リング上のパラドックス

鷹太郎

リング上のパラドックス

1


夜の公園を独り駆ける。サイバネティック・ボクサーと言えど、基礎体力は必要だ。マシンの力で拡張できるパンチ力や機動性とは違い、日々のトレーニングがモノを言う。それに、生身での運動も、たまには気持ちがいいものだ。

ジムからも近いこの公園はよく利用している。一週間後に試合を控えた滾る体を抑えられず、少しオーバーワーク気味に外周を走っていた俺の前に、その少女は現れた。


「堂前トオル選手ですよね……。少々お話、よろしいでしょうか」


年は15,6ぐらいだろうか。少女が動くたびに輝きを放つホログラフィック模様の入ったホワイトシャツや、薄く透ける感じのある暗緑色のリネンキュロットからは、どこか浮世離れしたような、不思議な印象を受ける。


「そうだが……こんな夜深くに、君みたいな女の子が歩いていい時間じゃない。駅まで送ってあげるから、お家に帰りなさい」


「心配してくれて、ありがとうございます。でも、どうしても伝えなければいけないことが、あるんです」


「なるほど。君みたいな若い子に、それも女の子に応援されるのは嬉しいが、しかしマナーは……」


「いえ!あの、そうじゃなくて……」


強い口調で遮り、彼女は言う。


「次の試合、未来のために、負けてほしいん……です」



2


「コーラでいいかな?」


「あ、ありがとうございます……」


近くの自販機で買った缶コーラを、ベンチに座る少女に渡す。缶を不思議そうに眺めていつまでも飲まないため、「少し貸して」と缶を受け取り、ブルタブを開けてから返す。


「それで、さっきの言葉の意味を、教えてくれるかな」


「え?あ、はい。それはですね……」


一口コーラを口に含んだ後、少女は意を決したように言う。


「堂前選手……いや、お父さんが次の試合に勝っちゃうと、十四年後の未来に世界がカタルス社のものになっちゃうから!だから、負けてほしいの!」


「……え?いや、なにを……」


「わかってる!お父さんが、負けるのが大っ嫌いだってこと。でも、そんなこと言ってられないの!暗い未来が来ちゃうから!」


「いや、待ってくれ、それ以前に聞きたいことがたくさんある!」


何故か泣きそうな少女をなだめすかし、質問する。


「まず、君はお父さんといったが、それは……」


「そうだよね、信じられないよね。でも、トオルお父さんは、私の、堂前メグのお父さん」


「いや、そうは言われてもな……」


俺には娘いないどころか、結婚もしていない。気になっている女性は居るが。


しかし、少女が嘘を言っている様にも見えない。


「そうだ!お父さん、次の試合で勝ったら、柳生さゆりさんに、プロポーズするつもりでしょう?」


「どうしてそれを!誰にも言っていないのに……」


「だって、そのさゆりさんが、メグのお母さんだもん。そのプロポーズが成功して、お父さんとお母さんは結婚して、その1年後に私が生まれるんだよ」


「いや、そんな、でも……」


確かに、声質はさゆりさんに似ているような気もするが……。


「待て、根本的な話だが、そうなると君は……」


「そうだよ、未来から来たんだよ」


俺は思わず、天を仰いだ。



3


「君が娘だと、未来から来たと認めたわけじゃない。だが話としては面白いし、どうせなら一から説明してくれないか」


「わかった、いいよ!でも、代わりに私のことは、君じゃなくて、メグって名前で呼んで!」


「ああ、わかった。メグ……ちゃん。説明を頼む」


俺は何を、名前を呼ぶ程度で、少女相手に赤くなっているのだろう。


「あ、お父さん可愛い。……えっとね、順に説明すると、来週、サイバネティク・ボクシングの試合があるでしょ?それも、世界チャンピオンと戦う試合が」


「ああ、そうだが」


「その試合で、お父さんは勝つの。そして、お父さんの身体拡張マシンを作っている、カタルス社が一躍有名になる。今でもそれなりだけど、世界レベルの身体拡張マシン企業になるの」


カタルス社……俺がデビューしたてのころからお世話になっている、身体拡張マシン制作会社だ。サイバネティク・ボクサーは、そういった企業と、文字通り一心同体で戦う。彼らの技術力が、そのまま選手の戦闘力として表れるのだ。


技術力こそあるが、いまいち経営がうまくない会社ではあった。それこそ、企業にも入るという優勝賞金があれば、世界トップ企業に化ける可能性はある。


「それだけなら良かったんだけど。だんだんカタルス社は、事業を他の分野にも広げていくの。金融、メディア、医療、教育、インフラから軍事まで、その全てで成功を収める。そして、今から十四年後の未来では、カタルス社が実質的にこの世界を支配するようになるの」


「支配って、そんなに、酷いのか?」


「そりゃ、酷いなんてもんじゃないよ!町中には監視カメラがあって、奴らの意に少しでも反することをすれば、水の一滴すらもらえなくなる。カタルス社は、食糧や水も管理しているからね。それこそ、お父さんの大好きな、サイバネティク・ボクシングも、反抗につながるからって、禁止されたんだよ」


「反抗って、そもそもサイバネティク・ボクシングで財を成したんだろうに……。まて、そうなると、俺とさゆりはどうなったんだ?」


「お父さんとお母さんは……」


何やら、メグは言いづらそうにしている。


「たのむ、メグ。お父さんに教えてくれ」


「うん、二人はね……、私の10歳の誕生日に、私が好きだったアニメキャラのぬいぐるみを買いに行ってくれたんだけど。そのアニメは、実は規制対象だったらしくて。普通、それぐらいなら罰則金で済むんだけど、お父さんはあの頃、会社の方向性とかで、カタルス社を名指しで批判していたチームの一員でね。それで、ちょうどいいからって、その帰りに……!」


