第27話 色々考えた所で現実は想像なんか蹴飛ばして

「じゃ、また連絡すから」

 夕方なのにまだまだ明るい空の下、生ぬるい風が頬を撫でた。季節はとうに夏だった。

 カラオケでは結局最初の一曲しか歌わず、しばらくぎこちなく話をしただけだ。そうして二人、口数少なく電車に乗って、アパートの前まで送って貰った。

 アキラくんはマウンテンバイクに跨る。

「アキラく、……えと、アキラ……」

 今まで散々呼んだのに、全く呼び慣れない名前。少し伸びた背と発達した筋肉。そして、俺に必死に求めた「フラットな友達という関係」。今日のアキラくんはまるで殻を破った蝶のようだ。いつの間に蛹になっていたのだろう。まるで別人の様だった。

「……何?」

「ごめんね、俺今日失礼な事して……」

「別に良いけど、ライブのチケット代は俺が持つから」

「えっ? あの、」

「じゃあね、カナタ」

 俺が食い下がる前にペダルに足がかかり、マウンテンバイクの背中が遠ざかっていく。

 俺は何となく手を振って、肩を落として自宅へと戻った。凄く疲れてしまった。

 アキラくんは、アキラは、これから俺とどうなりたいんだろう。「フラットな友達」の先に何が待っているのだろう。

「……考え過ぎなのかな……」

 少しタレ目の二重の色の薄い瞳が俺を写す時、その色は心なしか熱っぽさを孕んでいたような気がした。

 俺はアパートのドアを開けながら、スマホのアプリを立ち上げる。アイコンは平成風の太いアイラインと、バサバサのつけまつげの女の子である。無論仕事中はこれより遥かに薄化粧だ。

 縋るように電話をかけると、エナはほんの数コールで出てくれた。

「エナ? 今大丈夫?」

『んー? 久しぶり、大丈夫、どした?』

 カバンをおいて敷きっぱなしの布団にぽすんと転がる。酷く疲れていた。

「あのね、今日ね……ほら、この前言ったライブ一緒に行ってくれる男の子がね……」


 大体の事情を話した所で、エナは話を遮った。

『待って、そのαの子カナタに気があるんじゃないの? 懐いてるだけにしちゃ行き過ぎてない?』

「いや……流石に考えすぎって言うか、そんな事は無いと思うんだけど……でも何か不安になっちゃって……」

 あの必死な目は、果たして友達に向けられるものだっただろうか。もしもそうでは無かったら俺はどうしたら良いんだろう。

『カナタはその子と付き合えないの?』

「…………アキラくんって言うより、俺多分誰とも付き合えない……前の人もさ、ダメだったし……」

『アレは向こうがヤバイよ、カナタが悪いとかそれ以前の話だよ』

 

 何年か前、店回りの営業の男性から声をかけられて、少しの間付き合ってみた事がある。俺も今より若くて、与えられた好意に少し浮かれて、スマホの画面の中の小さな娘に心の中で謝りながら、年上の男性の優しさを求めた。

 とにかく当時は寂しかったのだ、とても。真夜中なんて耐えられないくらい。

 俺が求めたのは心の触れ合いであり、人と居る事の安らぎだった。しかし相手はそうでは無かったらしい。

 ほんの二回目のデートでホテルに誘われた。俺は唖然としたが、とにかくその場は必死に断って、そうすると「また今度ね」と頭を撫でられた。大きな手だった。優しさよりも、αの欲が滲む手だった。

 何度も断るのも申し訳なくて、……後は、日に日に力の強くなる手が怖くて、意を決して「肉体関係になるのはまだ怖い」と必死に訴えた。

 かつて見知らぬ‪α‬に乱暴された事はどうしても言えなかったが、大きな手がいつか無慈悲に振り下ろされる様な気がして、怖くてたまらなかった。

 そうしたら、予想外の返答が返ってきたのだ。

『じゃあ、ピアス開けさせて』

 そうしてさらりと髪をかきあげられた。顕になった耳に、氷のように冷たい手が触れる感触を今でも覚えている。怖くなって何とか逃げ帰り、震える指先で別れのメッセージを送った。呆れた様な返事を貰った気がするが、早々に削除してしまって詳細を思い出す事も出来ない。自分が異動した事もあり、その人とはそれっきりだった。

 αはΩを自分だけのものにしたいという本能がある。独占欲も強いし、Ωの所有権を主張したがるのも特徴の一つだ。身体に穴を開けようとしたのもその類の感情だろう。

 その最たるものが発情期に項を噛んでΩを「つがい」にする行為である。番になると互いのフェロモンしか感知できない様になるだけではなく、Ωは他の異性に対して拒否反応を持つようになるから、それこそ名実ともに「俺の物」だ。

