第53話
剣姫アリシアはかつて世界を救ったと言われている勇者の末裔だった。
今から100年以上も前、魔族が大陸の半分を支配し、人類を追い詰めていた頃、当時のとある国の王族が行った勇者召喚の儀式によって一人の英雄が世界に呼び出された。
勇者として召喚されたその異界人は、その絶大な力をもって、大陸全土を支配しつつあった魔族たちを駆逐していった。
勇者の力により魔族は衰退し、魔国と呼ばれる小さな国に押し込められた。
人類は魔族との戦いに勝利し、人類解放軍を率いて戦った勇者は英雄として担ぎ上げられた。
人々は勇者の力が人類の間に引き継がれることを望み、勇者にたくさんの子供を作らせた。
勇者は、妻を何人も娶り、彼女たちとの間にたくさんの子をもうけた。
そうして勇者の血を引く一族がいくつも誕生した。
アリシアは、その勇者の末裔の一族の一人だった。
勇者の力は、残念ながら人類が望んだほど、のちの世代に受け継がれることはなかったのだが、アリシアは特別だった。
彼女はかつて勇者がその力によって顕現させ、代々受け継がれてきた聖剣を扱うことのできる力を持っていた。
聖剣は本来、勇者にしか使えない武器だ。
勇者でないものが聖剣を扱ったとしても、ただの切れ味の悪い剣でしかない。
しかし勇者が聖剣を握れば、たった一振りでどのような固いものもたちまち斬り伏せてしまうほどの力を発揮したと言い伝えられている。
そしてアリシアには、その聖剣を使うことのできる勇者の力が引き継がれていた。
彼女が聖剣を持ち、一振りすれば、それがたとえ最も固いと言われる鉱物でできた鎧だったとして
も、柔らかい肉のように断ち切ることができた。
それはかつて勇者が使っていた聖剣にまつわる言い伝えと遜色ない威力だった。
人々は勇者の再来と彼女の存在を歓迎し、アリシアは母国イスガルドでその美しい容姿も助けて国民の間で絶大な人気を誇ることになった。
剣姫。
戦女神。
様々な異名を望んでもいないのにつけられ、担ぎ上げられたアリシアは、気がつけば国軍を率いる立場にまでなっていた。
彼女が望もうと望むまいと、ほとんどの国民の意思により、幼い彼女には手に余るような重大な責務が課されることになった。
そうしてアリシアは、軍を率いて戦場へ出るようになった。
まだ統率者として未熟だった彼女は、それでも自らの責務から逃げることなく、側近に助けられながら、懸命に軍を率いた。
そして幸か不幸か、彼女が率いた戦争は全てイスガルドの勝利に終わった。
アリシアの人気はますます高まり、イスガルドではほとんど神格化された存在となった。
勝利の女神アリシア。
彼女が率いた戦争は全て勝利で終わる。
そんな噂が一人歩きして、気がつけば国中に広まっていた。
アリシアにはどうすることも出来なかった。
彼女に許されるのは、ただ人々が望むアリシアを演じ、戦争に従事することだけだった。
これが自分の運命なのだと幼い頃に悟ったアリシアは、ひたすら心を殺し、王家の言われるがままに戦場へと赴いた。
「アリシア。カナンの街の防衛、頼めるか」
「わかりました。必ず、ムスカの軍を打ち倒し、カナンの街を守り抜いて見せます」
だから、現国王カムル・イスガルドにカナンの街の防衛を頼まれた時も、彼女はただ粛々と自分の運命を受け入れた。
カナンの街に、隣国ムスカの王女が軍を率いて攻めてくるらしいという噂は、アリシアの耳にも入っていた。
カナンの街は、イスガルド王国にとって非常に重要な街であり、ここが落ちればなし崩し的に周辺の街も敵国の手に落ちるだろうと予想されていた。
ゆえに此度の戦は確実に勝たなくてはならず、王家は期待を込めてアリシアに軍の統率を任せたのだろう。
