第二部

第1話 近くて遠い

 カナタさんが、俺の上司になってしまった。

 俺は年末年始のゴタゴタを謝るタイミングを見計らいつつ、ビクビクしながら出勤する。

 初日は転勤直後だったからか、カナタさん自体がバタバタしていて、結局全然喋れなかった。強いて言うなら顔合わせの時に自己紹介の時間があって、他のバイトに混じって「志津暁です……」とボソボソ言ったら、「うん、知ってます」と笑顔で言われたくらいだ。

 その後は、思ったより時間が合わなくて全然会えていない。

 前のマネージャーは九時に出勤して六時くらいに帰る感じだったが、カナタさんはとにかく朝型らしく、六時に出勤して開店前にバリバリ仕事をし、三時か四時には帰ってしまうらしい。遅番は他の社員に任せている。

 結果、俺が授業を終えて出勤する頃にはもう居ないのだ。

 再会して早一週間。

 俺は焦っていた。

 しかし、今日こそは話が出来る筈だ。土曜日で、俺もカナタさんも出勤なのである。

 今日しかない。絶対今日謝ろう。

 そうじゃないと、きっとあの優しい人との時間を失ってしまう。


 午後二時十五分前、俺は事務所でタイムカードを切った。更衣室に行く道すがら、黒いマスクを探す。仕事中は殆どずっとマスクを付けているらしい。

「あ、……」

 食堂に彼は居た。

 テーブルにはおにぎりとプリン。備え付けのサーバーで緑地を紙コップに汲み、ふぅと小さく溜息をついて椅子にかける。

 え? あれ昼飯? 少なくないか?

 俺はダッシュで更衣室に駆け込み、一分で着替えをして食堂の扉を開ける。

 同意も求めずに、カナタさんの向かいの席に座った。

 突然目の前の椅子が引かれてビックリしたらしいカナタさんは、目を丸くして、鮭のおにぎりを持っている。

 そこで俺は、何を言うか全然考えて居ないことに気がついた。

「……えっと……」

「お疲れ様。アキラくん、なんか久しぶりだね?」

「あの、この間は本当にすみませ」

「いやーほんと全然会えなかったね!」

 ちょっと強い口調で、被せ気味に話を遮られた。

 えっえっ、とオロオロする俺に、カナタさんはおにぎりを片手で持ったまま、人差し指を口に当てる。

 言外に、「黙れ」と言われていた。

 ぐっと言葉を飲み飲む。宮崎さんが言っていた。カナタさんは俺達の将来に響かない様、年末年始、それこそ駆けずり回ってあの場を収めてくれたらしい。警察沙汰にならず、犯罪にも加担せず、無傷で帰ってこれたのは目の前の人のお陰なのに、立役者であるカナタさんは無かった事にするつもりなのか、お礼もさせてくれない。

「……何も無かったよね?」

 ぼそり、小さな声で言われた。聞いた事のない低い声だった。

「はい……」

 そう言うしかない。顔も見れなくなって俯いた俺の前に、コトッと何かが置かれる。

 プリンだ。どこにでもある、美味しくて安価な焼きプリン。蓋の上には使い捨てのプラスチックのスプーンが乗っている。

「あげる。まだちょっと時間あるでしょ?」

 顔を上げると、カナタさんはおにぎり一つを食べ終えて、お茶を飲み干し、席を立った。

「あの、お昼それで足りるんですか?」

「燃費いいんだ、俺」

 見上げると、そこに居るのはいつもの笑顔のカナタさんだ。顎に下げていた黒いマスクを付けて、軽く伸びをした。

「じゃあ、時間になったら在庫出しから始めて」

「はい」

 それだけ言って、食堂から出て行ってしまった。俺はまばらに休憩する人が居る食堂の隅に取り残され、仕方なくペリっとプリンの蓋を開ける。パートのおばさんが三人で、昨日のドラマの話で盛り上がる声だけがやたら響いていた。

 焼き目にスプーンを入れて、カラメルまで刺し、一息に口に入れると、甘くて少しほろ苦いそれが舌で潰れて、ゆっくり喉を滑っていく。

 カナタさんはアレを無かったことにするつもりだろうか。だったらせめて、何かお礼が出来ないだろうか。

 早くしないといけない。実は、あまり時間が無いのだ。

 現在高校二年生、四月から三年になる。このバイトは二年の終わりで退職し、春休みは二番目の兄の会社でバイトをする約束をしているのだ。

 だから、一緒に働けるのはほんの三ヶ月くらい。

 そして春休みが明けたら、大学受験に向けて頑張らないとならない。とにかく本命か滑り止めかに合格するまで、バイトは禁止と母に言われている。……とは言え、兄の所でこっそり単発のバイトをしようという話ではあるのだが、もうこの店には勤めないだろう。

 中々懐事情が厳しくなるが、多少の小遣いの割増と、塾代だの夏期講習代だの受験費用だのを持ってもらうと思うと、文句は言えない。

「何したらお礼になるかな……」

 ぽつりと呟いた声は、パートのおばさん達の談笑に紛れて誰にも聞かれなかった。

 とにかく、カナタさんと少しずつでも話さないと。

 このまま辞めてしまったら、連絡先を知ってたっていずれフェードアウトしてしまう。仲が良いとは言え大人と子供だ、辞めたバイトの高校生にわざわざ連絡しないだろうし、もっとプライベートな趣味とか、何か共通点が無いといずれにしても会わなくなってしまうだろう。

 

 ……共通点以前に、俺は信頼を損なっている状況だ。とにかく挽回したい。何をしたら取り戻せるだろうか。そして、何をしたら喜んでもらえるだろう。


 俺はプリンを食べ終えて食堂を出た。丁度二時になる所だ。とりあえず、中途半端な仕事をする奴だとは思われたく無かった。


続 

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