【KAC6】トリあえず
達見ゆう
第1話 サイドA〜ユウとリョウタ〜
金曜日の夜。僕ことリョウタと妻のユウさんはある店に来ていた。
「賑やかだね。さすが金曜だ」
「ここは刺し身が新鮮で美味しいところだというから来たかったのだ」
「さて、何食べるかな」
僕と妻がメニューを開いた時だった。
「ト、トリあえず」
ひときわ大きな声がカウンターから響いた。僕たちはそちらへ目を向けた。
「ビールですか?」
「ち、チガウ。トリあえず」
「食べ物の焼き鳥ですか?」
「トリあえず」
カタコトの日本語と噛み合わない注文で、やや困惑した店員さんの声が聞こえる。バックパッカーらしい外国人の観光客っぽい人が身振り手振りで何かを注文しようとしていた。
この店のメニューは手製の紙である。しかもそれは日本語で手書きなので、外国語表記もない。翻訳アプリも持っていないようだ。
「Hi! 『トリアエズナマ?』OK?」
突然妻がバックパッカーに向かって助け舟を出した。確かに雰囲気からしてビールを頼もうしているが、ビールと聞いても否定しているのだ。何を言ったのだろう?
「Oh!ソウデす。『トリアエズナマ』!」
「あ、はい。生中ですね」
なんだかわからないが、ようやくオーダーが通じたようだ。安心してメモを取り始める。
「ユウさん、よくわかったね」
「『トリアエズナマ』はある異世界ものラノベでビールのことを異世界の人がそう呼んでいるのだ。あれはアニメにもなったから、あの人はそれを見て日本で飲みたくなったのだろう。アニメの聖地として来る観光客もいるからな」
「さすが、ユウさん」
「ふふん」
僕が感心していると得意げに解説をする妻。こういうちょっとした人助けもするのだな。
「あとはいいの?」
「エダマメやオーディンは作中にも出てくるからしばらくは困らないと思うが……ええい、呼んでしまえ!」
「え、ちょ、ユウさん」
妻はそのバックパッカーに近づいて声をかけた。そういえば職場結婚とはいえ、元々の出会いは僕の卒業旅行先でバックパッカーをしていたユウさんに声をかけられたことであった。ああいうことに慣れている。
そして三十分後。
「そっかあ、やはりあのアニメかあ。それで雰囲気が似ているここにしたのか。イイね!」
「ハイ、トヨスも行っタけど、ココがヤスいし、アニメのイザカヤにニテいます」
僕たちの席で彼はユウさんと馴染んでいた。パトリックさんというフランスの人で、日本語もアニメや漫画を直に読みたくて勉強中という。だから翻訳アプリはわざと使わなかったとのことだ。
相変わらず妻のコミュ力は高いなあと思いつつ、僕は生のおかわりを頼もうと顔を上げた時、見覚えのある顔をユウさん越しに見つけた。
(お、お前は……! あ、いい、他人のフリするから。そちらも無視してくれ)
コミュ力が低い僕でもアイコンタクトができた相手。それは弟のリョウマだった。
弟は女性を連れていた。きっと相談してきた宮田さんだろう。デートは邪魔しちゃいけないし、こうしてバックパッカーと盛り上がっているユウさんが加わったらカオスになると僕の直感が告げていた。とりあえず他人のふり、他人のふり。
しかし、そんな心配はもろくも崩れさるのであった。
サイドBへ続く。
※セリフの一部や作品、料理名については「異世界居酒屋のぶ」蝉川夏哉 宝島社から引用しています。
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