もう少し考えて作ってほしかった

秋永真琴

もう少し考えて作ってほしかった

「ストレスの原因はいつも人間なのに、孤独であることもまた精神を蝕むのであれば、生きるとはいったい何なのでしょうね、沙織さおりさん……」


「どうしたアコちゃん」

 私はスマホから顔を上げて、対面の森島もりしま章子あきこを見つめた。

 テーブルの端に貼られたステッカーのQRコードを読み込んで、メニューを表示させたところだった。木を基調とした内装の、居心地のいい洋風居酒屋――こういうお店で対面注文じゃないのはいまいち風情に欠けるね。そう感じる二十代後半の女子は少数派かもしれないけど。

 普段なら私が言いそうな病み台詞をこぼした歳下の友だちは、丸い眼鏡の奥からぼんやりと虚空を見つめている。小さな顔に浮かぶ憂いの表情を、さて――ネコチャンでもドラゴンでもない、どうしようもなく人間である私は晴らせるだろうか。

 私がポチポチとスマホを操作して最初の注文を終え、とりあえず運ばれてきたビールで乾杯してから、章子は話し始めた。

「沙織さんは、知り合って間もないのに自分に好意がある人と成り行きでおつき合いしたことがあると思いますけど、そのときってどういうお気持ちなのですか」

「君は新井あらい沙織さんを何だと思っている?」

「ないのですか」

「正直ある。それは今はどうでもよくて、えっ、彼氏作ったの?」

 過去に男子の恋人がいたことがあるのは聞いたことがある。

「そうではありません。あの――やはりやめましょう」

「かまわん、続けろ」

「しかし、こんなお話を沙織さんに聞いていただくのは退屈――」

「限界OLの仕事の愚痴よりは面白い。やれ」

 いかりゲンドウみたいに口元で手を組んで冷徹にうながす。こっちから根掘り葉掘り訊いたりはしないけど、向こうから話してくれるのは歓迎だ。章子ならなおさら。退屈どころか興味がありすぎる。

 章子は躊躇っていたけど、そういうガールズトーク~~~って感じの話題が私たちの飲み会で俎上に乗るのは珍しい。自分から始めた以上、聞いてほしいのだ。その相手に私を選んでくれたのだ。このうっすら人類が苦手そうな女子大生が。それはほんのりと嬉しいことだった。


「アコちゃんを好きなのはどんな人? 写真仲間つながり?」

 章子はカメラが趣味で、社会人・学生混合の写真サークルに所属している。

「それまでお会いしたことはない男性です」

 ひと月くらい前に、大学の学生食堂でご飯を食べていたら「初めまして、森島章子さんですよね?」と話しかけられたそうだ。

「仮にAさんと呼びます。同じ歳のかたで、以前から私とお話ししてみたかった、と」

「火の玉ストレートだな。シカトしなかったんだ?」

「少し緊張しているようでしたが、ていねいな態度で悪い印象はなかったので。午後の講義がなくて、お話しする時間はありましたし」

「それは、そのタイミングを狙ってたね。逃げられる可能性を低くするために」

「かもしれません」

 章子が微笑むのを見て、おや? と思った。それは苦笑だけど、決して嫌悪はにじんでいなかった。そして、あれ? とも思った。

「確認するけど、Aさんは女子?」

 女子でもそれ以外でも別にいい。私が気になったのは、章子が通う大学って――

「いえ、男性です」

「なんで女子大の食堂に入れるの」

 構内だけならともかく、建物は守衛さんや職員の人に止められるんじゃないの。章子と同じ歳なら、教授や講師というわけでもない。

「なぜでしょうね。ともあれ、わたしはAさんと不思議に気が合って親しくなり、つい先日、Aさんのお家に招かれたのです」

「何だとぉ」

 早い。展開が早い。いや、こういうのは両思いになればスルスルと進むものだけど、でも、そんな怪しい男に章子がたちまち心を許すなんて――認めよう。それは純粋な心配ではなかった。嫉妬だった。

「そんなイケメンなのか」

「どうでしょう……」

 章子は首を傾げた。「おそらく、一般的には秀でた容姿だったのではないかと」

「一般とかどうでもいい。アコちゃんにとってどうだったの」

 注文した料理がいろいろ運ばれてきたけどそれどころじゃない。身を乗り出して訊く私に章子は若干ひるみつつ、

「そうですね。美しい男性だったと思います」

「ふーん」

 私は残っているビールを一気に飲み干してジョッキを放り出すように置き、赤ワインをデキャンタで注文した。

「そいつの家はどこ」

「円山のマンションです。広いお部屋でした」

 招かれたけど行ってないという平和なオチへの期待は打ち砕かれた。

「お酒を飲みながら楽しくお話しして、地下鉄の終電も終わる時間になり、私もずいぶん酔ってしまいました」

「それで」

 私の声は震えていた。それで、どうなった?

