第19話 晩餐会
「晩餐会……ですか?」
「ああそうだ。言ってなかったかい?」
「初耳です」
昨晩から降り続く雨の音を聞きながら朝食を食べ終えた後、唐突にそんなことを師匠は言った。
「近々選挙があることは君も知っているだろう。その関係でね、私としてもお偉方の集まるところに行きたくはないのだが、まぁ立場上仕方がないさ」
口ではそう言いながらも明らかに師匠の顔は不満げだ。
それにしても選挙ねぇ……もうそんな時期か。
俺は食べ終わった食器をキッチンに運びながらそう思った。
マリエンブルクにやってきて半年が過ぎようとしている。初めてこの街を訪れた時は春になった頃だというのに、今ではすっかり秋へと季節は変わった。
そしてこの年の秋には5年の一度の“市議会選挙”があるのだ。
帝国にて“自由都市”の名を冠するこの街は、貴族や司教の支配下に無く、市民の手による自治が行われている。
行政の仕事に携わる議員を決める選挙は、任期中の議会の解散もないため、任期の切れる5年目の秋に開催される。
しかし、俺は師匠に言われるまですっかり選挙のことなど忘れていた。それは、俺が日々を過ごすのに忙しくてそんなことまで気が回らなかっただけでなく、そもそも俺に選挙権がないからだ。
この市議会選挙はいわゆる普通選挙ではなく制限選挙であり、全ての住民が自由に投票することは出来ない。投票権を持つのはマリエンブルクの住民の中でもいずれかのギルドの会員であり、それも最低でも10年以上この街で働いた実績があって、かつ見習いでないことが条件だ。
その点、俺は薬品ギルドの会員であるが10年働いているわけでもなく、見習いの立場を抜け出しているわけでもないのでどちらの条件も満たしておらず選挙権はない。
だから選挙の話自体は以前ハンナさんから聞いたことがあったが、記憶の片隅に追いやっていたのだ。
でも、俺と違って師匠にとってこの選挙は重要な意味を持つ。それは師匠が“被選挙権”を持っているからだ。
何せ、被選挙権を持っている人は選挙権を持つ人数よりもさらに少なく、ギルドのマスターか、熟練の親方に限られるからだ。投票権を持つ人だけで言えば全体の三割強はいるが、被選挙権を持っている人はほとんどいない。
現に、今の市長は大手手工業ギルドのマスターであるヤーコブ・ロールバッハさんだし、副市長は冒険者ギルドのマスターで俺も何度か話をしたことがあるテオードリヒ・ガイヤーさんだ。他の議員も似たり寄ったりで、元々議員の定員が少ないことも相まって実質的にギルドの寄り合い状態になっているのが現状だ。
そして、当然師匠にも当然その議員なれる権利が存在している。
それに前にハンナさんから聞いた話によれば、前任の薬品ギルドマスター、つまり師匠の師匠に当たる人も議員であり、それも何期を務めていたいらしい。
でもオルウェン師匠は、自分の師匠が在任中に亡くなった時に、周りの人の推薦で残りの任期を引き継ぐことも出来たけど、それを断ったみたいだし、その後も議員に立候補していない。
俺もなんで立候補しないのか気にならないわけじゃないけど、中々デリケートな問題でもあるように思えて一度もこの事について話したことはない。
まぁ、案外議員の仕事をしたくないだけかもしれないし……。
さて、こんなことを考えるよりも今俺がしなければならないことは一つだ。
「それで、何時なんです晩餐会?」
普段着のままというわけにもいかないし、それ相応の支度をしなければいけないよな。
「ああ、言ってなかったかい?」
「ええ、晩餐会があること自体今知ったのだから当然ですよ」
「明日だよ」
「えっ?」
「うん?」
「……聞き間違いですかね。今“明日”って言いませんでしたか?」
「そう言ったつもりだが?」
「嘘でしょ……」
危うく、今手に持っている食器を床に落とすところだった。もう暑くもないというのに不思議と冷たい汗が頬を流れる。
