第65話
「何も…何も見えねぇ…」
運ばれてきた負傷者は、どうやら視力と聴力を失っているらしかった。
「何も聞こえねぇ…真っ暗だ…怖い…誰かいないのか…」
魔法攻撃を顔面に受けてしまったらしい。
顔の前半分が大きく欠損していた。
奇跡的に生きてはいる。
だが、視力と聴力を失い、瀕死の状態だった。
ベッドに寝かされた負傷者は、手を伸ばして虚空を掴もうとしている。
視力と聴力を失い、真っ暗で何も見えない空間に投げ出され、恐怖を覚えているらしい。
見えない、聞こえない、という言葉には恐怖が滲
んでいた。
「た、頼む…あたしの旦那を助けてくれ…!」
傍ではこの負傷した冒険者の妻と思しき女性が、涙ながらに助けを乞うていた。
「あたしの男なんだ……あんたはどんな怪我でも治せるって聞いた…これじゃああんまりだ…頼む、なんでもするから助けてくれ」
「ええ、わかりました」
愛する人の治療を涙ながらに訴える冒険者の女性に、俺は頷きを返した。
「治せるのか?」
「もちろんです。任せてください」
俺は希望の瞳でこちらを見る女性に自信を持って頷きを返し、それから負傷者に手を翳した。
「パーフェクトヒール」
負傷者の顔面が光に包まれた。
「うっ」
女性が眩しさに目を瞑る。
いい加減この眩しさにも慣れてきた俺は、自分の使った回復魔法が顔面を負傷した男の冒険者の傷を癒すのを見守った。
亡くなった耳が、眼球が、鼻が、おでこが、まるで時間を巻き戻すかのように元通りになっていく。
「あ…見える…聞こえる…」
空を切っていた負傷者の手が、何かを掴んだように握られた。
苦痛に歪んでいた表情が穏やかになり、伸ばされていた腕はゆっくりと降りて、やがて規則正しい寝息が聞こえてきた。
「あ、あ…」
完全に元通りになった夫を見た女性冒険者が男の再生した顔を撫でながら涙を流す。
「治った…本当に…」
「おそらく視力も聴力も回復していると思いますよ。目覚めれば元通りでしょう」
俺がそういうと、女性は涙ながらに何度もお礼を言ってきた。
「ありがとうっ…うぅ…本当にありがとうっ…」
「いえいえ」
「か、兜の治癒魔法使いの噂は本当だったんだ……もうダメかと思った……もうお別れかと……本当に信じられねぇよ」
「お役に立てて何よりです」
女性はその後、何度も俺にお礼を言った後に寝ている夫を担いてテントを出ていった。
「ふぅ」
また一人負傷者の治療を終えた俺は、兜を脱いでため息を吐いた。
「兜の治癒術師の噂、か……まぁ流石に広まっているよな」
毎日何百人単位で重傷者を治療しているのだ。
噂にもなるだろう。
ここで治療を受けた兵士は、大体前線に復帰する兵士が半分、戦線を離脱するものたちが半分と聞いた。
おそらく前線へ戻った兵士たちが、俺の噂を広めたりしているのだろう。
「まぁ、大丈夫だよな。素性はバレていないはずだ」
俺は自分に言い聞かせるように独りごちる。
重傷者の治療を行うときは、俺は常に兜を被って素顔を隠している。
“兜の治癒術師”として噂になったとしても、戦争が終わって兜を脱いで仕舞えば、誰も俺だったということはわからないだろう。
優秀な回復魔法使いとして目立つのはあまり宜しいことではない。
俺はそのことを前の街でよくよく学んだのだ。
一応カナンの街には、前の街にいた神官様のような、回復魔法を売りにして至福を肥やしているような権力者はいないことは調査済みだった。
けれど、やはり目立たないに越したことはない。
出る杭は打たれるというし、俺の回復魔法の威力がバレたら集られたり、回復魔法を利用するために攫われたりすることもあるかもしれない。
自衛のために、今後もここではあくまで“兜の治癒術師“としてやらせてもらうことにしよう。
「おい大変だぁああああ勇者が出たぞぉおおおおおおお!!!」
「アリシア様が負傷したぞぉおおおお」
「道を開けろぉおおおおお!!!」
「勇者だ!!勇者が現れたぞ!!!」
「アリシア様が重傷だ!!治療を!!すぐに治療をぉおおお!!!」
そんなことを考えていると、にわかにテントの外が騒がしくなった。
アリシア様アリシア様とどこかで聞いた名前が叫ばれる。
アリシア様。
はて、誰だったっけか。
首を傾げている間に、たくさんの兵士たちによって負傷者がテントの中へ運び込まれてきた。
「兜の治癒術師様はいますか!?」
「兜の回復魔法使いに会いたい…!!」
「アリシア様が重傷なんだ!!すぐに治療をお願いしたい!!」
「あなたが兜の治癒術師ですか?」
テントの中へ入ってきた兵士たちが、重傷者をベッドに寝かせて俺に尋ねてきた。
俺は彼らに対して頷きを返す。
「はい、俺がおそらくあなた方が探している治癒魔法使いかと…」
「よかった…!」
「あなたがそうなのか…!」
「あなたのことは我々前線の兵士の間で噂になっています!!なんでも神業を支えるとか…!」
「欠損した腕や足をたちまち直してしまわれるとか…!」
「死人を蘇らせたと聞きました」
「いや、流石に死人は蘇らないです」
俺は思わずツッコミを入れた。
「うぅ…」
ベッドの上の重傷者がうめく。
こんな問答をしている場合じゃない。
「怪我人を見てもいいですか?」
「よ、よろしくお願いします!」
「アリシア様が負傷なされました、すぐに治療が必要です!」
「どうかその神技を持って、アリシア様をお助けください。兜の治癒術師様!」
「頑張ります。死んでいないのなら怪我は治ると思います…ええと、ケガの確かめますね…」
俺はベッドに寝かされている美しい少女の怪我を確かめる。
苦悶の表情と共に目を閉じている少女は、どうやらお腹の辺りを負傷しているらしい。
何かものすごい衝撃を食らったかのような感じで、お腹とその周りが凹んでいる。
骨が折れて、内臓にもダメージが入っているかもしれない。
放っておいたら死ぬだろう。
一刻も早い治療が必要だ。
「「「…っ」」」
兵士たちが固唾を飲んで俺のことを見守っている。
そんなに見られると緊張するんだが、とそんなことを思いながら俺は負傷者の少女に回復魔法を使ったのだった。
〜あとがき〜
近況ノートに先行エピソードが公開中です。
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