第二章 翠玉、異国に舞い降りる
(1)
「お初にお目に掛かります。エスメラルダ王国の公爵家、ランウェイ家の次女であるマリガーネットと申します」
道中習った月晶帝国の言葉で、目の前の皇帝陛下に挨拶をする。彼の隣に座っている青い髪に水色の瞳をしている女性が、蒼玉様の母親である皇后陛下、藍玉様なのだとか。
「遠いところからよく参られた」
「ありがとうございます」
「これから宜しくお願い致しますね」
「よろしくお願い致します」
無事に挨拶を終えたので、玉座を後にした。部屋を出た途端にずるずると座り込んでしまったので、一緒にいた蒼玉様を心配させてしまう。
「すみません。やはり緊張しまして」
「無理もありません。長旅の疲れもあるでしょうし、他国の皇帝なんてそうそう会うものでもないでしょう」
「でも、悪い人ではなさそうで良かったです」
正直に告げると、蒼玉様は一瞬だけ口を結んだ後にそうですねと答えて下さった。まだ挨拶しただけの私とずっと一緒にいる蒼玉様とでは、相手に抱く感情も違うだろうからそういうものなのだろう。
「お手をどうぞ」
「え?」
「秋も過ぎた頃合いですからね。冷たい床の上に座ったままだと体を冷やしてしまうかもしれません」
「ああ、お気遣いありがとうございます」
お礼を言って、ありがたく手を掴ませてもらった。その手に力を込めて立ち上がり、ドレスの皺を整える。先導していたメイド……この国では女官と言うのか、女官がこれから生活する屋敷である離宮へ案内してくれると言うので、蒼玉様と共に向かう事にした。
「……そいつが、あんたが連れてきた女か」
道中を進んでいると、いきなり不躾な言葉が聞こえてきた。話しかけてきたのは、赤い髪に赤い目をした青年だ。蒼玉様に似ている気がしなくもないが、顔つきは彼よりもややきつめの雰囲気である。
「ふうん。まぁ、愛嬌はありそうだな」
「ありがとうございます。エスメラルダ王国のマリガーネットと申しますわ」
「西大陸のエスメラルダか。確か、畜産と宝石が有名だったな」
「はい。友好の証としていくつかお持ちしましたので、是非ご覧下さいませ」
「持ってきた? 牛や馬を?」
「いえ、宝石の方で……」
赤髪の青年と会話を続けていると、横にいた蒼玉様がいきなり割って入ってらっしゃった。どうしたのだろうと思って確認した横顔は、見慣れたものと違ってどことなく冷たい印象を受ける。
「会話を続ける前に名乗ったらどうだ。失礼だぞ」
「何だ、てっきりあんたが教えているとばかり思っていたが。だからそいつもわざわざ聞かなかったんだろ」
「仮にそうだったとしても、名乗らなくていい理由にはならないだろう。そもそも、お前の今の物言いは義姉となる女性に対してあまりにも無礼だ」
「……ふん」
青年はそれだけ答えて、舌打ちしながらこの場を去っていった。彼の正体に見当はついているが、念のため蒼玉様に確認しておくか。
「先程の方が、三歳年下の方の蒼玉様の弟君ですか?」
「はい。名を劉紅玉と言います……あんな無礼な態度で申し訳ありません」
「私は大丈夫ですから、お気になさらず」
紅玉様の態度はさておき、性根はそう悪い人ではなさそうだ。多分、気性的にはエメ兄さまに近い気がする。ある意味では親しみやすそうだ。
気を取り直して離宮へと向かう。暫く歩いて行った先で、今度はお姉さまみたいな赤い長髪の綺麗な女性が現れた。
「太子殿下?」
「珊瑚妃? 何故こちらに?」
「失礼致しました……黒玉を探しておりまして」
「ああ、先程後宮の中庭にいるのを見掛けましたよ。また逃げ出しましたか」
「そうなのです。もうすぐ先生がいらっしゃると言うのに……ありがとうございます。早速確認して……あら? そちらが例の?」
綺麗な女性と蒼玉様がお話されているのを何となく面白くない気分で眺めていたら、いきなり話がこちらに飛んできて文字通り肩が大きく跳ねてしまった。しかし、蒼玉様も赤い美女も特に気にならなかったのか、特に咎められる事もなかったので挨拶をする。
「お初にお目に掛かります。蒼玉殿下に嫁すために参りました、エスメラルダ王国の公爵家次女であるマリガーネットです」
「そう。私は陛下の側妃である楊珊瑚よ」
「珊瑚様とおっしゃるのですね」
「ええ。紅玉と、黄玉と、黒玉の母でもあります」