「どうかしたのかい?」
でも、師匠は能天気な声でそんなことを言ってきた。
「あの、明日の晩ってことでよろしいですか?」
「うん? あーどっかに招待状があるからそれを見ないと正確なことは分からないが……まぁ、日が暮れるちょっと前だと思うがね」
「……どこに置いたか覚えてます?」
招待状の存在も俺は初耳だ。
「え~と、確かいつもの様に机の引き出しに入れたような気がするねぇ」
「机ですか」
俺の脳内には1週間前に綺麗に掃除したはずなのに、今では発掘前の遺跡の様に様々なモノが乱雑に詰め込まれ、閉める事すら出来なくなっている引き出しの光景が目に浮かぶ。
「師匠」
「なんだい?」
「ついでと言いますか、本題と言いますか、3日前のことを少し思い出していただけませんか?」
「ふむ……何かあったかね?」
心の底から覚えていないという声のトーンだ。
「実験ですよ」
「ああ――派手に飛び散らかした時か」
―そう、3日目の昼それは何の前触れもなく発生した。
『おっと、しまった』
まるで、些細なミスをしたかのような声と共に「パンッ!」と大きな音が室内に響き渡った。
『えっ?』
そう、俺が口にしたのとほぼ同時に視界一杯に青い粉末が広がる。
間抜けにも口を半開きにしていた俺は粉がまともに口内に飛び込んできたこともあって、『ゴフォ!ゲフゥッ!』と全力でせき込む羽目になった。
『すまんね、ちょっと手が滑ってしまったよ』
頭から粉を被って上半身が真っ青となったにも関わらず師匠は何事もなかったかのように淡々としていた。
『ゲホゲホ……なんだったんですか?』
『あーその、ね。着色料の配分を間違えたみたいでね。薬液と混ぜたらこの通り、ボンッと飛び出てきてしまったのだよ。いやはや、こんな風になるなんて……アルキの葉から抽出したエキスというものは面白い反応を見せてくれるね。ああ、ちなみにこの粉は口に入っても特に害はないから気にしなくても大丈夫だよ』
『まあ、それなら良いのですが……それよりもこれ、どうすんですか』
『ふむ、掃除は……まぁ、私も手伝うから、ね』
『……当事者なんですから、率先してくださいよ』
見渡す限り、実験室は青一色となっていた。至る所に飛び散った粉末が付着し、掃除をしなくて良いと思えるところを見つけることの方が困難なくらいだ。
――それに加えてもっと深刻な事態が発生していた。
『綺麗になったばかりなのに……』
この時ばかりはぼやくのを止めることは出来なかった。
何故なら、この時俺はクリーニングから帰ってきたばかりの服を持っていたからだ。それも師匠の分だけで五着も……
まぁ、元はと言えば俺がクローゼットに行くまでの道のりをショートカットしようと裏口からギルドに入ってきたのが問題なのだが(クリーニングに出した洋服店はギルドの裏を通った方が近いのだ)、それによって俺は戻ってきて早々、服を全てクリーニングに出さなければならない状態になってしまった。
『師匠、前を聞きましたけど服を綺麗にする魔法とかないんですか?』
『そんな、都合の良い魔法を知っていたら私はこんなギルドのマスターを辞めて楽に儲けているさ』
『ですよね……はぁ』
―そんなやり取りがあった3日前、その時に台無しとなった服がちょうど師匠のドレスなのだ。しかも、普段着ないからってまとめて持っている分全部クリーニングに出してしまった。つまり、明日着る服がないのである。
「……というわけで、着る服がないですよ」
俺は自分の頭の中で整理しつつ、着ていくものがないことを師匠に告げる。
「むぅ、それは困ったね……」
何かを考え込む仕草をする師匠、さて何か策はあるのか。
「まぁ、なら仕方がない。欠席するとしよう」
なるほど、そう来たか。確かに出席しなければ万事解決……いやいやいや、何言ってんの!