メグは、ワンワンと泣き出した。俺には、その背中を優しくなでてやることしかできなかった。


4


「それで過去に戻って、この世界が支配されるきっかけとなった、試合の結果を変えにきたの」


ようやく落ち着きを取り戻したメグは、その目を真っ赤に腫らしながら、そう言う。

なんて健気な姿だろうか。この少女が俺の未来の娘だというのだから、誇らしいような、信じられないような、複雑な感情だ。

しかし、この子を、裏切っていけないということだけは、理解できた。


「そうか……わかった!」


「え、わかったって……?」


「負けるよ、次の試合」


「いいの?だって、お父さん。負けるの大嫌いだよね?」


「いいのもなにも、メグがそういったんだろう。それに、別にこれが最後の試合というわけでもないんだ。また次のチャンスを待つさ。もちろん、別の企業と一緒にな」


そういって、メグの頭をくしゃりと、撫でる。


メグは感動したように震えた後、「お父さん!」といって俺の胸に飛び込んできた。夏の夜だというのに、その体は冷たく冷えていた。


「はは、そう甘えるなって。……そういえば、メグはどうやって、この時代に来たんだ?」


「……え?あ、それはね。お父さんが所属していた、反体制派のチームが作ったもので、サイバネティク・ボクシングの技術を使ったとかで……」


「……サイバネティク・ボクシングの、どの技術が、タイムトラベルに使えるんだ?」


「いや、メグもそんな詳しいことは知らないけど……、ほらそんなことは、どうでもいいじゃん!ご飯食べに行こうよ、メグお腹すいちゃった」


「……よし、わかった。寿司でも食いに行くか!それも、回転しないやつを。もう減量とか、関係ないしな!」


「ホント!やった、メグ嬉しい!」


その夜、俺とメグは二人で幸せな時間を過ごした。その後に起こる悲劇も知らずに。


5


試合が始まる直前、歓声鳴りやまぬ新東京ドームのリング上で俺は、一つ大切なことを思い出した。


「トオルさん!頑張って!」


そう、さゆりさんのことだ。


付き合い始めて二周年のこの日、世界中が見守るこの試合で勝ち、その勢いのままリング上でプロポーズをする予定だった。

しかしもちろん、俺は勝つことはできない。いや正確には、勝ってはいけない。それは世界の未来のためだけでなく、さゆりさんの未来のためでもある。


カァーンと、リングゴングが鳴り響く。


『試合開始の合図だ!』


実況の声がドームに響き渡る。不思議なもので、負けると決まった試合であっても、その音を聞いた体は勝手にファイティングポーズをとっていた。

体の動きに合わせ、腕や腰、太もも周りに装着されたマシン群が、その動きを補助しようと駆動を始める。


『両者リングの中央でグローブを合わせる……おっと、チャンピオン、一度距離をとった!』


視線は相手選手を捉えつつ、また頭を働かせる。

俺とさゆりさんが結婚しないとなると、メグは生まれないのではないか。


将来的には結婚するかもしれない。いや、するつもりだ。しかしメグは、この試合をきっかけに、俺とさゆりさんは結婚して生まれたと言っていた。すると、この試合で勝利しないと、メグは生まれないのではないだろうか。


『いつもならば飛び込む堂前選手も、チャンピオンを前に様子を見ているのか、リング上をまわっている!』



しかしそうなると、メグはこの世界にやってこないこととなる。すると、一週間前の出会いがなくなり、俺はこの試合に勝利し、メグが生まれる。


ぐるぐると結果と過程が入れ違いになるこの状態を、昔に読んだ小説では、確かタイムパラドックスと……。


『おっと、しびれを切らしたかチャンピオン!ここで一気に踏み込んだ!』


鍛え上げられた肉体と、マシンによって強化された脚力によって神速のごとく飛び込んできたチャンピオンは、左フックを俺の顔に向けて放った。


中途半端に反応したのがいけなかった。まだ温まりきっていない俺の体は、反射的にのけぞり、回避することを選んだ。しかしファイタースタイルに設計された俺のマシンはそれを許さず、上半身はわずかに後ろに傾き、ちょうどチャンピオンの破壊的な拳は俺の顎を打ち据えて視界を闇に染めていった。


6


「堂前選手!」


声を掛けられ意識を取り戻す。


どうやらタンカで運ばれているようだ。そうか、俺は負けたのか。


しかし、これでいいのだ。さすがにあっけなく負けすぎた気もするが、これで、未来の世界は守られる。しかし、メグは……。


「堂前選手ってば!」


俺を呼んでいるのは、さゆりさんだろうか。彼女には、しっかりと事情を説明し、謝らなければいけないな。


そう思い目を開くと、そこにはメグがいた。


「メグ?どう……して……」


メグはにやりと笑ったあと、俺の耳元に口を寄せて言う。


「お疲れ様、お馬鹿さん。さすがに早く負けすぎて、笑ったけどね」


そう言っていひとしきり笑い、タンカから体を離す。


「あのことは誰にも言わないでね。あんな話、誰も信じないと思うけど……あ、ここに居たね。じゃ、さゆりさんと仲良くねー」


そう言ってメグは、チャンピオン側の控室へと消えていった。

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