「Aさんがおっしゃったのです」

「なんて」


「とりあいをしよう、と」


 とりあい、と私は繰り返した。

 その――誘うのに、いろいろな婉曲表現はあると思う。そのふたりにしか通じない秘密の合い言葉も。

 でも、というのは、何なんだ?

 を取り合う?

「その言葉はなぜか、非常に禍々しい響きを持っていました。私の酔いはたちまち覚めてしまい、立ち上がって帰ろうとしたのですが、Aさんに遮られて壁際に追い詰められてしまいました」

 私はもう質問を挟むこともなく、章子の話に全身を耳にして向き合っていた。

「森島さんは僕が好きでしょう、とAさんは訊いてきました。そうかもしれないと思っていましたけどわからなくなりました、と私は答えたと思います。大丈夫、とりあいをしようと、Aさんは繰り返しました。次にわたしが取った行動は――」

 スマホを取り出してAさんを撮りました、と章子は言った。

「わかりました、お互いを撮り合いましょう、と」

 美貌の男は明らかに怯んだ。女子に対して強引なことをした自分の写真が残るのを嫌がるのは当然だろう。しかし、章子がAさんから感じたのは、もっと根源的な驚きと恐れだった。喩えるなら――

「魔除けのお札を嫌う妖怪のような」

 Aさんは「お前の写真は、お前にとっての写真とは、一体何なんだ」と叫んだ。章子は奇妙に冷静さを取り戻して答えたという。

「わたしが見たままの、ありのままの世界を記録することです」

 Aさんの姿がしだいにぼやけていった。口惜しや、と、古い妖怪みたいな物言いでうめきながら。現代の言葉でしゃべる美青年は演じていた仮の姿で、それが本性なのだろうと章子は思った。


 くちおしや、ぬ……此度こたびも、ずにキエルゥゥゥゥ――――……


「そうして、わたしは自分の家に帰ったのだと思います」

「どうやって」

「わかりません。記憶がないのです。Aさんが具体的にどんな人で、わたしとどんな話をしたのかも。好意も嫌悪も初めからなかったかのように消えてしまい、名前もすっかり忘れてしまったので、仮にAさんとしましたが」

「怪談かよ!」

 私は叫んでテーブルを思いっきり両手で叩いてしまい、飛んできたお店の人に注意されてペコペコと頭を下げた。

「写真! そいつの写真は! なんか前にもこんなことあったね!」

「ありましたね。今回の写真はこちらです」

 章子が渡してくれたスマホの画面は、真っ黒だった。Aさんの妖気だか何だかに魅了されて正気を失っていた章子だが、写真は惑わされず、本来の、章子が見たままのAさんを焼きつけたのだ。それがこの――「無」そのもの。

 黒色は異様な濃さで、見ていると意識が吸いこまれそうになり、私は自分の頬をぴしゃりと叩いて章子にスマホを返した。

「それ、消したほうがいいね」

「そう思います。沙織さんにはお見せしようと思い、残しておきましたが」

 章子はこの場で写真を消去した。

「ガールズトーク回かと思ったのに不思議回か……」

「申し訳ありません……申し訳ないのでしょうか?」

 ようやく人心地ついて、私と章子は料理に箸をつけ始めた。


「自覚はありませんが、わたしはもしかしたら、ちょっと寂しかったのかもしれないと思いました。そこを怪異につけ込まれそうになったのだ、と」

 おかしいですね、と章子は笑った。

「沙織さんがいらっしゃるのに」

「いんや」

 と、私は応えた。「あるよ、寂しいときって」

「そうですか?」

「親友はいる。家族とも仲がいい。恋人がいるときもある。これで孤独だなんて言ったら罰が当たる。自分を愛してくれるみんなに失礼だ。でも、それでも――友だちが誰もいないとか、自分はひとりぼっちだって気持ちに無性になるときが、あるよ」

「ありますか」

「アコちゃんが言ったとおりだと思う。他人と関わるとしばしばストレスになるのに、ひとりじゃ寂しい。たいていの人間の精神は理不尽な構造をしている。もう少し考えて作ってほしかったね、神さまは」

「沙織さんは」

 章子が目を細めて私を見つめた。「私に恋人ができるのをあまり望みませんか」

「嬉しいけど寂しいかも」

「では、沙織さんを寂しくさせないような交際ができる人を選びます」

「週五で飲みに誘ってやる」

「必ず三回以上はお伴します」

 そんな与太を飛ばし合いながら、私と章子はご飯を食べ、お酒を飲み、お互いの近況や時事ネタや将来について語り合う。とりあえず、今夜は寂しくない。

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