテンパッて……ああ、そうか。パーソナリティの知識はあっても経験がないから不安なのか。だったら奈津美のすることを真似すればいい。声に関する技術はお前に遠く及ばないが、ラジオ番組のパーソナリティとしてのスキルは最低限教えてあるから」
「はあ……」
気のない返事を一つ零すと、夜一は鉄扉を開けてブースの中へ入った。
さすが遮音効果に優れた部屋だ。
三人が見守る副調整室とは空気が違う。
何もしなくても背筋が伸びそうな緊迫感に満ち溢れている。
「ほんなら夜一君はそっちに座って。ヘッドホンもつけなあかんよ」
一足早くブースに入っていた奈津美は、目の前にカフが置かれている席に座っていた。
副調整室の指示を聞き取れるようヘッドホンも装着している。
「ああ、分かった」
と、夜一が空いていた席に座ろうとしたときだ。
ブースの隅に頑丈な三脚に支えられた一台のビデオカメラを発見した。
高音質マイクやメモリ再生操作部の多さから判別するに放送用のビデオカメラである。
夜一は眉を八の字にした。
「何でこんな高額なビデオカメラがブースの中にあるんだ? ラジオ放送部なのに」
「よ、夜一君! 今はビデオカメラよりこっちに集中しよ。な?」
夜一は頭上に疑問符を浮かべたものの、「早く席に座ってスタンバイして」と言い張る奈津美の言葉に大人しく従った。着席してヘッドホンをつける。
『おし、ちゃんと準備できたな。どうだ? 俺の声は聞こえているか? 聞こえているなら目の前のマイクに向かって返事しろ』
「はい、ちゃんと聞こえています。どうぞ」
『無線じゃねえんだからどうぞは余計だ。まあ、いい。ほんじゃあ、今から八天春学園ラジオ放送同好会……いや、夜一が入会してくれたから部に昇格するのは時間の問題。だったら今からラジオ放送部としてプレ放送を始めよう』
突如、ブースの中に設置されていたスピーカーから音楽が流れてきた。
タイトルこそ忘れたが一昔前のアニメに使われていたBGMだった気がする。
『本来、プレ放送ってのは試験的に番組を放送することだ。ただ今回は放送するつもりはねえから……う~ん、そうだな。パーソナリティ同士で自己紹介でもしてみるか?』
「普通に自己紹介します?」
奈津美が聞き返すと、秋彦はガラス窓越しに大きく両手で「×」を作って見せた。
『何のためにブースの中でスタンバッてんだ。この際だからラジオ番組風にやれ。奈津美、お前から振るからな。行くぞ、三……二……一……キュー』
「皆さん、こんにちは。最近のお気に入りのカップリングはデウス・マキナのハーミット様とネメシス様。もちろんハーミット様攻めのネメシス様受けです。きゅんきゅん。八天春学園ラジオ放送部パーソナリティを務めさせていただきます、一年B組芸術科の門前奈津美です。どうぞよろしく」
奈津美の奇抜な自己紹介に夜一は盛大に吹き出した。
『夜一、高価なマイクに唾を飛ばすな! ぶっ壊れるだろうが!』
「ちょっと待ってください。あんなはっちゃけた自己紹介できませんよ」
『誰も奈津美の趣味や嗜好まで真似をしろって言っているじゃない。朝霧夜一という男の素顔が数パーセントでも聞き取れるような自己紹介をすればいいんだ』
「たとえばどうやってですか?」
『そうだな……たとえば月に何冊のエロ本を購入しているのか、とか。一日に何回のソロ活動に励んでいるのか、とか。初めて好きな子の縦笛を吹いたのはいつなのか、とか。そんなありきたりなことでいいんだよ』
「そんなことをカミングアウトしたら大火傷じゃないですか!」
『滑らないよりはマシだろ』
「絶対に嫌です……っていうか好きな子の縦笛を舐めたことなんてありません」
『ノリの悪い奴だな。昨今の声優は笑いもこなすほどのマルチじゃないと生き残れないぞ』
「何と言われようが嫌なものは嫌です。それによく知らない女の子の前で性癖をバラせるほど俺の心は強くありません」
なるほど、とヘッドホンの向こうから秋彦の呟きが聞こえてくる。
『だったら話は早い。幸いにも明日は土曜で休みだ。なので夜一と奈津美』
秋彦はブースの外で白い歯を見せて笑った。
『お前ら街でデートして親交を深めてこい』
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