第十四話「ネムと遊ぶ」

 約束の十分前に着くように電車に乗ったが、目的地に近づいたところで


――今着いたよ――


 という連絡が入った。待つつもりでいた琴音は意外な気持ちとともに、少々の焦りを覚えた。すると、ここ数日ずっと心にあって膨らんだり萎んだりを繰り返している高揚感が一段と膨張して、胸が一杯になり、興奮した。


 ネムはどんな人なんだろう。これまでたくさん話はしてきたが、全て文字の上でのやりとりだった。不思議な気持ちであった。顔を見たことさえないくらい身体的距離は遠いのに、心の中だけ先に繋がったような感覚だった。


 待ち合わせ場所の改札口に近づいて、スマートフォンにその旨を打ち込みながら辺りを見回すと、ネムらしい人物を見つけた。あちらも回りに目をやっているのもあるし、何より不思議なことに、くっきり彼女の姿が目に飛び込んできたのだ。他の人たちとはなんだか色が違っているように見えた。回りはみんな同じ影を帯びた灰色で、ネムだけは光を纏っているような気がした。


 向こうもこちらに気がついたようだった。


「ことねちゃん!?」


「ネムちゃん!」


 やはり目に入った彼女がネムであった。


「わー! ありがとう来てくれて! 初めまして、かな?」


「初めまして、植田琴音です」


「ネムですー、本名はモトミヤカスミって言いますー。でもネムって呼んでね、あは」


「名字、モトミヤなんだ」


「そう。本当の本にお宮の宮で本宮」


「いい名前だね」


「そうかな。でも私はネムだから」


「だよね」


「どうする? 予定通り、カラオケ行く?」


 琴音はネムを横から軽く観察した。ネムはひどく痩せた美少女だった。マスタード色の膨らみがちなカーディガンを羽織り、青いワンピースとベージュのハイソックスを身につけ、髪を片方だけ一房結っている。可愛い系の格好が整った顔によく似合っている。カーディガンで首の右側の白い絆創膏と手首の包帯を隠している。あれらは自傷行為の痕なのだろう。


「私はカラオケでいいよ」


「じゃあ行こっか。ここの駅から歩いて一分だって書いてあったけど、場所分かる?」


「ここのカラオケ行ったことないんだ」


「初?」 


「初」


「じゃあ、マップで調べながら行こう」


 ネムはスマートフォンで行き先を入力し、自動案内を開始した。


 二人はお互いの住む場所の中間地点で会っていた。その駅前の街に、琴音は数回だけ行ったことがあった。ネムは初めて来たらしい。一応来たことのある自分が頼りにならなくて、失望されたらどうしようかと心細く思った。最初の挨拶も自分の言うことはおかしくなかったか、非常識じゃなかったか、ネムの隣を歩き始めながら、いくつも思いが去来する。


「体調、大丈夫?」


 琴音はネムに話しかけた。ネムは数日前に体調が悪いと言って内科を受診していた。


「今日は元気だよ。私現金だから、いいことあれば体調よくなるし、嫌なことがあったら具合悪くなるの。仮病じゃないよ。ホントにそうなっちゃう」


「分かるわ。私も嫌なことあると身体おかしくなってくる」


「嫌なことセンサーがあるよね、身体に。すぐ察知する」


「具合悪くなるかどうかで、判断してる感じ?」


「もはやそう。嫌だから具合悪くなるけど、逆に具合悪いから、ああこれ嫌なんだなって分かる」


「私もそうかも」


「やっぱ、似てるね」


「似てるの嬉しい」


「私も超嬉しい。あ、ここのビルだね」


 話している間に到着したようだった。



 店員に会員証の呈示を求められて、琴音は財布の中から、かつて豊子と後輩とともに行っていた頃の会員証を取り出した。奇しくも同じチェーン店だった。琴音は自然と嫌なことを思い出した。


 会員証は有効期限が切れていたので、学生証を取り出して、更新した。


「ごめんね時間掛かって」


「そんな、気にしないで大丈夫だよ」


「私のせいで遅くなっちゃって」


「琴音のせいじゃないじゃん、そんな」


 琴音が書き終わった途端、ネムは琴音の肩に触れて、軽く揺するような仕草をとりながら


「気い遣わなくていいんだよー。軽く、軽く、ね」 


 と笑って言った。琴音は気恥ずかしくて頬を染めた。



 二人で順番に曲を入れて、歌った。琴音は中学時代はカラオケに行く度、豊子と後輩に、歌うのを妨害されたり予約を消されたりして楽しいと思ったことがなかったが、ネムは当然そんなことをしないので、琴音はごく久しぶりにゆっくりと歌うことができた。


