紋常時篤飛露は別れ間際にこう言った「これが答えだ」

 アサリは歩くのを止めたので、篤飛露も釣られるように止まっている。

 ひょっとしたら歩くのを止めたのは聞こえた言葉のせいかもしれないが、アサリにとっては些細な事だ。

「……何を言い出すんだ、アサリは」

 慌てた声ではなく呆れた声でそう言っていたが、篤飛露は本心を隠して言っているのはアサリにははっきりと分かっていた。

 他の人には決して分からないだろう、聞いたのがアサリだから分かったのだ。

 だから慰めながらも元気をつけるように言う。

「篤飛露、急に言われて本心を隠そうとする気持ちは分かります。でもいいんですよ、本心を言ってしまっても。もう私たちの付き合いもかなり長いんですから、隠す事はできませんよ?」

「確かかに急に言われた驚いたな、変な事を言われたから。それに付き合いが長いって言ったけど、知り合ってから長いって意味だよな。アサリにとっての長いはどれくらいの長さなんだ、七年ぐらいか?」

 呆れた声でアサリの言葉を認めない篤飛露に、アサリも諭すように返す。 

「どこから七年が出てきたんですか。篤飛露も知っているでしょう、新学期から二日後だから、二ヵ月ぐらいですね」

「……やっぱり二ヵ月だよな……。確かに長いな、それだけあればアサガオも満開だ」

 小学校の時に学校でみんなで植えたな、そんな事を呟きながら歩き出し、アサリの横を追い越した。

 篤飛露の声が聞こえてアサリも自分が何を言ったのか気がつく。二ヵ月は付き合いとしては長くはなく、どう考えても短い方だ。

 なぜ自分は長いと思ってしまったのだろうか、そう考えながらもごまかそうと後を追う。

「で、ですけどこうやって毎日一緒に帰ってますし、学校でも体育とトイレ以外はずっと一緒にいるんですよ。……そうです、付き合いが深いんですよ。私と篤飛露は体のとっても深い所で繋がっているんです!」

 追いかけながらそう言うと、急に篤飛露が黙った。そして呆れた顔から困った顔になり、上を向いて何かを考えた後、追いかけてきたアサリに向き合って振り向いて、顔を近付いてから口にする。

「アサリ……、何回も言うけどな、喋る前に意味を考えてくれ、頼むから……」

「……?」

 懇願する言葉もアサリには伝わらない、わかってくれるのは諦めるべきなのだろうか。

 そうも思ってしまったが、自分が何を言っていたのかについてはすぐに気がつくはずだ。そうなるとアサリから八つ当たりを受けるのは篤飛露の役割なのかもしれない。

 しかし直接に言う事も出来ない。まだアサリは無邪気な顔をしてキョトンとしている、これに言ってしまったら何かの犯罪に該当しているかもしれない。

 最終的に篤飛露は後日への宿題にする事にして、誰にも聞かれていなかったが、その場から離れようとした。

「それよりも、篤飛露は早く言って楽になった方がいいですよ。前から思っていたんですけど、付き合う直前の友達以上恋人未満の状況が一番楽しいと聞きましたが、それは見ている人が楽しいだけですね。本人は付き合っている方が楽しいに決まってます」

 逃げる篤飛露にアサリは後ろから言う。

 もうアサリが言っているも同然なのだが、やはり気がついていないだろう。

「……何で、急にそんな事を言い出したんだ?」

 話を横に逸らすわけではないが、やはりそこが気になってしまう。

 ごまかすのか、それとも恥ずかしくなるのか。正直に言わないだろうと思っていたのだが、横に追いついたアサリはあっさりと話してくれた。

「だって、一か月何てもうすぐですよ。もうすぐ一緒に帰る理由が無くなるんですよ?」

 だから早く言いなさい。口にはしてなかったが、そう言っているのも同然だった。

 やはり自分では気がついていないようだが、アサリも二人で帰るこの時間が気に入っているのだろう。

「確かに、もうすぐ一か月だな。あれから一回も何かに襲われたた事はないし、アサリの家庭の事情で事件はあったけど、あいつらから襲われる事ももうないだろうな」

「襲われた事がある私が言うのも何ですが、そもそも襲われる事がある方がおかしいと思うんですけど。……正直に言ってください、その事を言い訳にして、私と一緒に帰っていたんですよね」

