第19話 あなたは私にならないで

 繁華街の中、賑わった場所を通り過ぎても、カナタさんと女性は尚も足を止めない。

 この先は何かあっただろうか、考えるが、小さな店と公園があるくらいだ。中に池や神社がある大きな公園で、子供が遊べる遊具が並ぶ一角もあるが、場所柄ジョギングや散歩をする人が多い、街の憩いの場という感じの所だ。

 だが今は夜であるし、街灯がポツポツとあるものの真っ暗である。

 どうするのかと思っていると、またカナタさんが足を止めた。女性は公園を指さしているが、カナタさんはブンブンと首を振っている。

 結構歩いているし、女性は公園で休みたいのだろうか。カナタさんの手をぎゅうぎゅう引っ張るが、カナタさんは靴に根っこが生えたみたいに一歩も動かず耐えている。まるで綱引みたいな光景である。

「何してんだマジで……」

 不可解な光景だが、本人達はふざけているという雰囲気でも無い。

 やがて、女性はカナタさんの背中をバンと叩いた。結構勢いがあったのか、俺の所まで音が聴こえたくらいだった。

 叩いた……!?

 ハラハラして見ていると、カナタさんは観念したように、小さな一歩を踏み出した。女性に引っ張られて公園に入っていく。……が、二秒くらいでダッシュで出てきた。

 カナタさんは肩を怒らせて女性に怒っているように見え、女性はと言えばカラカラと笑っている。

 益々疑問が浮かぶが答えてくれる人も居ないので、ただただ見ていた。

 二人は手を繋いで何やら話しながら、公園沿いの道にある小さな店のドアを開ける。

「あ、入っちゃった……」

 向こうからは死角になる様に見ていたが、多分入った店舗は分かる。黒っぽい木のドアの店だ。

 慌てて走って店を確かめると、どうやらバーの様だ。

『Mix Bar Moonlight』 

 重厚感のある木材の黒いドアと、黒いプレートに金色の文字だけのシンプルな看板。

「ミックスバー……?」

 とにかく、高校生が開けられるような雰囲気の扉では無い。中からは音も漏れず、黒いドアからは重苦しい拒絶感すら感じる。

 どう見ても子供じゃ入れない店だ。カナタさんとの年齢差をまざまざと突きつけられた気がした。

 俺はハァと溜息を吐いた。結局の所、二人がウロウロしていた目的は分からないし、立ち止まった理由も分からないし、公園に入ったのも分からない。

 強いて言うなら公園に入った仕草はちょっと肝試しに似ていた。それにしたって早く出すぎだろう。

 ……もう、帰るしかないか。

 その時ガチャっとドアが開いた。中はブルーのLEDの光とカウンター、暗い店内にバーテンの背中がちらりと見えた。

 思わず何も見ていなかったという態度を取って立ち去ろうとしたのだが。

「あんた」

 女性の声が背中に突き刺さる。俺は途端にバクバクとし始めた心臓の音を聴きながら、ゆっくりと振り向いた。

 カナタさんを追いかけていた俺は、どう見ても不審者だった。

「志津暁?」

 俺の名前。

 慌てて振り向くと、案の定白いコートの女性が立っていた。スマホだけを持って、ドアをバタンと閉める。切れ長の目は鋭く、長い黒髪は重たい迫力を孕んでいる。

「あの、……」

 何を言っていいか分からずに、俺はそれきり喋れなくなった。

 一歩一歩、女性は近付いて来る。逃げたら余計に不審だろう、でも何の言い訳も思いつかない。

 女性は赤いリップを艶やかに引いた唇を開いた。

「あんた、志津暁?」

「……はい……」

 冬の冷たい風が頬を刺して、黒い髪もざあっと風に煽られている。口にくっつきそうな髪をかき上げて、女性は酷く冷たく、睨め付ける様に言った。

「……あんた何がしたいの? カナタとどうなりたいの?」

「追いかけてすいません、気になって……」

「質問に答えな、あんたαでしょ?」

 この女性はカナタさんの友人か何かで、俺の名前もバース性も知っている。……カナタさんに聞いたのか? むしろあのコンテストの日に、この人がカナタさんと一緒に居たから俺を知っているんじゃないか?

「どうなりたいって、……俺は、……ちょっと年の離れた友達みたいな感じで、カナタさんと一緒に居たいです……今みたいに……」

 唇が乾いて今にも切れそうだった。寒い。さっきまで必死に後を追っていたから気にならなかったけど、立ち止まっている今は寒くてたまらない。北風が責めるように体温を奪う。

「ずっと変わらないで居られると思う? あんたはαでカナタはΩ、しかもカナタはゲイだ。間違って手出したら友達ごっこなんて二度と出来なくなるよ」 

 嘲るでも見下すでもない、事実ばかりを告げる淡々とした声だった。微かに伏せられた目に、マスカラを濃く塗った睫毛が影を落としている。

 値踏みするような、諦めろと促す様な厳しい視線に狼狽えつつ、俺は必死に回答を探す。

「……普段から抑制剤も飲んでます、ヒートの時でも大丈夫な様に強めの薬も持ち歩いてます、カナタさんが嫌がる事はしません」

「……あんたはカナタが何したら嫌がるのか分かるの?」

「何って……」

 それは、気のない相手から性的に触られるとか、そういう事だろうか。でも口に出すのは憚られる。それだけでカナタさんを汚してしまう様な気がする。

 女性は重い溜息を一つ吐いて、また淡々と冷たく言った。

「……どうにかなる様な事があれば、ちゃんとカナタと話し合いな。良い? あんたみたいなクソガキが思い付く事なんかたかが知れてんのよ。本人とちゃんと話しな……それが出来ないならもうカナタに近寄るな」

「……なんでそんな事言われなきゃいけないんですか……! それに、コンテストの時に一緒に居たの、あなたじゃないんですか!? あなたがあのを起こしたんじゃ無いんですか!?」

 女性は目を見開き、ぎゅっと唇を結んだ後、ゆっくりと俯いて、絞り出す様な声で言った。

「……そうだよ、だから話し合えって言ってんのよ、私は……謝っても謝り切れないくらい、あの子を傷付けたから……」

「……後悔するなって事ですか?」

「…………」

「でも、何も教えてくれないんですか!?」

 女性は持っていたスマートフォンを俺の方に差し出した。寒さのせいか、その華奢な手は青白くなり、震えていた。

「……連絡先だけ教えてやる。今日はもう帰りな。何かあれば電話して」

 

 俺はそれ以上何も聞くことはできずに、ただメッセージアプリにその人の名前だけが追加されたスマホを見つめて、アウターのポケットに突っ込んだ。

 四方精華。

 四方さんはバーの扉に消えた。

 結局何も分からないままだ。

 カナタさんはドア一枚隔てた所に居るのに、絶対に手が届かない。自分の幼さが酷くもどかしく、悔しい。

 何か言葉にならない事を言おうとして、寒さで唇がプツンと切れた。舐めると血の味が舌に当たって、余計に悲しくなった。


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