 ネムの歌う曲は知らないものばかりだった。琴音が売れ筋を割とえり好みせず歌うのに対して、ネムが歌うのは売れていないアーティストの曲ばかりだった。しかし歌い慣れた様子で迷いなく歌い、歌詞もみんな覚えているらしい。アーティストと曲が、本当に好きなんだろうなと琴音は感じた。


 琴音には、以前は好きな女性アーティストがいたが、豊子に掲示板のアンチが集うスレッドでそのアーティストの悪口が書かれているのを見せられて以来、好きな気持ちがなくなってしまった。


 今は特にどのアーティストも好きとは感じず、ただ人と話を合わせられる程度に売れている曲を聞く。歌詞を見ながらであれば歌うことができるくらいにはそれぞれ聞いていた。


 私の好きなものってなんだろう、と琴音は考えた。本当に好きだと言えるものは、私にあるだろうか。


 そうしている間に時間は過ぎた。二人とも歌い疲れてしまったので、延長はしなかった。



 カラオケの店舗から外へ出ながら、ネムと話した。


「これから、どうする?」


「そうだね、どうしようか」 


 琴音は、以前なら、軽く何か食べるためにファミレスにでも入っただろうと考えた。しかし琴音とネムは、何も食べたくない。どうしたらよいか、考えてみた。


「さっきここに来る途中、ゲーセンあったよね。行ってみる?」


 とネムが言うので、琴音はすぐに同意した。



 薄暗い店内には大音量で数々のゲーム機が発する音が鳴り響いている。子どもや学生が溢れている。見渡す限り、派手なゲーム機が所狭しと並んでいて、光が目に眩しい。


「ネムって、こういうの、得意?」


「全然得意じゃない。めっちゃ不器用。でも好きだよ」


「どれやる?」


「あのぬいぐるみのやつやらない? ほら、あそこにあるやつ。空いてるし」


 ネムは、有名なキャラクターをテーマにしたクレーンゲームを指した。


 二人はそのゲームをプレイしてみた。不思議なことに、どちらがやってみても、毎回、もう少しで手に入りそうな感覚があった。次こそ次こそといって、小銭をつぎ込んだ。


 あるときネムが、絶好の位置にぬいぐるみを動かした。


「これ次取れるんじゃない?」


「琴音、いっけー!」


 琴音は緊張して操作した。失敗した、と思った。だがぬいぐるみはうまいこと動いて、景品を取ることができた。


「取れたー!」


「すごい! 琴音すごい!」


「ネムがいい位置にやってくれたおかげだよ」


「二人で、取れたかな!」


「そうだよ!」


「やったー! こういうの、誰とやっても取れたことない! 超嬉しい!」


 二人は興奮して、喜びで一杯になり、陶酔を味わった。 


 最後に一緒にプリクラを撮った。琴音はお土産を二つも持ち帰れることを思い、満足した。



 互いの乗る電車が来るまで時間があるので、琴音とネムは駅のベンチに座った。


 ネムはバッグから何かを取り出した。


「今日は、いいことあったから、飲むことにするよ」


 取り出されたのは栄養ゼリーだった。


「楽しいことあったから、本当は嫌なんだけど、治療もちゃんとしないと、ね」


 そう言って、ネムはゼリーを吸って食べ、錠剤を取り出して、ミネラルウォーターで飲んだ。


 ああ、この子はちゃんと前向きに治そうとする気持ちがあるんだ。琴音は急に孤独を覚えた。このまま消しゴムみたいにすり減って消えていきたい私と、ネムは違う。


 やや落胆した琴音に、ネムは挨拶してくれた。


「今日はありがとう。最高の一日だった。久しぶりに元気になれたよ」


「私も同じ気持ち。会えてうれしかったし楽しかった。最高だった」


「そう言ってもらえて嬉しい。また遊ぼうね、約束だよ」


「こちらこそ。また遊ぼうね」



 琴音が連絡アプリの自分のアイコンをクレーンゲームで取ったぬいぐるみにしたら、ネムはとても喜んでくれた。琴音はぬいぐるみを本棚の一角に飾った。

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