 そうアサリは自供を促すように言っていたが、篤飛露は前を向いたまま顔を見ようとしない。

「襲われてるのを気を付けていたのは間違いない。……まあ、別の理由も確かにあるけどな」

「じゃあ言えばいいじゃないですか」

 意気地なし。

 アサリはそう言いながら急に今度は怒り始める。

 怒られた篤飛露は、取調べをされているようだと、昔の事を思い出した。

 しかし昔も今も言われるがままに喋る事はできない。言えないのはそれなりの理由があるのだ。

「……俺にも事情があってな。……まあ、アサリがあれに気がついたら、言うしかなくなるけどな」

「気がついたらって、何なんですかそれは。普通に教えてくださいよ」

「アサリが自分で気がつかないと、意味が分からない話だ」

「何でですかそれは。意味がわかるかどうかを考えますから教えてくださいよ。……わかりました、実は適当に言って逃げてるんですね。やっぱり意気地がないんですね、篤飛露は!」

 拗ねる様に言ってからアサリは、少し駆けて珍しく小石を蹴った。

 意気地なし、意気地なし、いくじなし。

 もう心の中ではそれしか言っていない、それぐらいアサリは怒っていた。

(あそこまで言ったのに、何で篤飛露は何も言わないんですか、お化けとは戦うくせに、何で意気地なしになるんですか!)

 さっき駆けたアサリの後ろを歩いてはいるが、篤飛露は追いつこうとはしていない。

 それさえもがアサリを怒らせる。

 追いついて、謝って、そうすれば許すかもしれないのに。

 歩きながらそう思っていると、一向に横に並ぼうとしない篤飛露の事が急に不安になってしまう。

 全部アサリの勘違いではないのだろうか、と。

 篤飛露が休みが多かったのは、入院よりも誰かを守るための仕事をしていたのだと聞いた事がある。

 だが、一か月も休む事はなかった。だから一か月もアサリを守るのはそう言う事だと思ったしまった。

 アサリに色々と教えて一緒に帰っているのも、知ってほしいと思っていると、そういう事だと思ってしまった。

 この前の事件に助けてくれたのも、よその家庭の話と言って無視して帰らなかったのも、全てがそれを肯定していると思っていた。

 しかし全部が単なる勘違いで、篤飛露ぐらいになればこの方が楽だからそうしてるだけかもしれない。

 篤飛露の内心では『急にこいつ何勘違いしてんだ、手を出さなかったことで分かれよ。困ったな、もうすぐ仕事の期限が終わるんだけど、騒がれてふったとか噂されたらどうしよう』とか思っているに違いない。

 急に自分がバカらしくなり、涙が出そうになる。横には誰も歩いていない、だから涙が出る前にこらえる事が出来た。今篤飛露の顔を見たら、きっと耐えられない。

 もうアサリの家はすぐそこだ、かなり近づいてから話を始めてよかったと思ってしまう。

 二人は喋らないまま玄関につき、アサリはカバンから鍵を取り出した。

「……鍵が閉まってるってことは、今日は誰もいないのか?」

 この雰囲気のままで別れるのは嫌だったのだろうか、篤飛露がようやく声をかけた。

「……ええ、元々両親は共働きですし、お兄ちゃんは高校生なって学校が遠いですから」

「姉は?」

「お姉ちゃんは曜日で違いますけど、今日はもうすぐ、後一時間ぐらいで帰って来るはずです」

 まだ涙をこらえてそう答えるとと、篤飛露はぽつんと一言。

「アサリ一人か、危ないな」

 そう言われて、急にアサリに火が付いた。

 何も喋らなくなり、喋ったらこれだ。

 篤飛露にこの怒りをぶつけずには居られなくなったのだ。

「私は確かに小さいですけど、一日だけでも篤飛露よりもお姉ちゃんなんですから、一人でも平気なんです!」

 もう今日は篤飛露とは会いたくない、そう思い何を言ったかもすぐに忘れる。

「おい、アサリ! お前」

「もう家についたんですから篤飛露の仕事は終わりですよね! また来週までお別れですからゆっくり休んであの子たちと遊んでいればいいんです!」

 何かを聞かれそうになたかもしれないが、アサリは大声で怒鳴り篤飛露の言葉を塞いで玄関に入った。

 家に入ると下を向きまた泣きそうになるが、じっと我慢してこらえる。

 これではまるで、アサリがそうだったようだ。

 篤飛露がそうのはずなのに、何で違うのだろうか。

(とりあえず、顔を洗いましょう)

 そう思い靴を脱ぎスリッパに履き替えると、後ろから肩を叩かれた。

「え?」

 何も考えずただ振り向くと、何故か篤飛露が立っている。

 何故? どうして? 家に入ってる?

