第5話


 朝いちばんの仕事、棚のほこりとりが終わると返却された本を棚に差し込む作業にうつる。これも最初は大変だった。ずっと選書の魔法が使える人たちしかいなかったからか、王宮図書館の棚はなんら統一性もなく適当に本が並んでいたのだ。ヒアミックが館主になってから種類によって分けるということを始めた。ヒアミックも選書の魔法は使えるが、館主がいないとき調べものにきた選書の魔法が使えない者はすごすご帰るしかなかったのだ。あまりに非効率だとヒアミックが眉を顰めるので、二人で棚地図を作って分類で全部並べ替えた。大変だったがおかげで魔法の使えないシキアでも返却の仕事ができるので助かっている。

 返却の仕事はいろいろな種類の本が知れるので好きだ。機嫌よく仕事をしていると、明るい声が響いた。

「やあ、昼飯の時間だぞ、ヒアミック居るか?」

 実はそろそろ来るかなとどきどきしていたのだが、顔に出さないように気合をいれながらシキアは小さく頭を下げた。

「こんにちは、サコット様」

「うん、お疲れ様。あいつは?」

「もうすぐ戻ると思います」

「じゃ、待ってよう」

 鼻歌なんてうたいながらサコットは手近な本を取って読み始める。初めて食事にいったあの日からひと月あまり、サコットは随分マメに図書館に顔を出す。そんなにヒアミックと会いたいのかと思っていたが、ヒアミックに言わせれば違うらしい。

『シキアと仲良くなりたいらしいぞ』

 なぜ。そんな、仲良くって、そんな嬉しすぎて怖いこと、無理だ。確かに最初の頃は顔を見て挨拶もできなかった。目をみるとぼうっとしてしまうから、とにかく視線を合わせないように、とにかく浮かれた返事をしないようにと緊張を続けていたら、やっぱりそっけない態度になってしまうのだ。サコットはそれを気にしているらしかった。心から申し訳なく思うのだけれど、これでも随分マシになったのでそろそろ容赦してほしい。

「ねえシキア」

「は、はい」

「今日は一緒に昼飯行ける?」

「あ、いえ、今日も弁当で」

「そっか」

 サコットはどこか残念そうに微笑む。

『そろそろ懐いてやれ』

真面目な顔でそんなことを先生から言われたけど、

(懐くもなにも、ずっと憧れてるってのに)

 好意を全面に出して甘えられるような性格だったらよかった。そうしたらきっと、サコットも楽しいだろうに。でもできなくて、本当に情けない。それなのにサコットはやっぱり優しかった。

「いつも先生借りてごめんね」

 優し気に笑いかけられて気を失いそうだ。きらきら、まぶしい金の髪と同じくらい明るい笑顔は何度見ても慣れない。嬉しさに半狂乱になりそうなのをこらえてこらえてようやく口にできるのは

「はあ」

 だけなのが恨めしい。こんな可愛げもない十も年下の子供にやさしくしてくれるサコットは本当に英雄だ。そしてシキアはますます自分のことが嫌になってくる。せめてもう少しだけでも愛想よくしたい、必死で会話を考えたが本を読みはじめたサコットに声をかけていいのか分からなくなって、結局ヒアミックが戻ってくるまで何も言えなかった。

 サコットとヒアミックが昼食に出たのを見届けてからシキアは城裏の中庭に向かった。影が多い小さな中庭はあまり人が来ない。それでもときおり涼しい風が吹いて、ひとりで昼食を食べるときは重宝している。木陰でのんびりしながら小鳥にパンくずを分けながら一緒に昼ごはんだ。昼からの仕事は先生の魔法研究の手伝いと蔵書の選定、それから――。考えながら肩に止まってきた小鳥と遊んでいたとき、だった。

「シキア」

 明るくて優しい声で呼ばれて誘われるように振り返ると、憧れが立っていた。

「さ、コット様、なぜ」

「あいつ人に呼ばれて行っちゃって暇つぶしに散歩。君はここで昼食なんだ? いい場所だなー。お。鳥」

 当たり前のように隣に座られて心臓がはじけそうに高鳴る。サコットは指先に小鳥を乗せて嘴を撫でていた。しらず、声になる。

「すごい、小鳥がすぐ慣れるなんて」

「ん、小鳥は昔飼ってたからかな。シキアは鳥が好きなの?」

「いや、まあ。なんか、寄ってくるんで」

「君が優しいって知ってるんだよ」

 思わずサコットの顔を見つめてしまう。優しいなんて初めて言われた。父とヒアミックとしか深く関わったことがないからいつも口うるさくしてしまって自分を優しいなんて思ったこともない。それを、ちょっと会っただけの憧れのひとから「優しい」なんて言葉を貰うなんて、どういう顔をしていいか分からなくなってまた言葉が出てこない。だいたいサコットはなにをしてシキアを優しいと評したのだろう。

(みんなに言っているのかな)

 きっと関わるひとが山ほどいるサコットにとって人を褒めるなんて当たり前のことなのだろう。それでも、なんか、胸のあたりがほわほわする。緩んだ顔をしていそうな気がしてぎゅと唇を噛んで、まだ小鳥を見ながら微笑んでいるサコットから目をそらした。このひといつまでいるんだろう。意外にもサコットはずっと静かで、そしてずっと隣に座っている。仕事に戻らなくていいのだろうか。そう言った方がいいんだろうかと思ったが、この静かな時間が、なんだか――。

「ねえ、シキア」

「あっはい」

「屋敷のメイドに聞いたんだけど、今、色のついた水を飲むの流行っているんだって? シキアは飲んだ?」

「あ、はい、先生が興味あるというので」

「俺も興味あるなー。連れてってくれない?」

「あ、は……え、オレが、オレ?」

「駄目?」

 大きな目が笑みを乗せシキアを見つめてくる。断れるわけがない。

「あ、あの」

「では、仕事が終わったらまたくるよ、よろしく」

「あ、あ、わか、りました」

 サコットはひらひらと手を振りながら中庭から去っていく。見送るシキアはなんだか分からなくてぼんやりしてしまった。

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