翠玉の令嬢は異国の地で愛を知る

吉華(きっか)

プロローグ

プロローグ

「具合が良くないのでしたら、医者を手配致しましょうか?」

 椅子に座って目を閉じていると、下方から鈴の音のような声が聞こえてきた。誰だろうかと思って確認すると、そこにいたのは青緑色の髪に黄緑色の瞳をした少女。戴冠式の時に会場で見た記憶があるので、この国のご令嬢だろうか。

「……大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」

「そうですか? それにしては、あまり顔色が良くありません」

 黄緑色の瞳に憂いが乗った。成程、彼女は俺を案じてくれているのか。よく見ると、右手には水がなみなみと入ったグラスを持っている。その状態で屈んでこちらを見上げているというのだから、器用な事だ。

「人酔いする質なのです。こうやって休んでいれば大丈夫ですので」

「そうですか……分かりました。大事無いなら良かったです」

 目の前の少女が、緩やかに口角を上げて笑った。柔らかい微笑みが、疲弊した心の奥へじわじわと染み込んでいく。

「貴女は、確かこの国のお方でしたね」

「はい。わたくしはマリガーネット・ランウェイ、新王妃であるスピネル王妃の妹でございます」

「……スピネル王妃の?」

 戴冠式で王妃本人を見たが、確か紅緋色の髪に栗色の瞳をしていた筈だ。エメラルド王の方が色合い的には似ているから、そちらの方の血縁だと思っていたのだが。

「ああ、私達は異母姉妹なんですよ。それぞれ自身の母に似たので、色彩等の見た目は結構違いますね」

「そうでしたか……不躾な真似を致しました、申し訳ありません」

「お気になさらないで下さい。こうしてお会いするのは初めてですから、驚かれるのも無理からぬ話です」

 にこにこと人好きのする笑顔で答える彼女の言葉に驚いた。こうしてお会いするのは初めてだから……そういう言葉が出てくるという事は。

「もしかして、私の事をご存じですか?」

 彼女の瞳を見つめながら問い掛ける。憂いの無くなった黄緑が、ぱちぱちと瞬いた。

「ええ、勿論。我が国にいらっしゃった、大切な来賓のお一人ですもの」

「……そうですか」

 肯定と共に紡がれた言葉が、何故かちくりと胸を刺した。俺は来賓の一人……別に、彼女は何も間違った事は言っていない。それなのに、どうして。

「では改めてご挨拶致します。私は月晶帝国の皇太子、劉蒼玉と申します。宜しくお願いしますね」

「わたくしはエスメラルダ王国の公爵家の一つである、ランウェイ家の次女マリガーネットでございます。こちらこそ宜しくお願い致します」

 目の前で微笑んだマリガーネット嬢は、そう言って立ち上がると優雅に一礼した。揺れた髪から香油らしき香りがして、どきりと心臓が跳ね落ち着かない心地になる。それなのに、どうしてか目が離せなくて……彼女が頭を上げるまでずっと見つめていた。

「手に持っていらっしゃるのは水ですか?」

 気を紛らわせたくて、ふと思いついた言葉を口にする。唐突な流れではあったが、マリガーネット嬢は眉一つ寄せずに笑顔で答えてくれた。

「はい。レモンを絞って入れてくれたので、さっぱりしていて美味しいですよ」

「檸檬水ですか。確かに、食事の合間に飲むには良さそうです」

「お持ち致しましょうか?」

「ああ、いえ……自分で取りに行きますので、大丈夫で」

「遠慮なさらないで下さい! 来賓の方のお手を煩わせる訳にはいきませんし、持って参ります!」

 こちらの言葉を遮った彼女は、話し終わると同時に勢い良く後ろを向いた。当然、なみなみと檸檬水が注がれたグラスを持ったまま。

「きゃっ!?」

 グラスから零れた檸檬水が、彼女のドレスに染みを作っていく。どうしたものかと思っていたら、薄緑色の髪と目をした女性が近づいてきた。マリガーネット嬢よりも装飾が少ないドレスを着ているので、女官の一人だろうか。

「マリガーネット様! 大丈夫ですか!?」

「私は大丈夫……蒼玉様は!?」

 言うや否や、彼女がくるりとこちらを振り向いた。揺れる黄緑へ向かって問題無いと告げると、強張った表情が一転してほっとしたのになる。

「マリガーネット様のドレスは大丈夫じゃなさそうなので、着替えて下さいね」

「はーい。でも、見つかったのがベリルで良かった。シトリンだったら今頃雷落とされてたわ」

「どの道発覚すると思いますよ。ドレス洗わないといけないですし」

「それはそうね……あ、先に蒼玉様へレモン水を一杯持って行ってくれる?」

「かしこまりました。その後に合流しますね」

 てきぱきとマリガーネット嬢の状態を確認していたベリル嬢は、一礼してからこちらを離れた。ベリル嬢を見送ったマリガーネット嬢が、もう一度こちらを振り返る。

「申し訳ありません。一旦失礼致しますね」

「大丈夫ですよ。お気になさらず」

「もし宜しければ、是非料理の方もお食べ下さい。料理長の力作が勢揃いですので!」


 そう言った彼女の笑顔が、いつまでの視界の中で煌めいていた。

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