 驚くのすら忘れて考えていると、篤飛露が呆れた声で喋り始める。

「何が一人で平気、だ。俺も一緒に入っても気がつかないし、鍵を閉めてないのにも気が付いて無いし。もうすぐ帰ってくるって言っても何が起きるかわからないから、鍵はちゃんと閉じてないとダメだろうが、危ないだろ」

 そう言われて、確かに鍵の確認はしていなかった、危ない、気をつけよう。そう思った。

 そして二人きりなのを思い出し、この家には他に誰もいないのも思い出す。

 そして唐突に思い出す、この前に聞いた篤飛露の言葉。

『…………あのな、俺は何もしないように我慢してるだけだ。俺だって抑えが効かなくなったら、自分で何をするか分からないからな』

 ひょっとして『抑えが効かなくなったら、自分で何をするか分からない』というのは、今がその時ではないだろうか。

 ひょっとしてさっき言ってきた『危ないだろ』は、この状況の事を言ったのではないのだろうか、そうも思ってしまう。

 何しろ姉が帰ってくるには一時間後とさっき言ってしまった。言い換えたらあと一時間は二人きりなのだ。

 一時間あれば何ができるだろうか。家に入れば見つかるまでさらに時間は伸びるだろうし、篤飛露は空を走れる、玄関で出る必要はない。

 つまり、篤飛露はアサリに対して何でもできるのだ。

 いつもなら篤飛露は家の中に入ろうとはしない。

 アサリは玄関に入るが、篤飛露は入らない。

 そう考えながら混乱していると、篤飛露はアサリの肩を掴んで前を向かせ、真正面から向かい合う形になった。

「……え、あ、その……、ここで、ですか……?」

 自分が何を言ったのか、アサリもわかっていない。しかし篤飛露はアサリの瞳を見つめたまま、はっきり理解しているのか、頷いて肯定した。

(ここでなんですね!)

 何かを言わなければまずい事になる。心の準備は前にできていたが、これは前の話なのだ。あの時に使わなかった心の準備はもう使えない、改めて心の準備を決める必要性がある。

 しかしここでの心の準備を決めるには、今すぐには無理だ。 

「だ、ダメです。篤飛露も鍵をかけてませんよね。せ、せめて、せめて私の部屋で、そうすれば心のじゅ」

「アサリ、目を閉じろ」

 そう言われると、アサリは何も言えなくなった。

 ゆっくりと近付く篤飛露の顔を見て、自然とアサリは瞳を閉じて、顔を上げる。

 多分もうすぐ一つになる。

 そうアサリは思い、すぐにその通りになった。

 靴を脱いで床に立つのを待っていたのは、身長差が少しでも小さくするためなのだろう。

 二人が一つになる直前、何故かアサリはそんな事を考えていた。

 そして二人の顔が重なった時、アサリはそれが当たりまえの様に両手で篤飛露の首を抱きしめ全身をぶつける。同時に篤飛露もアサリを体を支える様に抱きしめ、二人は密着してお互いが離れなれないようにする。

 数分か、数十分か、数時間か。

 もう時間の意味さえもわからなくなったアサリは、篤飛露といる事しか考えられなくなっている。

 しかし当然時間は無限ではないし、二人が一つでいられる時間も有限だった。

 篤飛露が抱きしめるのをやめ、アサリの肩を掴む。それに合わせる様にアサリも腕を解き、篤飛露の肩を掴む。

 花が開いたようにゆっくりと自然に二人は離れるが、しかしお互いの目は見つめ合ったままだ。

 二人が一つになった時間と同じぐらい見つめ合ったままだったが、やがて篤飛露は一歩下がりながら両手を放し、後ろを向いた。

「さっきアサリが言ってた事のな、これが答えだ」

 そう言って、篤飛露は振り向かずに去っていった。

 今、何があったのだろうか。

 自分が何をしたのか、されたのか、わかっていない訳ではない。

 アサリは自分が何をしたのか確認したかったのだ。

 自分がした事も、された事も、はっきりと覚えている。しかしどうしてもさっきまでの自分を信じられなかった。

 抱きしめられた感覚も、他の感覚も、はっきりと覚えている。

 唐突に鍵を閉めなければならないと思い、玄関の鍵を閉める。そしてとりあえずキッチンに行って水でも飲もうと思い、いつの間にか床に置いていたカバンを持とうとする。

 しかし何故か持ち上げられない。

 持ち切れず逆に倒れそうになったが、何とか床にへたり込んだだけで済んだ。

 足に力が入らないわけではない、しかし立ち上がれられない。立ち上がれないのではなく体が立とうとしていないのだ。アサリはそれにも気がつけれらないが。

 立ち上がらないまま無意識の内に両手を唇に当てる。

 自分は何をしているのかと自分に不思議がる。本心ではもう一度あの感触に触れようとしているのだが、記憶の中にしか探ることはできず、もう触れる事は出来ない。

 一時間ほど後に春菜が帰ってくるまで、指先しか動かしていないアサリは時間を忘れて続けられていた。

 幸いな事に、アサリはあの事件を思い出して震えていると勘違いをされており、妹が玄関であんな事をしていたとは、誰も考えもしていなかった。

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