第5話 恋人でいてくれませんか?
「こ、これ……」
瑠衣姉から渡された、一枚の日焼けした紙。
それは、彼女が俺に名前と判を押させようとした綺麗なものとは、打って変わって違う年季の入ったもので。
まだ自分の気持ちに蓋をせず、想いの丈を伝え続けていた自分の過去を証明するものでもあった。
「うん。そう。昔、りん君が私にくれた大切なもの」
「っ……」
「こんいんとどけ、だよ」
中身を広げて見せてくれる瑠衣姉。
そこには、下手で拙く、ひらがなで書かれた文字が記されている。
思い出す。
これを作っていた時、俺は瑠衣姉に今度こそ受け入れてもらうって意気込んでたんだ。
まあ、結果は言うまでもなく惨敗……というか、普段通り流されただけだったんだけど。
『――大人になったらね』
なんてことを言われてさ。
「でも、どうしてまだこんなものを? 俺、てっきりもう捨てちゃってるかと思ってた」
自虐的な笑みを力なく浮かべて言うと、瑠衣姉はゆっくりと首を横に振ってくれる。
「捨てるわけないよ。りん君が『大好き』って言いながら渡してくれたものは、全部大切にとってる」
「……え……」
「ちゃんとこうして手で触れられるものから、手で触れられない言葉とか、気持ちも、全部」
「る……瑠衣姉……」
本当なのか、と疑う気持ちはまるで湧かなかった。
目の前。至近距離。
俺を真正面から見つめてくれながら、優しくそう言ってくれる瑠衣姉の瞳に、嘘の色は一切感じられない。
目の奥がきゅう、と沁み、眼前が水分で若干ぼやける。
恥ずかしい話だ。
不覚にも俺は泣きそうになってしまった。
目元は既に赤くなっているかも。
それを隠すため、誤魔化すように目の部分へ手をやり、懊悩してるみたいな仕草を取る。
本当は、ただ嬉し過ぎて泣いてるだけなのに。
「はぁ……。何だ……そうだったんだね……」
わざとらしくため息をついても見せた。
素直じゃないと自分でも思う。
「瑠衣姉、もしかしてだけど、そうやって俺のあげたものちゃんと取っておいてくれたってことは、俺のこと、昔から好きだったってこと?」
「好きだったよ」
即答。
あまりにも即答。
もう少し言い淀んだり、あるいは否定したりするかと思ったけど、本当に即答だった。
こっちも、一歩間違えればとんでもない勘違い自惚れ質問をしてたかもしれないっていうのに。
「だけど、りん君が小さかった時の私の『好き』は、弟とか、小さくて可愛い親戚に向けるような『好き』だった。そこはちょっと紛らわしい……かも」
「あ、あぁ……な、なるほど」
その時はやっぱりそうだったんですか……。
まあ、ですよね。そりゃそうだ。
若干肩を落として俺が頷くと、瑠衣姉は焦りながら続けてくる。
「で、でもね、それは本当に小さい時だけなの。小学生の高学年になって、中学生になって、高校に入学した時も……これはお母さんから送ってもらった写真で見てたんだけど、りん君は日に日に男の子らしくなって……カッコよくなって……」
「っ……!」
「わ……私…………ドキドキしてた……。こんな男の子に……『好き』って言われてたんだ……って」
「んぐっ……!」
思わずむせて、咳き込んでしまう。
あまりにも大胆過ぎる瑠衣姉の告白。
しかも、それを照れながら、顔をうつむかせ、赤面して言う彼女が可愛くて、冷静でなんかいられるはずがなかった。
深呼吸し、息を整える。
俺はもしかすると、今日事故か何かに遭って死んでしまうのかもしれない。
それくらい嬉しいし、幸せだった。
ずっと想い続けていた人が、自分のことをそんな風に思っていてくれてたなんて。
「ごめんね……りん君……。お姉ちゃん、なかなか素直に言えなくて……」
「い、いや、そんな別に……」
「き、気持ち悪い……よね? お、おばさんなのに……陰でコソコソ……こんなこと考えて……」
「へ……?」
「十歳も歳上なのに……小さい時から知ってるとはいえ、担任の先生でもあるのに……こんな風に思ってた……なんて暴露されて……」
「そ、そんなことっ――」
「許されるわけないのにね。好き……とか、結婚……とか」
「っ……!」
「わかってたの……。わかってたから……ずっと自分の気持ちを我慢して……成長していく君のこと……遠くから眺めてた……」
「る……瑠衣姉……」
「でも、それももう限界なの……。りん君が大好きで……私……りん君しか男の人……受け入れられなくて……」
「そ、そんなの……」
俺だって、だ。
だけど、言えない。
言ったら、俺は瑠衣姉のことを――
「だからね、りん君。少しの間だけでいいから、お姉ちゃんに付き合ってくれない……かな?」
「……?」
潤んだ瞳で、瑠衣姉は日焼けした紙を改めて俺に差し出してくる。
「こっそりでいいの。こっそりでいいから、君が同じ歳くらいの、若くて可愛い女の子を好きになっちゃうその日まで、お姉ちゃんと――」
――恋人でいてくれませんか?
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