「紅玉様……先程お話しました。紅玉様の髪と瞳の色は、お母さまである珊瑚様譲りだったのですね」
「気に障ったのならば御免なさいね」
「え?」
いきなり謝罪をされて面食らってしまった。今の内容のどこ辺りに、珊瑚様が謝る必要があったのだろう。
「何がでしょうか? 特に気になった事はございませんが」
さっぱり見当がつかないので、思った通りに発言する。今度は珊瑚様の方がいくらか目を丸くなさっていたが……おずおずと言った感じで口を開かれた。
「……赤い髪と目なんて、気味が悪いでしょう?」
「そんな事ありません! とても綺麗で私は好きです!」
お姉さまを崇拝している身としては、赤い髪は好ましい要素の一つだ。なので、拳を握りながら力強く答えたのだが、珊瑚様は呆けたようにぱちぱちと赤い瞳を瞬かせている。
「貴女の国では、赤は歓迎される色なのかしら」
「……申し訳ありませんが、髪色としてはあまり好まれる色ではありません」
「そうなの? それなのに貴女は好きだと言えるのね」
「私が尊敬して止まない姉の髪も赤いのです。なので、私にとっては素敵な色です」
「貴女の姉……ああ、現エスメラルダ王妃ね」
「はい」
「……王妃様も、髪のせいで苦労なさった?」
問い掛けられて、言葉が詰まる。正直に言っても良いものかと迷ったが、嘘をついたり黙秘したりする方が失礼かと思い口を開いた。
「そうだと思います。ランウェイ公爵家の長女として産まれて、幼少期から現王の婚約者に内定しておりましたが……国内では珍しい髪の色を理由に冷遇されておりました」
「そうなのね。どこの国も、赤色は苦手と見える」
「……」
そうだとも、そんな事はないとも言えずに押し黙る。私は好きだけれど周りの冷たさもよく知っているから、軽薄な事は言えなかった。
「引き留めてしまって申し訳ありません。黒玉を連れ戻さないといけませんし、もうそろそろ失礼致しますね」
「いえ、こちらこそご挨拶のお時間を頂きありがとうございました」
蒼玉様がそう言って頭を下げられたので、私も一緒にお辞儀をする。珊瑚様は一瞬だけ足を止めてこちらを振り向いた後、先程通り過ぎた中庭の方へと向かっていった。
「珊瑚妃はああ言っていたが」
「はい?」
「実際は、珊瑚妃が皇帝の一番の寵姫なんですよ。最も、現皇帝の妃はそもそも二人しかいませんけれど」
「……そうなのですか?」
「容姿端麗で博識、思慮深く冷静で真面目に公務に取り組む彼女は皇帝のみならず国民からの支持も厚いですね。皇后の子が私一人なのに対し彼女は三人産んでおりますし、今も夜渡りが多いのは彼女の方です」
「……それは」
蒼玉様にとってはどうなのだろう。それはつまり、父親の一番は自分の母親じゃないという事になる訳だろう。悲しいとか、悔しいとか、面白くないとか恨めしいとか……思ったりはしないのだろうか。
「マリガーネット様? 如何なさいましたか?」
「ああ、すみません、大丈夫です」
急に黙ってしまったから心配させてしまったらしい。そもそも、今は離宮に向かう途中だ。頭を振って疑問を追い出し、再び歩き始めた女官の後を追った。
「……そんなに心配されなくても、俺は貴女しか娶りませんので大丈夫ですよ」
「え?」
予想外の言葉が聞こえてきたので、素っ頓狂な声をあげて再び足を止めてしまった。一方の蒼玉様は、驚いている私に驚いてらっしゃるらしい。
「え、あ……俺が側妃を囲って自分が蔑ろにされたらどうしようか、と心配なさったのかと思ったのですけど……違いましたか?」
「……皇帝陛下の一番が珊瑚様なら、皇后である藍玉様を母とする貴方は嫌ではないのかなと、そういう事を考えていました」
「…………それは失礼しました。見当違いも甚だしい、忘れて下さい」
耳まで真っ赤になった蒼玉様が、顔を隠すように俯いた。ああ、でも、さっき珊瑚様と彼が話していた時に感じたモヤモヤが晴れていったので、彼の気遣いはありがたい。
「いいえ、私を慮って下さってありがとうございます。嬉しいです」
「…………そうですか」
それなら良かったです、とおっしゃった蒼玉様は、とても可愛かった。
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