(2)

 月晶帝国に着いてから一週間が経ち、婚礼当日を迎えた。それまで過ごしていた離宮から少し離れた、儀式用の宮殿で諸々の儀式を執り行うらしい。

「皇太子妃さま、大丈夫ですか?」

「……大丈夫」

 どんな国でも、婚礼の儀式とは複雑怪奇でややこしいものらしい。両手を出す、という行動一つとっても細かい部分が違うのだから、頭の中がパンクしそうだ。

「お疲れの所申し訳ありませんが、二刻後にはお披露目の式典がございますのでご準備頂く必要がございまして」

「大丈夫、分かってる……よっこらしょっと」

 こういうとシトリンには眉を顰められたが、ここにいる女官達は気にせずに流してくれた。蒼玉様が選んで下さった女官達は大らかな性格らしい。

「せっかくの機会ですから、お披露目の衣装は皇太子妃さまの母国の衣装で、という事でしたね」

「うん。だから、選りすぐりのドレスを持ってきたわ」

 私のその言葉に、女官達が歓声を上げる。可愛い衣装や綺麗な衣装に興味を示す様は、西でも東でも変わらないらしい。

「そういえばベリルはどこに行ったのかしら。儀式用のドレスを着るとなると、流石に一人じゃ難しいのよね」

「ベリルさんなら女官長と打ち合わせに」

「もうそろそろ戻られると思いますが」

 女官二人と話していたら、タイミングよくベリルが帰ってきた。侍女服でない彼女の姿はとても新鮮だが、月晶帝国の女官服も様になっている。

「このドレスなのですね。懐かしい」

「お姉さまが結婚のお披露目パーティーで着ていらっしゃったドレスだものね。あの頃のお姉さまほど背が高くならなかったから心配したけれど、どうにか着られそうで良かったわ」

「低い分には丈を詰めればいいですから、割とどうにかしやすいですよ。むしろ、背が高くなられた方が調整難しかったかと」

「そういうものなのね」

「はい」

 会話をしながらでも、ベリルは変わらずてきぱきとドレスを着せてくれる。肌着、靴下、ペチコート……久々の出番だ。

「ウエスト苦しくないですか?」

「何とか」

「よし、あと三センチは締められますね」

「待って待って、今で丁度だから何とかなのよ」

「着崩れ起こす方が困るじゃないですか」

「それはそうだけど……ひぎゃあああああ」

 悲鳴を上げる私を尻目に、ベリルは容赦なくコルセットを締めていく。おろおろしだした女官二人を、安心させるように大丈夫と宥めた。

 締め上げられたコルセットを叩いて落としどころを見つけている間に、ベリルがドレスを着せて髪を結っていく。ウエスト位置のリボンを大きめに結ってもらって、無事お披露目のドレス姿が完成した。

「やっぱりドレスはしっくり来るわね」

「十六年間着てらっしゃいましたからね」

「同じように着続けていたら、月晶帝国の服も馴染んでくるかしら」

「そうだと思いますよ……どうしたの? 二人とも」

 ベリルの言葉を受けて、私も女官二人を振り向いた。先ほどまではキラキラした瞳でドレスを見ていた彼女達だが、今は困惑を映した瞳をしている。

「あの、上に何か羽織らないのですか?」

「何も着ないわよ? ドレスだもの」

「ええと、でも、あの……それだと流石に……」

 明らかに狼狽している二人だが、どうしてそんなに困っているのだろう。ドレスのサイズはぴったりだし、引きずらないように丈も調整したからおかしくはないはずだが。

「準備はお済みですか?」

 何とも言えない空気の中、呼びに来てくれたらしい女官長の声が響いた。これ幸いと返事をし、彼女にも中に入ってもらう。

「失礼致しました。まだお済みではなかったのですね」

「終わったわよ? いつでも出られるわ」

「まだでございましょう? 上着はどちらに?」

「そんなの無いけど……」

 戸惑いつつも答えると、彼女の眉が怪訝そうに寄った。そして、睨むようにして頭の先からつま先まで視線が這う。

「ご冗談を。肩が出ているではございませんか」

「晴れの日用のドレスだもの。肩は出ているものよ?」

日常で着るドレスや儀式用のドレスならまだしも、結婚式の後のお披露目ドレスなのだから袖がないタイプが一般的である。最近は袖があるデザインのドレスもあるらしいが、お姉さまと同じドレスが着たくて貸してもらったこのドレスは、エスメラルダの一般例に準じた袖なしタイプだ。

