23.レーヴ

 静かな部屋。香る花の匂い。そして、間近に感じる暖かな体温。

 ――私は、プレジールさんの寝室のベッド上で、彼女と並んで座っていた。


「月音、狭い……?」


「……大丈夫です」


 ふんわりとした薄い水色のネグリジェに身を包んだ彼女に、何をする訳でもないのに異様な緊張感を抱いてしまう。


『ねぇ……月音、一晩ちょうだい……?』


 夕食後、プレジールさんに声を掛けられた私は、お風呂を済ませた後彼女の寝室へと向かった。それから少し待って、お風呂上がりの彼女が隣に居る……という状況。


「ごめんなさい、呼び出して……改めて二人で話したかったの。出発……思ったより早いわね」


 ランプと窓から差し込む控えめな月明かりのみを光源としているせいで、真隣に居る彼女の表情もはっきりとは分からない。


「そう……ですね。やっぱり、早めに動かないとチャンスを逃しちゃうかもしれませんし」


「どれほど危険かも分からないのに……?命を落とすかも知れないのよ……?」


 今まであまり抑揚がなく、落ち着いたトーンの声は微かに震え、私の耳へと届く。


「月音、よく聞いて……あなたが危ない場所に出向く必要はないのよ……?私の家に留まって、ミェルが月水晶を奪取するのを待ってもいい……」


 囁くように諭すように語りかけ、私を引き留めようとするプレジールさん。……分かっている。薄々私も思っていたことだから。


 彼女の言う通り、ミェルさん一人で向かって貰えれば、時間はかかれど安全に私は帰れるかもしれない。命を落とす確率は遥かに減るだろう。

 ――少なくとも、今日のミェルさんの様子を見ていなければ、その誘いに乗っていたかもしれない。


「プレジールさん……ミェルさんと出会ってずっと日の浅い私が言うのも烏滸おこがましくなってしまうかもしれません」


 しっかりと彼女に向き直る。差し込んだ月明かりが彼女の輪郭を照らし、不安げで心配そうな表情がこちらを見つめる。


「多分、今のミェルさんは……入れ込み過ぎてしまってると思うんです。私のために。そりゃあ、私をここに召喚して、好き勝手に私の日常を引っ掻き回したのはあの人ですから、責任取って貰うのは当然なんですけど」


 時折詰まりながら、それでも彼女に心情を吐き出す。


「いきなりリスルディアに乗り込もうとした時も、プレジールさんが待ったを掛けなければいけないほど周りが見えてませんでした。だからあの人ひとりだと、多分どこかで危ない目に逢います。私はストッパーとして、ミェルさんに同行します」


 きっとプレジールさんも分かりきっていた事だろう。その上でこの人は、会ったばかりの私の身を案じた提案をしてくれた。だからこそ、巻き込みたくなかった。私のために責任を負うのは、ミェルさんただ一人でいい。


「これは私のエゴです。ミェルさんに勝手に死なれたくないし、何もしないで月水晶が手に入るかどうか待ってるのも私には出来ないんです。万が一ミェルさんが帰って来なかったら、私は私の日常に戻れないから」


「………………」


 桃色の瞳は、真っ直ぐに私のことを見据える。私の言葉を反芻するように、続きを促すように少し目を細めて。


「心配してくれてありがとう、プレジールさん。……絶対、私は生きて帰ります」


 少しの間が空いた。……そして、彼女の薄い唇が動く。


「エゴ……そう、エゴね……うん」


 自分自身に言い聞かせるように繰り返し、少し俯く。ほんの僅かに目を閉じたあと、再度言葉を紡いだ。


「分かったわ……その代わり、二つ約束して」


 不意に、私の頬にプレジールさんの小さな手が添えられ、柔らかな感触が伝わってくる。

 ひんやりとした指先がどこか心地良かった。


「ひとつは、ミェルのこと……あんな我儘な魔女だけど、大事な友達だから……暴走しないように見張っててあげて。……そしてもうひとつ」


 不安げだった彼女の表情は緩み、慈しむような優しい笑顔で愛おしげに私に微笑みかける。そして、一言。


「生きてね、月音」


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