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「蒼玉様、お久しぶりです」

「お久しぶりです、マリガーネット様」

 結婚が正式に決まったので、月晶帝国から使節団が来る事になっていた。蒼玉様は来られるか分からないと聞いていたのだが、都合をつけて同行して下さったらしい。

「皇太子殿下自らお越し下さって、ありがとうございます」

「礼には及びません。むしろ、こちらの方こそ……申し出を受けて頂き、ありがとうございます」

 ふわりと笑った蒼玉様が、深々とお辞儀をして下さった。彼が頭を下げる機会なんてそうないだろうが、それでも仕草が様になっている。

「長旅でお疲れでしょうし、まずは部屋までご案内致しますね」

「ありがとうございます」

「お連れの方々は別にご案内させて頂きますが宜しいでしょうか?」

「大丈夫ですよ」

 久々にお会いした蒼玉様は、初対面の時よりも幾分かは血色良く見えた。けれど、目元の辺りにうっすら隈が出来ている。歓迎の晩餐は明日の予定だから、今日はお部屋でゆっくりしてもらおう。 

「マリガーネット様はお元気でしたか?」

「はい、元気に過ごしておりました」

 風邪を引いたりお腹を壊したりはしていないので、元気だったと言っても差し支えないだろう。勉強を張り切り過ぎた結果寝不足になり、そのまま愛馬のマロンに乗ったせいで盛大に落馬して擦り傷を沢山作ってしまったが。

「蒼玉様はどうでしたか?」

「私も元気です。忙しくはしていましたけれど」

「皇太子……こちらで言う王子ですものね。やはりご公務が多いのですか?」

「まぁ、それなりに。臣下が優秀で任せられる部分も多いですから、助かっています」

「そうなのですね。その方は今回いらっしゃっていますか? ご挨拶したいです!」

「済みません。留守番をお願いしてきたので同行していないんですよ」

「それは失礼致しました。ならば、帝国でお会い出来るのを楽しみにしておりますわ」

 のんびりと会話をしながら、長い廊下を歩いていく。ようやく彼が滞在中に使ってもらう部屋についたので、ドアを開いて中へ促した。

「部屋の詳しい説明は、後から参りますメイドが行います。何なりとお聞き下さいませ」

「分かりました。マリガーネット様も案内ありがとうございます」

「どういたしまして。それでは私はこれで」

 蒼玉様の紺碧の瞳に視線を合わせた後で、一礼してその場を去った。居候している王妃宮へ帰る道で、腹心のベリルを見つけたので呼び寄せる。

「良く知った顔を見ると安心出来るわね……」

「ありがとうございます。流石のマリガーネット様も緊張されました?」

「そりゃあね。正式に決まった婚約者とはいえ、相手は外国の皇太子さまだもの。何か顔も凝った感じする」

「あー……確かに。お風呂上りにホットマスクお持ちします」

「よろひくね」

 むにむにと遠慮なく頬を揉まれながら、ベリルに返事をする。気持ちが良いのでそのままマッサージされていると、おもむろに彼女が口を開いた。

「先日のお話ですけれど」

「ああ、うん」

「両親には話をつけましたので、私も月晶帝国へお供させて頂きますね」

「……良いの? 私は嬉しいけど、子爵家は」

「弟に跡を継がせると。寂しくはあるが、とても名誉な事だから悔いの無いよう精一杯お勤めせよとの事です」

 そこまで言い終わると、ベリルは手を放して私の髪を整えてくれた。薄緑の瞳が向けられて、ふいにじわりと視界が滲む。

「愛娘を送り出してくれる子爵のためにも、頑張らないとね」

「サポートならお任せ下さい。そのための私ですから」

「ありがとう、ベリル」

 物心つく頃からの幼馴染で、王立学院を卒業してからは行儀見習いという名目で私の侍女をしてくれていた。長女である彼女は、跡を継ぐためいずれ実家に戻らなくてはならなかったから……難しいだろうと思ったけれど、ダメ元で一緒に月晶帝国へ来てほしいとお願いした。

 それを了承してもらえて、ほっとして泣いてしまったくらいには。私は、まだまだ強くないらしい。


  ***


「月晶帝国の主食はパンやパスタではないのですね」

「主食としては米類が一般的ですね」

「コメ……コメはどうやって食べるのですか?」

「水と共に釜へ入れて、火で煮て柔らかくしてから食べます」

「なるほど……リゾットみたいなものなのかしら」

 使節団が帰国するまでまだ日数があるので、今日は蒼玉様の所へお邪魔して月晶帝国の事について教えてもらっていた。王立図書館の文献を全て読破したので知識自体は大分増えたが、やはり現地に住んでいる方の話の方が分かりやすいし面白い。

「そう言えば、マリガーネット様は何か苦手な食べ物等はございますか?」

「いいえ。基本的に何でも食べられます」

「苦手な味とかは」

「極端な味でなければ大体大丈夫です」

「そうですか。頼もしいですね」

「頼もしいですか?」

「ええ。こちらに着いて数日経ちますが、エスメラルダ王国と我が国では食文化が結構違うなと思う事がそれなりにありまして。帝国にいらっしゃった来賓の中には、食事が合わず体調を崩される方もいるのですよ」

