(2)

「そうねぇ。正直な話、そこまで気にした事はなかったわ」

 水色の瞳を瞬かせながら、目の前の彼女は首を傾げつつそう仰った。あっけらかんとしている様子からは、とても嘘をついているようには見えない。

「そんな風に割り切れるものですか?」

「人によるでしょうけれどね。私のお母さまは面白くなさそうにしていたもの」

「そうなんですね」

「正妻である自分が一番という矜持があったのでしょうね。でも、正直に言うなら他所の方を求めたお父さまの気持ちも分からないではないわ。お母さまは厳格な方だから、ずっと一緒だと息が詰まったんじゃないかしら」

 そう仰ると、藍玉様は茶碗を持って中のお茶に口を付けた。一口だけ口に含んで、ゆっくりと飲み込んでいく。

「でも、娘である藍玉様は違うのですね」

「そういうものだと思っていたからね。私は体が強くないから猶更、というのもあったけれど」

「なるほど……」

 エスメラルダでも月晶帝国でも、貴族の正妻や王妃に求められる一番の仕事は後継ぎを産む事だ。体が強くない自分ではそれが果たせない可能性があるから、割り切っていたという事なのだろう。産めたとしても……という場合もあるし。

「おまけに、私が嫁いだ相手は陛下だからね。たとえ私が健康で何人も皇子を産んでいたとしても、側妃をお持ちになるだろうなぁって最初から思っていたわ」

「……そうですか」

「ええ。だって、勢力を安定させるために迎える必要があるかもしれないじゃない」

「……」

 思っていたよりも、藍玉様は現実的でさっぱりした性格だったらしい。見た目はおっとりとした、正に東大陸のお姫様という感じなのに。

(お節介で、失礼な考えだったのかしら)

 自分が一番じゃないのは嫌だ、とか、苦しい、とか。そう思って悲しんでらっしゃるならばお可哀想だ……なんて。勝手にそう決めつけて同情したなんて、藍玉様を軽んじていたのと同義だ。

「……申し訳ありません。浅慮でした」

「あら、そんな事無いわよ。むしろ、ありがとうね」

「え?」

「私を気遣ってくれたのでしょう? マリガーネット様はお優しいのね」

 視線を上げると、にこにこと微笑んでいらっしゃる藍玉様のお顔があった。年上の、しかも義理の母に対して思うのは失礼かもしれないが……可愛らしい笑顔である。

「でもね、だからこそ。あの時陛下を止められなかった事が心残りではあるのよね」

「あの時……もしかして、三人の側妃様を迎えようとなさった時ですか?」

「知っていたのね。蒼玉に聞いた?」

「はい。先日教えて頂きました」

 素直に答えると、藍玉様はほっとしたような表情になった。あの子と仲良くやってくれているなら良かったわ、と告げられて何となく面映ゆい気持ちになる。

「私としては、政治のあれそれも無視は出来ないから決まっていた通り三人とも来てくれた方が良いと思っていたの。そうすれば、皇族の血が絶えるなんて事態も避けられるだろうし、仲間が増えるのは心強いじゃない」

「仲間、ですか」

「ええ。同じ陛下に仕える后妃なのだもの。実家等々の事はあれど、后妃となった以上は帝国と皇家の安寧と繁栄を第一に考えるべきだから、皆で協力して陛下をお支えして尽くしていきましょうねって。三人とは、そんな関係になれたら素敵だなぁって思っていたのよ。現実はうまくいかなかったけどね……彼女一人だけだったから、どうしても対立している風になってしまって」

「……凄いですね。私には出来そうもありません」

 素直に、本気で、そう思った。私の中では、恋とか愛とか言うものは未だお伽話の中の話に過ぎなくて、蒼玉様の事は尊敬してるし大切に思っているけれど、これが恋とか愛と言える感情なのかは分からない。

 それでも、彼の視線が、私以外に向けられるのを想像しただけで……胸が握りつぶされそうに苦しくなったくらいには、俯いて泣いてしまいそうになったくらいには嫌だと思ってしまったから。きっと、私はそこまで達観出来ないだろう。

