37.窮地

「ミェルさん、無事だったんですね……!?」


「……」


 歓喜の声を上げる私に、彼女は一言も発さずに帽子を深く被り直す。

 数歩前へ出たかと思うと、そのまま振り返ることなく眼前の信徒へと高速で走り寄る。


「悪いな、さっさと消えてくれ……っ!」


 突如として現れた魔女に咄嗟に武器を構え出すも、既に時は遅かった。


 目にも止まらぬ斬撃で信徒の影を縫い、瞬く間に壊滅させていく。


「はぁ……はぁ……。……なんだ、まだ居るのか」


 ――しかし、どこかその様子に違和感があった。


 いついかなる時も余裕綽々な態度を崩してこなかった彼女が、明確に疲労し切っている。よく見れば、身に付けているローブも服も一部が切り裂かれ、破けている。

 滲んだ鮮血が黒い装いをところどころ赤く染めていた。


「はぁ……っ!!」


 石畳を蹴り、私を背後から追ってきていた信徒たちに向かって疾駆する。


 ミェルさん目掛けて放たれた矢を軽々と避け、弾き、信徒の首を一閃。

 その体捌きは圧倒的ながらもどこかその色彩を欠いていた。


「これでひとまず、静かに……なったか……」


 最後の一人を切り伏せ、こちらへとミェルさんが歩いてくる。ふらついて歩調が乱れる彼女にたまらず駆け寄って肩を貸す。


「ミェルさん!?大丈夫ですか、しっかり……!!」


「……ああ。悪い、ね……そのまま真っ直ぐ……もう少しでトリステスの、外に……着くから……」


 見たことのない弱々しい表情で荒い息遣いを繰り返す。力なく動くその足に、抉れたような真っ赤な傷があって、彼女がどうにかなってしまうんじゃないかと胸騒ぎが高まり出す。


「見えてきた……門番も流石に多くなってるな……ま、分かっていたことだが……」


 そう呟いたミェルさんは、ローブの内側に手を入れ、「月下花」を取り出す。


 なんとなく彼女の意図が分かってしまった。


「まさかその傷で使うんですか、身体強化魔術!無茶ですって!」


「これ以外手がなくてね……残念ながら、今の私の状態で……あの数相手に馬鹿正直に突破しに行く方が無茶だ……」


 彼女の手にした花から生まれた薄紫色の淡い光が当たりを包み、吹き上がる風に彼女の髪とローブが靡く。


「ごく短時間だけだが、身体強化魔術を使う……掴まってろ月音ちゃん、この国を出るぞ……」


 有無を言わせず私を抱え上げた彼女は、石畳がめくれ上がる程の脚力で前方へと疾走を開始。

 悲壮な程激しく、リズムの乱れた息遣いのまま家々の上へと飛び上がり、屋根から屋根へと飛び移る。


 はっきりと視界に映った「検問所」は周囲を高い壁で囲まれ、唯一の出入口である門は既に結集し始めた信徒に固められている。


「く……っ!!かはっ……ぁ、ぐ……」


「ミェル、さん……」


 苦しげな吐息と共に、それら全てを乗り越えんと思い切り踏み込み――跳躍した。

 ほぼ垂直の壁を駆け上がり、眼下の信徒たちを尻目にそのまま宙へと舞って、私たちはついに、トリステスから逃れ出た。

 


 *

 


「よし……ここで、少し……休むとしようか……」


 トリステスより、数キロ。

 目標の山岳地帯に向かう道中の林の中で、ひとまず私たちは身を潜めることにした。


 何よりもまずはミェルさんの傷を処置しなければならない。そのためにも休息は必須だった。


「しかし、まぁ……私としたことが……こっぴどくやられたもんだなぁ……ははは……」


 抱えていた私を降ろした彼女は、木に寄りかかって弱々しくそう呟く。……そこでようやくはっきりと、彼女の状態が把握できた。


 ――苦痛に引きつった彼女の顔は、あるべき”眼”が、片方空洞になっていた。


 頬にも大きく引き裂かれた跡が残り、滴った鮮血が首元にまで線を引く。


「大丈夫ですかミェルさん!!な、治さないと……!」


「ふふ……まぁ、落ち着いてくれ……止血自体は魔術で行っている状態だから、ひとまず……君には眼帯を巻いてもらおうかな」


 そういって慌てる私をなだめながら、魔術で掌に黒い布を出し、私に持たせる。


「自分じゃ、うまく……つけられそうに、なくてね……」


 直後、ストンと力が抜けたように座り込んで木にもたれかかる。

 急いで彼女の前にしゃがみ、黒布を眼窩を覆うようにあてがって、慎重に巻いていく。


「――ランジアとはね、決着がつかなかったんだ」


 不意に、彼女が口を開いた。


「アレはとんでもない怪物だね……もちろん向こうも私以上の手負いなはずだが……倒しきれなかったのは、私の責任だな……すまない」


「謝らないでください。生きて帰ってきてくれただけで十分ですから……」


 キュッと布を結んで、彼女の顔の血を指で拭う。

 

「ああ……君の手が汚れるだろう」


「構いません」


 汚れなんてどうだってよかった。自分でも半ば無意識な、彼女の存在を噛み締めるような動作だった。


「ふ、ふふ……そうか。ありがとう」


 そう力なく笑って、ミェルさんは目を閉じる。


「ちょっとだけ、休むとするよ……」


 隣に寄り添うように座る。

 

 それから間もなく、隣から小さな寝息が立ち始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る