彼女に拒否権はなかった。
アリシアは二つ返事で防衛戦争の統率役を引き受け、カナンの街へと向かった。
街の人々は、兵士を率いてやってきたアリシアを歓迎した。
剣姫。
戦乙女。
勝利の女神。
あちこちで歓声と共に彼女の異名が叫ばれ、彼女が手を挙げてそれに応えると歓声はさらに大きくなった。
街の人々は勝利を確信しているようだった。
無理もないことだろう。
人々はアリシアが率いる戦争は必ずイスガルド側が勝利すると信じている。
おまけに、カナンの街の防衛戦にはムスカと敵対し、国境を接している周辺諸国からの援助も期待できる。
カナンの街の鍛え上げられた冒険者も参戦する。
これまでも幾度となくムスカの王女が率いる軍隊を返り討ちにしている。
今回も必ず戦争に勝利し、街の防衛に成功するはずだと人々が盲目的に信じたとしてもそれはある意味当然の帰結と言えた。
だが、アリシアは妙な胸騒ぎを覚えていた。
王都でよくない噂を耳にしたからだ。
ムスカ王国の王女システィーナは、数ヶ月前に勇者召喚を行い、今回の戦争で勇者を戦場に投入するつもりである。
王家から直接伝えられたわけではないが、国の重要人物に知り合いの多いアリシアの耳にも、その噂は当然聞こえてきていた。
勇者召喚。
それは決して、この世界の人間の私利私欲のために行われるわけにはいかない禁忌の儀式。
もしそれを自分の野望のために行う王族または貴族がいようものなら、大陸全土の人々から非難と制裁を受けることになるだろう。
しかし、ムスカの王女にそのような常識は通用しない。
噂通りに、システィーナ王女が自分の支配欲のために勇者召喚を行い、勇者を戦場に投入することも十分にあり得るとアリシアは考えていた。
そしてもしそうなった場合、イスガルド側の勝利は限りなく望み薄になるとそう考えていた。
「私では勝てないわ……所詮、聖剣を扱えるだけで勇者には程遠いもの…」
勇者の再来などと呼ばれているが、アリシアは自分の力がかつての勇者に遠く及ばないことを理解していた。
聖剣の能力を引き出せる。
その一点において勇者と同等の力を発揮できるだけで、その他の戦闘能力では圧倒的に勇者に劣っていた。
もしシスティーナの召喚した勇者と敵として戦場で対峙することになれば、間違いなく自分は負けてしまうという確信がアリシアにはあった。
「祈るしかないわ…噂が噂に過ぎないことを……勇者が戦場投入されないことを…」
アリシアは不安で押しつぶされそうになりながらも、必死に表情を保ち、カナンの街の住人の歓迎に応えた。
「…!」
ふと、とある男と目が合った。
その男は、周りの人々が喜びの表情を持ってアリシアを見つめている中、どこか哀れみのような目でアリシアのことを見つめていた。
なぜあのような幼い少女が戦争に。
男の目はそう言っているようだった。
「…っ」
アリシアは男の目に、一瞬堂々たる表情を崩しかけるがすぐに自分の責務を思い出した。
そしてなんとか元の表情を取り戻し、人々の歓声に応えるべく手を上げた。
不安に押しつぶされそうな心を隠し、なんとか外面を取り繕う彼女の頭には、ずっとその男の顔が残っていた。
あの男だけは、アリシアの本質を見抜いているような気がした。
何もかも見透かされているように感じた。
…そして不思議なことにどこかその顔に懐かしさを覚えてしまった。
初めて会ったはずなのに、まるで同郷の人物に出会った時のような安心感を男の顔を見た時に覚えたのだ。
(なんだったのかしら…)
アリシアは疑問に思いつつも、手を挙げてひたすら人々の歓迎に応え続けた。
〜あとがき〜
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