「体質はそう簡単に変えられませんから、仕方ない事なのでしょうけれど……それは勿体ないですね。せっかく、新しい味を知る機会ですのに」

 何気なく口から出た言葉だったのだが。それまではテンポよく返って来ていた蒼玉様の言葉が途切れたので、どうしたのだろうかと思い彼の方を振り向いた。しかし、特に顔をしかめているとか眉間に皺を寄せているという訳ではなかったので大丈夫そうだ。紺碧の瞳を細めて、穏やかに笑っていらっしゃる。

 そして、そんな蒼玉様の右手がふいに動いて私の頭の上に乗った。慈しむ様に撫でられて、悪い気はしなかったのでそのまま享受していたのだが……申し訳ありませんという言葉と共に彼の手が引っ込んでしまった。

「済みません。つい何時もみたいに」

「大丈夫ですからお気になさらず……普段からされているのですか?」

「ええ。弟によくせがまれるのです」

「蒼玉様には弟がいらっしゃるのですか!?」

 それはつまり、その二人はいずれ私の妹にもなるという事だ。ついに私も、憧れていた『姉』になれるのか。

「同母の弟妹はおりませんが、異母弟二人と異母妹一人がおりまして」

「そうなのですね。年は近いのですか?」

「弟のうち一人は三歳しか違いませんが、妹の方は七歳、もう一人の弟は十歳離れていますね」

「うちとは逆ですね。うちはお姉さまが私よりも七歳上で、お兄さまは四歳上です」

「お兄さまもいらっしゃるのですか?」

「はい。お兄さまはお姉さまと同母の姉弟です」

 私の自慢の姉と兄、スピネルお姉さまとルベライトお兄さま。二人を産んだお母さまは侯爵家出身の由緒正しいご令嬢だったらしいが、二人続けて赤い髪の子供を産んだという理由で公爵家を追い出されたのだと聞いている。今時そんな理由で離縁するなんて身勝手だと思うが、その後嫁いだ子爵家の女性が私を産んだお母さまなので……心境的には正直複雑だ。

「マリガーネット様は末子になるのですね」

「そうなんです。なので、弟妹がいるというのに憧れておりました。三人にお会い出来るのを楽しみにしています!」

 喜んだ勢いのまま伝え、彼の両手をがしっと掴む。一瞬だけまずかっただろうかと思ったが、彼だって特に前置きなく私の頭を撫でていたし問題ないかと思って離さず握ったままでいた。うっすら顔が赤いばかりで振り払われはしなかったので、多分大丈夫だったのだろう。

「……あらあら。いつの間にそこまで仲良くなったの?」

 ドアの方から聞き慣れた慕わしい声が聞こえてきたので、手は握ったままそちらへ顔を向けた。体の前で腕を組んで笑っているお姉さまは、乗馬用の服を着ている。

「お姉さま、ブランカに乗るの?」

「ええ。だから貴女も誘いに来たのだけど……お邪魔だったかし」

「今すぐ準備するわ! 待ってて!」

 脊髄反射で答えた後に、手の中の温もりを思い出して冷や汗が出てきた。ゆっくりと首を動かし、目の前の彼を確認する。

「私の事は気にせずに行ってきて下さい」

「……申し訳ありません」

「いいえ。結婚後は姉妹水入らずの機会を設けるのも難しくなるでしょうし」

「ありがとうございます」

「このくらいでしたら、どうという事はありません」

 にっこりと微笑みながら言う蒼玉様は、とても大人に見えた。いや、私よりも年上の二十一歳と聞いているから実際に大人なのだけど。

「それじゃあ先に厩舎へ行っているわ。準備が出来たら来なさい」

「はい!」

 私の返事を聞いたお姉さまは、一回頷いた後で背を向け去っていった。乗馬をするのだから当たり前だけれども、普段はさらさら揺れている赤い髪がきっちり編み込まれているので少しだけ残念な気持ちになる。

「マリガーネット様は乗馬をなさるのですね」

「はい。幼少期の頃に始めまして、今では自馬も持っています」

「その馬は月晶帝国へ連れていきますか?」

「そのつもりです」

 私の愛馬マロンは、今年四歳になる栗毛の牝馬だ。エメ兄さまとお姉さまそれぞれの愛馬の間に産まれた初子なので、私にとって思い入れが深い一頭でもある。

「牝馬の割にカリカリした所もありませんし、建て替えのために厩舎を変えても落ち着いていましたし。放牧している時に近くで子供が叫んでいても、気にせず牧草を食べていました」

「それは凄いですね」

「ありがとうございます」

 私が何をした訳でもないが、愛馬を褒められて嬉しくない訳がない。そんな訳で、マロンの代わりにお礼を伝えておいた。

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