「なりませぬ! 皇太子妃ともあろうお方が、遊女みたいに肌を晒すなんて!」

「え……え?」

「上着を見繕ってきますから、一歩も部屋から出ずにお待ち下さいませ! そんな恰好を誰かに見られでもしたら、皇太子様が何と言われるか」

「ちょっと待って下さい! こっちの言い分も聞かずに横暴では!?」

「黙らっしゃい! そんな恰好で人目に晒されれば、悪く言われるのは皇太子妃様の方なのですよ!」

「二人とも落ち着いて……」

 ベリルの言い分も分かるし叫んでいる女官長に思う所が無い訳ではなかったが、これ以上騒がしくするのは迷惑ではなかろうか。とは言え何が問題なのかもよく分からない状況なので、どうすれば良いのか見当もつかない。

どうしたものかと困っていたら、ふいに廊下が騒がしくなった。

「一体何の騒ぎですか?」

 そう言って、一人の女性が入ってきた。赤い髪に赤い瞳……いらっしゃったのは、側妃である珊瑚様だった。


  ***


「……なるほど、そういう事」

「国によって事情や風習は違うと思いますが……」

「そうね」

「こちらの風習や文化の事も出来得る限り調べてから参りましたが、足りなかったようです。申し訳ありません」

「いえ……こちらこそ御免なさいね。勝手にこの国の常識ではかって貴女達の衣装を貶めるような事を言ってしまったのだもの」

「……お気遣いありがとうございます」

「でも、普段はああまで騒がない女官長があれだけ絶叫していたくらいには、この国では肌を出すというのが一般的な事ではないのよ」

「そうなのですね」

「この国の服は男性でも女性でも長い袖が多いでしょう? その上で、下の服もくるぶしまで覆うような丈が主流だから顔と手以外は基本見えないのね」

「言われてみればそうでしたね。正直夏場は暑そうだな、と思っていました」

「夏はもう少し薄い生地を使うから案外大丈夫よ。でも、特に今回みたいな祝い事の時は普段よりもさらに着飾っていくものだから、余計に肌は隠れていくの。高貴な身分の者ほど肌を見せないし、高価な衣装で着飾れるのが特権という風潮もあるわね」

「……では、ドレスは辞めた方が良いのでしょうか?」

 本当は着たいけれど。お姉さまがエメ兄さまの妃になった、と世に知らしめた時の晴れの衣装を、私も自分の晴れの日に着たかったけれど。ここまで大事になってしまうのならば、止めた方が良いのかもしれない。

「……その状態のまま出るのは、やっぱりお勧めしないわね。でも、上から何か羽織っても良いなら着替える必要はないわ。要は、肩を出していなければ問題ないの」

「顔と手以外を見せなければ良いという事ですね。それでしたら、はい。冬場はショールを巻いたりボレロを羽織ったりしますし……着る事自体は問題ありません」

「分かった……ちょっと待っていて」

 そうおっしゃった珊瑚様は、いったんこの部屋を出て行かれた。そして、しばらくして再び戻っていらっしゃる。

「これを貸してあげる。色とかも問題ないと思うわ」

 差し出されたのは、銀の糸で豪華に刺繍が施されている群青色の羽織だった。夜空をそのまま映したかのような色合いで、豪華ではあるが派手派手しい印象はなくて品がある。

「ありがとうございます!」

「ドレスが薄いパープルだから色も合いますし……少し着方をアレンジすれば大丈夫と思います! 早速着付けますね!」

「お願いね、ベリル!」

 言うや否や、羽織を受け取ったベリルはウストのリボンやピンを使って器用に着せてくれた。即席にしては十二分な仕上がりである。

「本当にありがとうございます、珊瑚様。何とお礼を言ったら良いか」

「気にしないで。あの皇太子殿下が漸く連れてきたお妃さまなのだもの。無礼をしたら罰が当たるわ」

「そうなのですか?」

「ええ。ご自身の責務はきちんと理解されていたみたいだけれど、いくつになっても浮いた話が出ないし花街にも行かないし、一部では男色趣味なんじゃないかって噂されていたくらいだもの」

「……そうなのですね」

 確かに、自分は側妃を娶るつもりは無いとおっしゃっていたが。あれはあの時の私を落ち着かせるための言葉で、本心ではないかもしれないと思っていたのだ。でも、今の話が本当ならば本心なのかもしれない。

「そんな訳だから、貴女は貴重な、あの皇太子殿下を射止めた女性としても有名よ。慣れぬ異国の地で風習も違って大変とは思うけれど、どうか見放さないであげてね」

 珊瑚様はそれだけおっしゃって、そのまま会場へと向かわれた。小さくなっていく背中を見届けた後で、自分で自分の頬を張る。

「何はともあれ、これで大丈夫ね! 急いで会場へ行きましょう!」

 気合を入れるように張り上げた私の声に、みんなが一斉に返事をした。


  ***


「お待たせ致しました」

「マリガーネット様」

 準備を終えていた蒼玉様の傍に言って声を掛ける。蒼玉様は、濃紫の衣装に紫の羽織と飾りがついた帽子を被っていた。

「ドレスをお召しと聞いていましたが、羽織ってらっしゃるのは月晶帝国の物ですか?」

「はい。持ってきたドレスに袖がなかったので、珊瑚様が貸して下さったのです」

「珊瑚妃が?」

 不思議そうに首を捻っている蒼玉様へ、かいつまんで説明する。全て聞き終えた彼は、いきなり謝罪を口にした。

「女官長が失礼をしました。申し訳ありません」

「いえ……こちらこそ、帝国の文化をもっと詳しく調べておくべきでした」

「マリガーネット様は十分調べてらっしゃいましたよ。俺も、貴女が着るとおっしゃっていたドレスは戴冠式の時のようなドレスかと思っていましたので……まさかそんな事態になっていたなんて」

