漫画論1

@turugiayako

漫画論

 漫画とは、連続した静止画と、文章によって構成される表現手段である。

この当たり前のことに、私は長らく気が付いていなかったし、多くの人が、そうであるように。

 漫画について語るとき、我々はしばしば「ストーリー」にしか言及しない。もちろん、ストーリーは大事だ。しかし、漫画におけるストーリーが、静止画をどう連続させるか、どの静止画をどれだけ大きくするかといった判断の連続即ち「コマ割り」によって成り立つものであることの忘却が、いわゆる「漫画を映像化すると駄作になる」という悲劇の乱発を産んできた。特に、「漫画実写化映画」は、近年でこそましになってはいるが、以前は駄作の代名詞だった。

 最近、私が鑑賞して「映像化失敗だな」と感じたのは、浦沢直樹作「プルートゥ」のアニメーション化作品である。ストーリー自体は原作に忠実なのだが、漫画を読んでいた時に感じた「迫力」というものが、アニメ版からはほとんど伝わってこないのだ。一例をあげれば、あるキャラクターが「俺は、ラッキーマンだ」といって胸を張る場面が、原作だと印象的なのに、アニメだとあまりにもあっさりしすぎていて、何も伝わってこないのである。これは、「コマ割り」によって生じていた印象が、「アニメーション」という映像表現になった結果、消えたからだ、としか考えられない。

 最近、ある悲劇的な事件によって、「原作を改変して映像化することは絶対悪である」という誤った考えが、世論の一部に蔓延していることは嘆かわしいことである。確かに、あの事件は悲劇だった。だがあれは、クリエイター同士のコミュニケーションと合意を形成する努力を怠った出版とテレビ局というメディアに責任がある事態であることは、状況を客観的に観察する限り明らかである。「原作改変の是非」という問題全般に対して、一般化して当てはめるべきではない。押井守などの優れた映像クリエイターの発言を読めばわかるが、映像には、アニメーションであれ実写であれ、「時間」という問題が生じる。読者の読むスピードにしか時間が存在しない小説や漫画を映像化する際に、ただストーリーさえなぞれば、同じ感動を与えるものが生まれると考えるのは大間違いだ。

 日本の漫画の歴史には、優れた作品が多くあるが、そのうち、実写であれアニメーションであれ、映像化をされていないものは多い。優れた漫画とはほぼすべて、漫画という表現媒体の特性を余すところなく活用したうえで成立しているから、映像化へのハードルが高いのである。

 例えば私が、日本の漫画家の中で最も好きなのは、諸星大二郎である。手塚でも石ノ森でもない。もちろん、手塚や石ノ森の偉大さを否定するつもりはない。ただ、これは私の主観的な感想であることは百も承知だが、諸星大二郎の漫画は、例え1970年代に書かれたものであっても、今呼んでも全く「新しい」のである。ちょうどこれは、小説の世界でいうところのフィリップ・K・ディックの短編小説にも似ている。

 諸星の漫画の「新しさ」をもたらしているもの、それはやはり、「画のセンス」「コマ割りのセンス」「深い教養」が大きいと私は思う。教養については言うまでもないが、諸星の画というものは、一コマ一コマがまるで絵画のように芸術的な構図を持つ。例えば「諸星大二郎 あんとくさま」「諸星大二郎 おらパライソさいくだ」という言葉を、Googleで検索してみてほしい。私の言っていることがよくわかるはずだ。さらに諸星の画の素晴らしさは、「画で語る」ということを徹底していることだ。

 これは私だけの考えではないはずだが、漫画という「絵」で成立する表現においては、説明過剰であること、言葉に頼りすぎることは、忌むべきである。私が漫画「鬼滅の刃」を評価できないのはそれが理由だ。近年の日本の漫画は、全体的に画力の劣化と説明過剰が深刻である。中国出身の漫画家の方が、まだ上手いくらいだ。

「鬼滅の刃」は、あまりにも心情や状況を、言葉で説明しすぎる。その上、一つ一つのコマに、「美」「迫力」というものをまるで感じない。構図がなっていないのだ。

 無論、諸星の漫画の多くは我々が住むこの世界の複雑さを表現するために、平均的な漫画よりは言葉を費やしているほうだろう。だが諸星の美点は、言葉に頼って語るべきところと、画によって語るべきところを厳格に分けているところだ。めりはりがきいているのである。

 本来、漫画におけるキャラクターの心情表現は、「表情」「仕草」によってなされるべきである。「俺は長男だったから我慢できた。次男だったら我慢できなかったかもしれない」「がんばれ、がんばれ炭次郎、お前はこれまで、よく頑張ってきた。これからも、だ!」などという言葉を、キャラクターに延々と独白させるのは、漫画に求められる表現ではない。漫画を、文学といえる領域にまで高めた先人たちは、そんな表現はしなかった

 文学の神髄とは、「何を語らないか」ということにある。

 


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