雨、停留所にひとり
うみしとり
雨、停留所にひとり
いつもは優しい空も、今日だけは厳しく。
ざざあと降り注ぐ雨は、束になってアスファルトの側溝を流れる。
僕は革の鞄を傘代わりに、びしょ濡れになりながらバス停へと急いだ。
遠くで雷が鳴っている。
田舎町だから、雨に濡れると草の香りがする。
今日は雀の一匹も見えない。
飛び込むように停留所の屋根の下に潜り込む。
ポケットから携帯を取り出す。
眩しいくらいの光。
バスが来るまでまだ時間がある。
顔をしかめた。
画面の中の二人組は笑っている。
スワイプしようとした手を止める。
携帯をポケットにしまって、椅子に座り込む。
曇天を見上げた。
厚い厚い灰色の雲から、シャワーの様に降り注ぐ雨。
その空を、ぼーっと見上げていた。
「何してるの?」
高い声。
見やるとそこには女の子。
小学生くらいだろうか。
傘をさしていない。
先にバス停にいたのだろう。
気が付かなかった。
黒い画面の携帯に視線を落とす。
「バスを待ってるんだ」
「どうして? こんな天気なのに」
「大人は洪水になりそうな時にも、働きにいかなきゃいけない」
「泣きそうなときにも?」
顔を上げて少女を見つめる。
彼女は品定めする猫の様にじっと僕を見つめている。
口を開きかけて、やめる。
雨音が強く地面を打ち付けている。
黒の革靴の表面を水滴が伝う。
濡れた地面の匂いが、いっそう強く感じる。
「……そんなに分かりやすかったかい?」
「女の勘ってやつ」
僕は苦笑する。
「そんな歳でもないだろうに」
「お姉さんだから」
「聞かないでくれよ? 大人には色々あるんだ」
「そうだろうね」
少女は僕の隣によいしょ、と腰掛ける。
「とりあえず、笑えばいいと思う」
「笑えない時もあるよ。どうしようもない雨の日とか」
「大人だから?」
「……そうかもしれない」
僕は彼女に問いかける。
「君、学校は?」
「休み」
「じゃあなんでこんな外に? 家の人が心配するよ」
少女は足をぶらぶらさせて、バス停の向かいの茂みを見つめる。
「別に。歩きたくなっただけ。そんな時もあるでしょ?」
「……子供だから?」
「そうかも」
灰色の表面を滑るように、鈍重な雲が流れていく。
「どっか遠いところでさ」
少女が口を開いた。
「ヒトリぼっち、誰にもあえずに歩いてたら幸せなのかな?」
「……不幸ではないだろうね。でも」
僕は携帯のサイドボタンを親指で押す。
画面が明るくなって一枚の写真が目に飛び込んでくる。
「……退屈なんじゃないかな」
「泣かなくていいのに?」
「砂漠にならないように、僕たちには雨が必要なんじゃないか」
少女が首を傾げる。
「……砂漠?」
「物の例えだよ」
恥ずかしくなって、少し顔をそむける。
「あー、でも。雨ってやつは本当に鬱陶しいな。アイロンかけたスーツが台無しだ」
「私は結構好き」
「どうして?」
「悲しいのが、独りじゃないから」
短くクラクションが聞こえる。
雨の中、ヘッドライトを輝かせてバス停の前に古びた市バスが止まる。
エンジン音が静かになる。
僕はプラスチックの固い椅子から立ち上がった。
少女に振り向いて、別れを告げようとする。
「じゃあ僕は、これで……」
そこに少女の姿はなかった。
ただ人のいない、木造のバス停があるだけだった。
僕は少し固まり、上げた手を降ろす。
肩に雨が降って濡れる。
背筋を雨が伝って冷たい。
バスに乗り込む。
車内はガラガラだったから、適当に二人席に腰掛ける。
やがて動き出した車窓。
雨の中を流れる田園風景がきれいだったから。
少し窓を開けて、携帯で写真を撮った。
待ち受けにでもしようか……
僕はバスに揺られて、いつもの職場へと向かった。
次の日も小雨が降っていた。
傘を閉じてバス停の椅子に腰かける。
辺りを見回しても、人っ子ひとりいなかった。
ポトリ、雨が屋根から垂れる。
相も変わらず、濡れた草の香りがする。
ポトリ。あの不思議な少女には
ポトリ、あえずに。
ポトリ。
僕は薄くなった曇天を見上げている。
雨、停留所にひとり うみしとり @umishitori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます