第43話 ユルゲンの試験

 「やっ、やっと着いた……」


 俺はコルツベルクの冒険者ギルド本部の建物を見上げながらそんなことを呟いた。


 「まさか、冒険者ギルドに行くだけでこんなに疲れるなんて……」


 疲れと共に「ハァッ」とため息をつく。


 皆と別れた中央広場から冒険者ギルドの本部までは、都市を南北に縦断する中央通りをひたすら北に向かって真っすぐ進むだけで良く、直線距離にして数百メートルしか離れていなかった。


 しかし、その数百メートルを進むのに俺は30分という時間を費やし、また体力をごっそりと持ってかれた。


 その理由は何か? 答えは単純なもので、あまりにも人が多かったのだ。


 それこそ見渡す限り人、人、人で、ほんの数メートル先を確認するのでさえ、苦労したほどである。マリエンブルクも、大通りは毎日たくさんの人でごった返していたが、コルツベルクの混雑具合はその比ではない。


 オーベル大河に面するこの都市は、年がら年中沢山の商人が行き交う場所であることは俺も知ってはいたが、帝国の動脈とも呼ばれるオーデル大河のことを俺は舐めていたのかもしれない。


 コルツベルク最大の名所である石橋にほど近い港から陸揚げされた沢山の荷物は、獣車や人の手でこの街の商業地区や外部へと運ばれていくのだが、その時に必ず街を東西に横断する通称「港通り(港が街の西にあり、そこから街の東門とまで繋がっていることからそう名付けられた)」と南北に縦断する「中央通り」とが交差する十字路を通るのだ。その為に、十字路はとんでもない数の人で混雑している。


 中央広場から冒険者ギルドに向かうにはその十字路を横断しなければならない為、俺は必然的にその人の渦に飛び込まなければならなかったのだ。


 その結果が30分という時間の経過と予想外の体力消費に繋がったのだ。アレはもう混雑という単純な単語で表す様なものではない。どちらかと言えば人の“川”とでも言うべきものだ。港という上流から東門、もしくは中央広場という下流に向けて流れる川だ。その流れに逆らうかのように進むというのがどれだけ愚かで危険なことか、俺は身をもって知った気がする。 


 「兄ちゃん、そんなとこ突っ立ってたら邪魔だよ」


 「あっ、すいません」


 しまった。そんな事を考えながら冒険者ギルドの建物を眺めていたら通行人のおっちゃんに怒られてしまった。流石に冒険者ギルドの前まで来たら十字路ほど人はいないけれど、それでも中央通りに面している以上、人通りが少ないわけでもない。


 俺は小声で謝ると、そそくさと冒険者ギルド本部の中に足を踏み入れた。


 建物の中は俺が知っている冒険者ギルドとは随分とちがった雰囲気だった。


 「なんとも、洒落た感じだな……」


 ボロボロの石壁と薄汚れた木製の床、そこにいかにも安物という感じの椅子やテーブルが並べられただけのマリエンブルクの冒険者ギルドと違って、綺麗な絨毯が引かれた床に、異国情緒あふれる調度品の数々、そして何よりも魔石によって適度な明るさに照らされた室内……それらの様子が相まってまるでホテルの様だ。


 受付にいる職員の女性も、明るくて活発な雰囲気があるハンナさん達とは違って、落ち着きと優雅さがあるように見える……ただ、ちょっと不愛想な感じもするけど。


 しかし、ここの冒険者ギルドが市庁舎の一部を間借りしているという話は聞いていたけど、それだけでここまで雰囲気が変わるとは思わなかった。


 元々コルツベルクは造船業で財を成した一族が造り上げた都市で、まるで貴族の様に振る舞いながら都市を運営という名の支配をしてきた歴史がある。その一族が己の富と権力の象徴として建てた宮殿を、一族の没落と共に誕生した職能ギルド主体の参事会が市庁舎として接収し、ほとんど手を加えずにそのまま使っているらしい。


 だから、こうした冒険者ギルドの雰囲気もその一族の贅沢していた過去そのものかもしれない。


 でも、今はそんな感傷に浸っている暇はない、さっさと部屋を借りなければ。


 俺は受付に行くと暫く宿泊したい旨を伝えた。最初はまるで「どこの馬の骨だ?」というような目(やっぱり愛想が悪かった)で俺に応対していた受付の人だが、テオードリヒさんから貰った許可証を見せたらあっという間に態度が変わり、あっという間に部屋へと案内してくれた。