「無理にやろうとしなくて良いのよ。今は大分落ち着いてきてるから、そこまで娶る必要もないだろうし」

「そうなのですか?」

「そうよ。そもそも、あの子の場合必要であっても側妃を迎えるとは思えないのよね」

「……どうしてですか?」

「奥手だから」

 いっそ気持ちいいくらいに、藍玉様はすっぱりと言い切った。ぽかんとしている私を横目に、お茶をもう一口飲んでらっしゃる。

「奥手ですか? 蒼玉様が?」

「奥手でしょう。あの年で浮いた話の一つも聞いた事ないもの。我が息子ながら、ずっと心配していたわ……そりゃあ遊び回るよりは良いと思うけれど」

「そうですよ。下手に遊んでは大事になるかもしれないから節制なさっていたのでは」

「すれ違った貴族のご令嬢に流し目を送られて文字通り固まっていた事、幾度となくあるわよ」

「……それは、突然の事で驚いたとか」

「酒宴の席でお酌していた妓女に言い寄られて、豊満な体を押し付けられて顔を青くしながらその場を立ち去ったって話も聞いた事があるわね」

 赤くしたのではなくて、真っ青に血の気が引いていたと。それはもはや、奥手と言うより女性そのものが苦手なのではないだろうか。それこそ、対立している筈の珊瑚様が心配する程に。

「マリガーネット様、面白い顔になっているわよ?」

「いえ、あの……驚いてしまって」

「そうなの? 流石のあの子も、可愛い妻の前では違うのかしら」

「……少なくとも、そんな、奥手そうな素振りはございませんでした」

 詳細に語るのは流石に恥ずかしかったので、それっぽく伝えておく事にした。しかし、それでは物足りなかったらしい藍玉様に、もう少し詳しく教えてと言われてしまう。

「……婚礼の際に、私に対して様付けしなくても良いですよとお話ししたのです。陛下は藍玉様や珊瑚様に対してそうなさらないから、蒼玉様もそれに倣った方が良いのだろうと思いまして」

「へえ。それで?」

「そうしたら、私にも同じようにしてほしいと……流石にそれはお断りしましたが、そしたら、せめて二人でいる時だけでもと食い下がられて……たとえそれでも失礼になるのではと思って困っていたら、私がお姉さまに話していたみたいに可愛らしく話してほしいとか、他の人には可愛らしい様子を見せたくないからそれで良いとか……でも、琥珀もいた時に敬語を使ったら面白くなさそうなお顔をなさって……」

 何となく止め時を失って、結局あれこれと話してしまった。穴があったら入りたい。マロンに乗って逃げ出したい。

「あら、それなら良かったわ!」

「良かった、ですか?」

「ええ。せっかく西大陸から来てくれた貴女にまでよそよそしかったら、貴女に寂しい思いをさせてしまうかもしれないじゃない。そうなったら申し訳ないでしょう」

「お気遣いありがとうございます……」

「気にしないで。あの子がようやく連れてきたお嫁さんなのだもの。不義理をしたら罰が当たってしまうわ。環境が大きく変わって大変とは思うけれど、どうかあの子を見放さないであげてね」

「……はい」

 むしろ、私の方が愛想を尽かされないように努力しないといけないだろう。他ならぬ貴女を、と言って私を望んで下さった彼の期待を裏切るような事はしたくない。

「そうだわ、蒼玉が良いなら私も良いかしら?」

「何をですか?」

「私も、娘になってくれた貴女をマリガーネットと呼びたいと思って」

「是非お呼び下さいませ! 大歓迎です! 光栄です!」

「可愛い事を言ってくれるのね。それなら、私の事はお義母さまと呼んでほしいわ」

「宜しいのですか?」

「当たり前じゃない。マリガーネットは蒼玉のお嫁さんなのよ?」

 蒼玉様のお嫁さん。婚礼の儀も終わっているのだし、間違った事は何も言われていないのだけれども。改めて自覚すると、何となく照れてしまう。

「分かりました。これからも宜しくお願い致します……お義母さま」

「ええ、ええ! 宜しくね!」

 藍玉様もといお義母さまは、勢いよく返事をされて破顔された。その笑顔に、蒼玉様の面影を見て……間違いなく、この二人は親子なんだなぁと実感した。

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