「式典のドレスだと大体長袖ですものね。確かに、ドレスを着る習慣がない方には想像しづらいと思います」

 この国は、今までの私の当たり前が当たり前でない世界。エスメラルダではこうだったという事も月晶帝国では真逆、というのがあり得るのだ……それならば。

「蒼玉様」

「はい?」

「私、頑張ります。一日でも早くこの国の人間となれるように。貴方の隣にいるのに相応しい女性となれるように」

 自分の常識や価値観で物事を推し量らないように。無意識に、培われてきた文化や人々を傷つけないように。

「なので、もし……この国の事について分からない事があったら教えて下さい。間違った事やしない方が良い事をしていたら、理由と共に教えて下さい」

「勿論です。誰だって、頭ごなしに否定されたら腹が立って反発したくなるものですからね」

「ありがとうございます!」

 お礼を言って、一礼した。そして、ふとある一点がずっと気になっていたのでついでに伝えておく。

「様はつけなくても大丈夫ですよ?」

「え?」

「蒼玉様は私の事をマリガーネット様と呼んで下さいますけれど、貴方は私の旦那様になるのですし、貴方の方が年上ですし。だから、敬称も敬語も要らないです」

「……分かりました。それならば、貴女も普通に話して頂いて大丈夫ですよ」

「私はダメです」

 ありがたい申し出ではあるが、断りの言葉を口にした。蒼玉様の表情が一瞬だけ悲しそうになったので申し訳ない気持ちになったが、立場や身分は弁えるべきだろう。

「私は貴方よりも年下ですし、皇太子の方が皇太子妃よりも立場が上でしょう。藍玉様や珊瑚様だって、皇帝陛下には敬意を表した話し方をされているじゃありませんか」

「……ですが、エスメラルダ王妃には砕けた話し方をされていましたよね」

「それは……元々は同じ家の姉妹ですし」

「姉妹も夫婦も、家族という意味では同じでしょう? それに、お二人のやりとりを見ていて少々羨ましくもありまして」

「羨ましい?」

「ええ。どこからどう見ても仲の良い姉妹同士で、貴女が王妃を慕っているのが伝わってきて……あんな風に可愛らしく話し掛けてほしいと」

「え!?」

 そんな事を言われると思っていなかったから、思いっきり面食らってしまった。一気に耳まで熱くなって、体中が火照ってくる。

「……マリガーネット」

 追い打ちをかけるように、蒼玉様が私の耳元で名前を呼んだ。少し低めの優しい声で囁かれ、腰が抜けていきそうになる。

「君は俺の妻となるのだから。猶更、仲を深める為にもそうしてほしいのだが」

 じわりと視界が滲んできた。ぞくぞくと背筋が震えて体も震えてきたので、自分で自分を抱きしめつつ一生懸命足に力を込めて踏ん張る。そして、一つ息をついて覚悟を決めた後で、周りの女官や官吏達には気づかれないよう彼の裾を引っ張って耳元に話しかけた。

「こうやって二人でいる時だけよ! そうしないと皆に示しがつかないわ!」

「それで十分だ。君の可愛らしさをこれ以上見せびらかす気もないし」

「なっ……何を、言って!?」

「これ以上君が可愛らしくなってしまっては、良からぬ事を考える輩が出てくるかも分からないからな。もちろん、君を信用していないという訳ではないが」

「……!」

 二の句が継げなくて、はくはくと無意味に口を開け閉めしてしまう。そんな私の様子を楽し気に眺めていた蒼玉様は、おもむろに右手を差し出した。

「じゃあ行こうか、俺の妃」

「……っ、ええ、そうね!」

 遠慮なく彼の手を握りしめながら、精一杯叫ぶ。心臓はばくばくしているし、顔も体も熱いし、足はふらつくし。それなのに、私の手を引きながら歩く蒼玉様は、何もなかったかのように歩いている。

(頑張って努力して、いつか彼の事も翻弄してやる!)

 楽し気に揺れている青い髪を少しだけ睨みながら。名実ともにこの国の仲間となれるように……という目標ともう一つ。

 新しく出来た目標を胸に刻みながら彼と共に歩き出した。

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