 そしてその部屋も非常に良い部屋だった。一階の角部屋だけど日当たりも悪くなく、しかも外の喧騒がほとんど聞こえない。おまけ、というよりは最もうれしいことに、なんと風呂がついているのだ。


 オーデル大河の水を引き入れ、それを魔石の力で水を浄化して温めているらしい。何とも金のかかる設備だこと。


 そうはいっても貴重な魔石をふんだんに使っているだけあってゆっくりと体を休めることが出来そうだ。マリエンブルクを出発してから今日まで風呂に入れなかったし、久々に暖かな湯に浸かれると思うだけで今までの疲れが吹っ飛ぶようだ。


 でも、今はまだ休めない。


 俺は荷物の中らマリアさんから貰った綺麗な鞄を取り出す。これは今日の商談の為に用意したものだ。中にユルゲンさんに見せるためのポーションを一つずつ丁寧に入れていき、一つ一つのポーションに効能が書かれた紙を添えておく。


 「さて、準備はこれで良いとして……後は俺の話術にかかっているわけか」


 そう思うとなんだか緊張するが、ここまで来たら引くことは出来ない。


 「まっ、後は出たとこ勝負だな」


 こればっかりはなるようになると思うしかないだろう。さて、ぼやぼやしていると日が暮れてしまう。


 俺は鞄を手に取るとすぐに部屋を出た。


 ユルゲンさんの住む屋敷は街の北西にある川沿いの住宅街にある。歓楽街から遠いこともあってこの辺りはほとんど人通りがなく、中央通りの喧騒が嘘のようだ。


 「えっと、ここでいい……はずなんだけど」


 そして、ユルゲンさんの屋敷に着いた俺は早速戸惑ってしまった。


 3階建ての集合住宅が連なり、その間を細い道が何本も入り組んでいてまるで迷路のようになっている住宅街の奥地に、目的の屋敷はあった。


 そしてユルゲンさんの屋敷は明らかに周囲から浮いていた。建物だらけの狭い住宅街にあるというのに、真っ白な塀に囲まれた4階建ての屋敷の周りには綺麗に整えられた庭が広がっていた。きっと、上空から見たらユルゲンさんの屋敷だけぽっかりと空間が出来ているだろう。


 そして、奇妙なことに塀で囲まれているにもかかわらず不用心な事に入り口の格子状の門には鍵か掛かっていないどころか、そもそもついてすらいなかった。


 呼び鈴らしきものも見当たらないので、ゆっくりと扉を開けてだだっ広い代わりに何もない芝生だけが存在する庭を通り抜け屋敷の扉の前に俺はやってきたのだが、困ったことにここにも呼び鈴もなければそれに該当するようなものが何もなかった。


 (直接扉をノックすればいいのだろうか?)


 ここで立ち尽くしていても仕方ないから、扉をノックしようとしたその時。


 ギィィィ


 音をたててゆっくりと扉が開いたのだった。


 (うぉ、びっくりした!)


 驚いたものの、使用人か誰かが出迎えに来てくれたのだろうか? そう思って、暫く空きっぱなしの扉の前で待ってみるが誰も出てこない。


 「……失礼します。どなたかいらっしゃいませんか」


 何か妙な感じもするけど、待っているだけじゃ何も起きない気もするし、俺はゆっくりと屋敷の中に足を踏み入れながら周囲を見る。


 扉を開けた先は玄関ホールの様だった。床は大理石の様な石で構成されていて、1階から最上階の4階まで吹き抜けとなっているようで天井がとても高い。中央には4階まで通じている装飾が施された螺旋階段がある。


 それ以外は壁に風景画が飾られている以外何もなく、まるでホラーゲームの屋敷の様だ。


 しかも室内は魔石で照らされているものの光量が少なくてとても薄暗く、その事もあってますますホラーゲームの様にしか思えない。


  「あのーどなたかいらっしゃいませんか?」


  もう一度呼びかけてみるけど、全く返事がない。


  ギィィィ、パタン


  後ろで物音がしたので振り返ると、なんと入り口の扉が独りでに閉まった、怖い。


  「サカザキカズオ様ですね?」


 ビクッ!