「師匠、そういうわけにはいかないのではありませんか?」
「うーん、いけないような気もするが……これも天から私に行くなというお告げということでまぁ、何とかならないかな?」
「何とかならないと思いますよ」
「うーん、駄目かぁ」
いつもなら天がどうのとか言わない師匠がそんなことを口にするなんて、よっぽど出たくないのだろう。
ただし、ここで欠席したことで師匠に何か良くない印象が……まぁ、もうついているかもしれないけど、これ以上悪化させないためにも、なんとかせねば!
特に、俺が働くちょっと前に他のギルドのマスター達とひと悶着あったらしく(師匠は全然その話をしてくれないが)、あまりよろしくない関係になっているらしいということをハンナさんから聞いている。
これは師匠の問題だけでなく、弟子である俺にとっても由々しき問題だ。
だからこそ、欠席することで更に関係性を拗れさせることは何としてでも避けたい。
「師匠、俺もどうにかできないか考えてみますので、出席できるよう頑張りましょう」
「まぁ、君がそう言うならそうするかねぇ。それより考えるって何かアテはあるのかい?」
「これでも、この半年でそれなりに知り合いは出来ましたので、まずは今クリーニングに出した服がどうなったか聞いてきます」
「ほー君もやるようになったんだねぇ。なら、頼むとしよう」
「任せてください、それよりも明日は師匠1人なんですから僕が言うのもなんですが粗相しないように気を付けてくださいよ?」
「うーん、私もこういうのは初めてではないのだから粗相も何もないような……ああそれよりも」
「何です?」
ポンッと何かに気づいたかのように両手を師匠は叩いた。
「晩餐会だが、君も出ることになるよ」
「えっ?」
「うん?」
「……どういうことです?」
先程よりも、もっと冷たい汗が多量に背中を流れた様な気がした。
「そのままの意味だよ。こういう時はね、1人か2人ギルドから側近を連れてくるもんなんだ。晩餐会と言ってもただみんなでワイワイ話すわけではないからね。途中重要な議題がポロッと出て、それに合わせて互いに意見交換したりすることもあるから、サポート役として連れて行くのだよ。まぁ、今はそういうこともなくなったが慣習みたいなもので人を出すことに変わりはないんだがね。私としては面倒だし、要らないと思うのだけど……どうかしたのかい?」
サラサラと言葉を紡ぐ師匠は黙りこくった俺を見て怪訝な表情を浮かべる。
「あの、それって僕も礼服ですか?」
「まぁ、そうなるねぇ」
「持ってないのですが」
「そうだったかい? それは大変だねぇ」
「……なんで他人事みたいなんですか!」
飄々とした感じを崩さず、むしろ少し笑ったような気がした師匠についムッとしてしまう。
「ああ、すまない。そういうわけじゃないんだがね。君の服もないのかと思うと、これはますます欠席してもしょうがないのではないかと思えてね」
あっ、違った。
俺は師匠の言葉を聞いて他人事ではないのだということに気づいた。むしろ、これで行かなくて済む理由がもう一つ見つかったことを喜んでいるのだ。
くっ、このままだとますます行かないという方向に師匠が進んでしまう。
俺だって出来る事ならお偉いさんばかりで恐らくギスギスしているであろう(完全な偏見)空間に行きたくはないが、それでもマスターという立場上その場にいる必要はあるはずだ。
俺はグッと拳を握ると覚悟を決める。
「師匠、招待状見つけておいてくださいよ」
「えっ、君が探してくれるんじゃないのかい? 私としてはこれから昨日の実験の続きをしたいのだが」
「それは、明後日に延期してください。僕は、明日に間に合うよう準備がありますので、もし昼までに戻れなかったらご自分でお昼ご飯を買ってきてくださいね」
「ええ、それは弟子兼助手の君の役目だろぅ?」
師匠はあからさまに「ブゥー」と不満げな声を出す。
でも、今の俺にそれの相手をしている暇はない。
タイムリミットは大半の店が閉まる午後五時、それまでに全ての支度を終わらせる必要がある。何故なら明日は晩餐会とは別に休日ということもあってほとんどの店が閉まるからだ。
俺は背後で文句を言い続ける師匠を無視して、戦場に赴く戦士のような気持ちでギルドの外に出た。
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