17.幻

「な……い……なさい…………起きなさい」


「……ん、んん?」


 誰かが私を起こす声がする。ゆっくりと瞼を開けてみると――


「……プレジールさん??」


 寝転ぶ姿勢の私のすぐ前で、プレジールさんが屈んでこちらを覗き込んでいる。


 上体を起こしながら辺りを見渡してみる。

 まるで夢の中にいるかのように輪郭のぼやけた真っ白な世界が広がっている。花畑も、ミェルさんも、さっきまでそこにあったもの全てが綺麗さっぱり存在していない。


「荒っぽいことをして、ごめんなさい……あなたが悪人ではないとは分かってる……でも私、疑り深いの」


 混乱する私をよそに、淡々としたトーンのまま彼女が口を開く。


「いくら知り合いが連れてきたとはいえ、私の聖域には……易々と上げられないの。ミェルから聞いたでしょう?私の家、ほんとは何重にも幻影魔術を掛けてあるから……普通は辿り着けないのよ」


 そうだった。ミェルさんが正しい道順を前から知っていただけで、本来は花畑を目にすることすら難しいはず。

 彼女の警戒心の高さと用心深さはそれだけのものなんだ。


「だから……あなたのこと、試させて」


 ふわりとアロマのような香りが辺りを包む。手品のように瞬く間に、彼女の手には四本の花が握られていた。


「当ててみて、私の一番好きな花……もし当てられたら、家に入れる……。外したら、そうね……あなたも″花″にしてあげる」


 全身に怖気が走る。この人も、また「魔女」だ。それもミェルさんとは別ベクトル……単純な危険性でいえば、恐らくこの人の方が上。


「さぁ、はやく……」

 

 目の前に差し出された花。紫、白、ピンクに黄色の4色で、どれもガラス細工のように綺麗だった。


「わかり、ました……」


 逃げ場はない。もし外せば……それで終わり。

 ミェルさんと初めて出会った時とは違う、異質な緊張感で冷や汗がじんわりと滲む。なんでこんな理不尽な目に遭わないといけないんだろう……。


 ――いや、冷静になれ。思い出せ私。花畑に入った瞬間から記憶を辿って、ヒントを探せ。


 この四本の花は、花畑に咲いていたものと同じ。プレジールさんの家を中心にして、ピンク、白、黄色、紫の順で咲いていたはず。

 普通に考えれば、家に近い花の方がお気に入りになるだろう。一番外側の紫、その次の黄色、そのまた次のピンクを除けば…家のまわりを囲んでいた白色の花。

 思えば家も真っ白で、目の前のプレジールさん自身も純白のワンピースドレスである以上、白がお気に入りなのは明らかだ。


「じゃあ、白――」


 ……本当に?疑り深いと自称したプレジールさんが、こんなに分かりきった質問で私を試す??


 この人は好きな色を聞いてきた訳ではない。好きな「花」を当てろと言ってきた。

 差し出された花々をもう一度しっかり見てみると、どれもほんの少しだけ花弁の作りが違っていた。花にも個性があって、それぞれ美しさの種類が違う。


 ……恐らく彼女なら、これほど些細なディティールも注意深く観察して、愛でるはず。きっと身の回りにもその意匠を取り入れるほどに。


 そして何より、この人は「花」を愛している。ミェルさんが魔術に向ける感情に限りなく近い。


「ごめんなさい。……やっぱり、こっちで」


 発した声は、冷静に努めていた頭と裏腹に裏返ってしまう。

 しかし迷いは無い。彼女の手から、ピンク色の花を抜きとった。


「どうしてあなたは……その花を選んだの?」


 抑揚の変わらない声が静かにこちらに問う。


「プレジールさんのお洋服、お花の柄が所々にありますよね。最初はこの、白いお花を模したものだと思ったんです。色も同じだし。でも間近で見て気づきました、こっちのピンク色のお花の形だって」


 こちらを見据えた瞳が、ほんの少しだけ驚いたように震える。


「あなたは花の色じゃなくて、個性を見てる。だからこれを選んだんです」


 ふっ、と出会ってから変わらなかった彼女の口元が緩む。


「……すごいわね、あなたは」


 その一言を言い終わるか終わらないか。再び私の意識は薄れて、深く暗闇へと落ちていった。

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