 扉が閉まったことに驚いていたら今度は背後から人の声がした。恐る恐る前を見ると。いつの間にか十歳くらいの少年が立っていた。金色の髪に水晶のような青い瞳。子供用のサイズに作られた執事服を身につけている。


 「はっ、はい。坂崎和夫です」


 「遠路はるばる足をお運びいただきありがとうございます。ささ、どうぞこちらへ。当家の主、ユルゲン・ブロッホがお待ちです」


 そう言うと、少年はくるりと後ろを向いて、ホールの左奥にある扉に向かって歩き出した。なんというか、見た目も話し方までまるで人形の様な少年だ。


 そう思いつつ、俺は彼の後ろをついていった。少年が扉を開けて先に入るように促すので、それに従って先に入ると「では、ごゆっくり」と言われてパタンと扉は締められてしまった……ええっ。


 またしても一人ぼっちになってしまったと思ったが、俺が通された部屋には先客がいた。


 玄関ホールと同じく薄暗い部屋に何故か頭まですっぽりと黒っぽいローブを着込んだ人物が立っていた。しかも、てっきり応接室にでも通されたと思ったのに、20メートル四方の会議室のようなこの部屋にはテーブルや椅子どころか調度品の一つも置いてなく、空っぽの部屋にどう見ても不審者にしか見えない人物が独り立っているだけだった。


 ……どうしよう、俺、なんだかヤバいところに来ちゃったのかも。


 「君がサカザキカズオ君だね」


 そんなことを考えているとローブの人物が話しかけてきた。声を聴く限り50歳前後の成人した男性の声だ。


 「はい、ポーションマスターであるオルウェン・ティンバーの弟子、坂崎和夫です」


 俺が名乗るとローブの人物は小さく頷いた。


 「そうか、本当にあのオルウェンの弟子なんだね。しかし、この目で見るまで本当に彼女が弟子を取るなんて……人は変わる者なんだねぇ」


 なんだろう、不審者かと思ったけど、その発言の内容と声のトーンだと孫を心配するおじいちゃんみたいだ。この人がユルゲンさん……なのかな?


 「さて、本題に入ろう。ポーションは持ってきているんだろう?」


 「はい、こちらに……」


  俺はそう言って鞄からポーションを取り出そうとするとローブの男性が片手を前に出して制止した。


 「ああいや。ちょっと待ってくれ。ポーションの効能というものはその力を直接目にしてこそ分かるモノだと思うのだよ」


 「……っと言いますと?」


 なんか変なこと言いだしたぞ。


 「ふむ、説明するのもなんだし、どれ、早速やってみよう。カズオ君、ポーションを飲んでくれんか?」


 「えっ? 今この場でですか?」


 「当然だろう? ああ、そうか。君は実戦に近い状況を想定しているのかな? そうか、そういう事なら直ぐにやろう」


 ローブを着た男性はウンウンと勝手に納得して頷いている。なんだろう、どうにも嫌な予感がして仕方がないのだけど。


 「さて、時間は3分くらいがいいだろう。ささ、カズオ君準備は良いかね?」

 

 「はい? その申し訳ありません……おっしゃっている意味が」


 「おお! 即座に“はい”と言えるとは君も手慣れたものだ。どれ、はじめよう!」


 「あの、ちょっと!」

 

 ボン、バサッ……


 「ええええ!」


 空気が破裂するような音がしたと思ったら、ローブが空中を舞って床に落ちた。当然、それを着ていたであろう人物の姿はない。まるで魔法のように消えてしまった。


 「ちょっ、何がどうなって……!」

 

 ゴゴゴゴゴッ


 混乱する俺をよそに今度は奥の壁がゆっくりと右にスライドしていく。えっ、そこって隠し扉みたいになってんの?

 

 ズシッ、ズシッ


 茫然と壁に空いた真っ黒な空間を見つめていると、重たげな足音を伴ってヌッと巨体が姿を現した。トカゲのような顔の頭にヤギみたいな角が二本生え、首から下は引き締まった成人男性の身体をしている。両手両足はまるでヴェロキラプトルの様になっていて、鋭い爪のような物が見える。背中には蝙蝠のような翼が生え、バサバサと狭い室内で羽ばたかさせている。


 そして一番の特徴が、その全てが玄関ホールの床の様に大理石のような滑らかな鉱物で造られていることだ。


 石でできたキメラ。それがそいつを見た俺の第一印象だ。


 石像の怪物は、瞳の部分にはめられたルビーのような真っ赤な宝石で俺の顔を見ると、姿勢を低く構えた。


 その姿を確認した瞬間、俺は鞄を掴むと弾かれた様に横に飛んで転がった。


 直後、俺の居た場所に石像の鋭い爪が振り下ろされる。


 「なるほど……ポーションの力ってそういうこと」


 冷たい汗がツゥーと俺の頬を流れる。

 

 俺はようやくローブの男性が言ったことを理解した。

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