 ピアスも番も、結局の所Ωへの所有欲、独占欲の表れである。

 何となく、牧場の牛の耳につけられたタグを思い出した。‪α‬のあの人にとって、Ωの俺は所有物だったのだろうか。そう思うとたまらなく惨めだ。


 アキラはどうだろう、今はそうではなくても、いつか俺を自分の物にしたいと思う日が来るのだろうか。いや、今現在の気持ちだって俺には分からない。

 ただ、‪数が少ないΩを追いかけ奪い合うα‬にとって、所有欲はごく自然な本能なのだ。それも分かっている。


「……俺が男の人怖くなかったら、あの人とも普通に付き合えたのかも知れない……でも実際無理だし、だったら初めから何にもない方がお互いの為に良いんじゃないかと思う」

『前のカレシは結局身体目当てだっただけなんだから、カナタが変に気に病む必要無いよ。……その高校生の子とも付き合えないと思ってるの?』

 付き合うって何だろうか。

 俺は着替えもせずに布団に転がって、縋るように薄掛けを引き寄せた。

「遊びに行くくらいは出来るけど、その、……触られるのは無理だと思う」

 無論手を繋いだりとかそういうのではなくて、もっと生々しい接触だ。俺にとってセックスは痛みと恐怖の象徴であり、暗所恐怖症のきっかけともなった忌々しい行為である。

 想像するだけでも、怖くて堪らない。

『付き合う、イコール、エッチする? になっちゃってるのが私的にはなんか前のめりすぎに見えるんだよなあ。いやアルオメはそういう感じなのかも知れんけど』

 エナはβであるし、人なので、ちょっとお互いに相手の意見がしっくり来ない時もある。だからこそ、それこそフラットに付き合える友達だし、お互い自分には無い価値観を取り入れる事で、新しい気付きもある。

「俺達どうしても発情期ヒートがあるから、その時は信頼出来るパートナーと一緒に居るのが一番良いって風潮はある。だから付き合うのとヤるのはセットなんだよね、前の人にも次の発情期いつ頃かって聞かれたし……言わなかったけど」

『なるほどなぁ……私には今みたいに言葉にして上手く伝えられるのに、その高校生には何で言えないの?』

「それは……」

 問われて、分からずに言葉に詰まってしまう。「嫌われたく無い」だとか、「変なやつだと思われたくない」だとか、色々思い付くけど何もしっくり来ない。

『相手が本当にカナタの事好きだったら、相談すればその子なりに聞いてくれると思うんだよ。まあそれでピアス開けるとか言われたら別れて正解なんだけど』

「……それは……そうかも知れないけど」

『その子と付き合いたいの?』

「……出来れば、付き合いたくない……やっぱり怖いし、俺は、……」

 子供が居る。その子を育てられなかった自分が、自身の幸せを求めて良いものだろうか。

 前の人の時は兎に角寂しくて仕方がなかった。命懸けで産んだ子供に触れられないというのは、じくじくと心を蝕み、正直その頃はかなり病んでいた気がする。

 今はどうだろう。日々愛らしくすくすくと育つ娘の写真だけを見て、何とか落ち着いて暮らす事が出来るようになってきた所だ。俺も大人になったのだろうか。それとも寂しさに慣れてしまったのか。

 しかしそうすると、自分が娘を放って幸せになる事への罪悪感が強くなった。俺みたいな出来損ないが、好きな人と幸せになるのは娘への裏切りにならないか?

 娘は養父母の元で元気に暮らしている。だけど、それだけでは整理できない気持ちもある。

『私には言えない事もあると思うけど、いざとなったら高校生とちゃんと話し合いな』


 あっという間に二ヶ月の月日が過ぎて、夏の気配も影を潜めた十月某日。俺はライブ会場近くの駅の隅で、じっと待っていた。ライブ自体は夜六時からだが、物販があるので集合は一時である。

 会場規模一万人程。推しのメンバーカラーで固めた服装や、公式の缶バッヂをカバンいっぱいに貼り付けた子。高揚した空気を纏うファンの中で、俺は酷く緊張しながら彼を待っていた。

 人生二度目のライブである。楽しみな反面、不安も胸を締め付ける。

 八月に会った後、アキラは三日に一回くらいはメッセージをくれていた。内容はその日に食べたご飯の写真とか、大学のオープンキャンパスの様子とか、友達がふざけている様子とか、短くて他愛のないものだ。

 やっぱり、俺の考え過ぎだったんだろうか。

 そう思うくらいに、日常の些細な事ばかりが送られてきて、内面に触れるような文章は無かった。

 行き交う人をぼうっと見ていると、ポンと肩が叩かれた。

「お待たせ」

 ハッと振り返る。そこに居たのは当たり前だけどアキラだった。

「久しぶり」

 ただし、更に少し背が伸びて、筋肉が固く張り巡らされ、明らかに美青年としか言い様が無くなった、志津暁その人である。私服だともう高校生には見えないだろう。

 思わず硬直した俺を不思議そうに見た彼は、起きているのかとばかりに俺の目の前でヒラヒラと手を振った。

「いや起きてるよ!?」


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