掌篇

運命よりも幻想

暖かく色をなくす

 雪の中、列車は進む。

 吹雪は永遠にやまない気がした。私がこの列車で暮らし始めてから、ずっとこの天候が続いているのだから、単なるたとえ話ではない。

 私はもともと列車が好きだった。夜も好きだったし、雨や雪も好きだった。寒くて、乾いた空気も好きだ。

 だから、こうして列車の中での生活を強いられること自体は、たいして気にしていなかった。

 私の生活をサポートしてくれているのは、メイドの高橋さんだった。

 彼女は、私が目を覚ますと湯気の立つおしぼりをもってきて、それと熱い紅茶を置いて去っていく。私はおしぼりで顔を拭いて眠気を覚まし、紅茶を飲みながら白く陰った外を見る。

 

 列車は、吹雪の中でも順調に運行を続けていた。目的地はどこなのか、私は言葉にすることを恐れていた。かつてこの列車に乗った経緯についての一切の記憶を、思い出さないように努めていた。

 ここでの暮らしを始めてからどれくらいの時間がたったかということも、列車の目的地に通ずるような気がして、決して考えないようにしていた。

 

 戸の外で、カートを押す音が聞こえる。ノックがされる。

 私は特に返答をしない。そうすると、高橋さんは勝手に引き戸を開け、室内に入ってくる。

「今日はスコーンをお持ちしました。ジャムは二種類ございます。一つは甘夏、もう一つはシンプルなブルーベリーのジャムです」

 私は甘夏のほうを指さした。

 高橋さんは、丁寧に食器を並べていく。車両が揺れ、彼女の体も揺れる。そのずっしりと血肉を蓄えた体が、抵抗なく揺れるのを見つめるのが、私にとっての一つの慰めだった。

「今日はご一緒しましょう」と高橋さんは言った。木製のトレーを胸に抱え、ベッドに腰掛ける。彼女の体は、上下に揺れる。

 私は高橋さんを一瞥してから、スコーンに甘夏のジャムを塗る。瓶からバターナイフで塊をすくい出し、それをスコーンの上にのせる。そのまま歯を立てる。

「私、疲れてしまいましたわ」

 高橋さんは、ベッドに片手を置き、姿勢を崩した。そして立ち上がり、凍てついた窓ガラスを人差し指の爪で数回叩いた。

 列車は迷わず進んでいく。動力はとても好調で、レールを噛んで重い車両を勢いよく動かしている。

「この窓を開けたことはございますか?」と高橋さんは訊ねた。

 いいえ、と私は答えた。

「一瞬開けてみるというのはいかがでしょう?」

 突飛な提案のわりに、彼女は落ち着いている。まるで窓を開けることはすでに決まっているかのように。

 好きにすればいい、と私は答えた。

 ふむ、と言い彼女はまずは2センチほど窓を持ちあげた。

 吹雪の音が大きくなる。雪の粒がフレームに付き、くたびれたように溶けていく。風が強く私の顔に当たり、細かい雪が頬にぶつかる。頬の感覚は薄らいでいき、赤く染まっていく。

 高橋さんは、私からの返答を待っているようだった。『あなたは今、窓が開いたことでどのように変化しましたか?』

 私は彼女の手の上に、自分の手を置いた。そして、窓の端を持つ指に指を重ね、ゆっくりと押し上げていく。

 吹雪を遮るものは、100パーセントなくなった。列車の駆動音も、その中にむき出しで混じっている。

 彼女は私の首をきつく抱きしめる。あたたかく、洋服の生地のにおいがした。そして途轍もない力で私と共に窓の外へ身を乗り出す。腰を窓枠に押し当て、少しずつ地面へ傾いていく。私は抵抗力を失っていた。

 そして列車から落ちた時、私は真っ白な世界に包まれた。

 苦痛に感じない程度の冷たさと、柔らかい雪に支えられる安心感。しかし、相変わらず吹雪の音は続いている。高橋さんは消えていた。この世界に潜り込み、私は一人きりだ。これからは本当の永遠の中で生き続けなくてはいけない。そこは暖かくて、少しずつ私から色を取り去っていくのだった。

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掌篇 運命よりも幻想 @bise0131

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