第7話 残念すぎる28歳処●
それから一夜が明けて。日曜日。午前十時くらい。
俺は、さっそく瑠衣姉の住んでるマンションへ足を運んでいる最中だ。
昨日、瑠衣姉とは、夜一緒に俺の家で夕飯を食べた。
母さんが割と豪勢な料理を作ってくれ、それを父さんも加えて四人で食べた形だ。
二人とも、久しぶりに瑠衣姉と会えて喜び、まるで自分の娘の成長に幸福を感じてるかのようだった。
教師としてこの町に帰って来たわけだし、転勤もすぐにはない。
予定を合わせて、今度瑠衣姉のお父さんとお母さんも誘い、バーベキューだったり、食事会でもしよう。
そんなことを言って、夜遅くまでお酒も飲んだりして楽しんだわけだけど(当然俺は飲んでない)、結局瑠衣姉は俺の家に泊まることなく自宅へ帰った。
もちろん、一人で帰ったわけじゃない。
べろんべろんとまではいかなくても、酔ってはいたから、付き添いで俺が家まで付いて行ったんだ。
それもあって、今こうして割とスムーズに道に迷うことなく、瑠衣姉の家まで歩けてる。
お姉様の実家はわかってても、住んでるマンションまではさすがにわからないからな。
親のすねかじりにはなれないっていうアラサーのプライドだと本人は言ってたけど、同じ町の中に住んでるんだし、そんなもの捨てて、またおじさんおばさんたちと一緒に住めばいいのに、とは思うんだけど。
それはある意味、俺がまだ幼いからこその考えなのかもしれない。
そういうところでも、瑠衣姉との年齢差とか、考え方の未熟さを実感する。
俺も早く大人にならないといけないのに。
彼女に見合う男ってやつに。
「……ここか」
しばらく歩いて、ようやく瑠衣姉の住むマンションへ到着。
家賃は良くもなく悪くもなく、とのことだけど、外観は一見すれば高級感を感じさせてくれるものになってる。
ここの二階の角部屋に瑠衣姉は住んでるんだっけ。
さっそく行ってみよう。家に行くよってことはもう伝えてあるし。
「えっと、201……201……」
階段を上がり、201の部屋の前に着く。
幻聴じゃなければ、部屋の中から忙しない足音が聴こえてくるんだけど、まあいいや。
きっと部屋の中は綺麗で、健全な家具が置いてあるだけのはず。
俺はどこかそれを自分に言い聞かせながら、インターフォンを鳴らす。
――ピンポン。
その刹那、バタタ、と足音がさらに激しくなった気がした。
バサバサと何か書類(?)か、紙(?)か、よくわからないものが床に散らばるような音もする。
「……はは」
引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
さてさて。部屋の中はいったいどんな感じになってるんでしょうかね。
『ゼェ……ハァ……ゼェ……ハァ……は、はぁ~い。り、りん君~?』
インターフォンのマイクのような部分から、呼吸を荒くさせた瑠衣姉の声が聞こえ出す。
「る、瑠衣姉……? とりあえず来たけど……」
『あ、あはは……ハァ……ハァ……う、うんうんっ。……んぐっ……ゼェ……ゼェ……了解だよ。い……今……玄関の方行くね~……』
今、『んぐっ』って言ったよな……。
完全に限界が近い人の声だった。
もうなんか、部屋に何が置いてあったとしても許してあげた方がよさそうだ。こんなにいっぱいいっぱいになってる瑠衣姉を責め立てることなんて俺できないよ……。
「い、いらっしゃい、りん君~……」
ガチャリと扉が開けられ、中からざんばらな髪の毛をした瑠衣姉が出てくる。
その姿は、まるで某ホラー映画に出てくるサ●コさながらだ。今まで一生懸命だったせいか、目も瞳孔が小さくなってて、恐ろしい以外の言葉が見つからない。思わず俺は悲鳴を漏らしてしまった。「ひぃ」と。
「る、瑠衣姉……なんか……大丈夫? だいぶ部屋の中でバタついてたみたいだけど……」
「だだ、大丈夫大丈夫~……! 全然バタついてなんてなかったし、りん君の写真を部屋中に貼ってたから、それ剥がすために二日酔いなの我慢して朝から動き回ってたとか、そんなことまっっっっっったくないよ! 安心して!?」
「で、でも、その言い方だと――」
「安心して!? ね!?」
怖すぎだった。圧が凄い。
今さらではあるけれど、完璧なお姉ちゃんだった瑠衣姉像がガラガラと崩れ去っていく。
これじゃあもはやただの変態でポンコツな歳上女性(28歳処●)だ。余裕なんて一ミリも無かった。「りん君が大きくなったらね」なんて言ってたのはどこの誰だったっけ。
「わ、わかった。わかったよ。安心するから、とりあえずちょっと離れて? いくら何でも近すぎる……」
「あっ……! ご、ごめんね! つい……」
言って、アセアセと俺から距離を取る瑠衣姉。
でも、なぜかこの人はまた一人で頬を緩ませ始め、
「ん……んへへっ……。けど、りん君朝からなんかいい匂いするね……。お姉ちゃん、勝手にニヤニヤしちゃうよ……」
怖すぎた次はキモすぎる件。いや、これもまた怖すぎるうちに入るのか。
「そういえば、相手の匂いをいい香りだと感じられるのって、相性がいい証拠みたいだよ。お姉ちゃんとりん君、もしかしたらすっごく好相性なのかも。ぐへへ……」
さめざめと泣きたい気分になる。
十年前の自分に言いたい。
大好きだった瑠衣お姉ちゃんは、十年後に涎を拭うような仕草をしながらあなたとのラブを感じてますよ、と。
それは喜んでいいことなのか悪いことなのか……。
ため息をついてしまう。
こんなのでも、俺はどうしようもなくこの人のことが好きなんだから。
「何でもいいけどさ、瑠衣姉……? 部屋の中、入ってもいい……? いつまでも玄関先にいるの、お隣さんとかに迷惑かもだし……」
「う、うんっ。そうだねっ。は、入って入って? 生まれてこの方、男の人を自分の部屋に入れるのなんて始めてなんだけど」
「サラッと悲しいこと言わなくていいから……」
「だ、だって事実なんだもん……! 言った通り、お姉ちゃんりん君以外の男の人なんて無理だから……」
「っ……。ま、まあ、入るよ? あとは部屋の中で話しましょう」
喜んでいいのか、悪いのか。
何度も言うが、これは明らかに前者だ。
前者だけど……。
「はぁ……」
俺は色々な意味でため息をつきつつ、瑠衣姉と一緒に部屋の奥へ進むのだった。
照れ隠しのように呆れる意思とは裏腹に、早まる心音も同時に引っ提げて。
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