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  • 後編への応援コメント

    あ~。色々と、わかる~とか思いながら読んじゃいました。
    診断ついてた方が周りに配慮は求めやすいし、周りも配慮しやすいけど、
    グレーは(グレーに限らないけど)「普通」に並ぶためにめちゃ頑張るから生きてるだけで疲れるし、周りには「出来るのにやらない」「出来るけど能力が伸びない」と思われて苛つかれるし。(「そもそも出来ない」ことをやれと言われる)
    障害者が頑張ってる姿に感動とか、何かが欠けている代わりに何かに長けているとか、全員がそうであるわけじゃないし、そうであることを求められるのも困るし。
    診断ついてたとしても免罪符にはならないし、そもそも配慮されなきゃやっていけない自分が嫌になるとか、周りに申し訳ないとか、感じる人は感じるし。
    周りも自分に余裕ある時は良いかもだけど、負担に感じる時は感じるし、会社って稼ぐとこだから勝手に優秀でいてくれる人材の方がコストかからなくて都合良いし、ダメだ挙げ出したら切りないな!!
    障害は個性とか、なんかキラキラした言い方するの、悪いことじゃないけどキラキラで苦しいところを塗り潰すのは嫌だなぁと常々思ってます。なんなら「綺麗事言ってんじゃねーよクソが!」と思ってます。
    雪さんの文章で、こういうお話を読めてよかったです~
    長々と失礼しました。

    作者からの返信

    きみどり様
    コメントありがとうございます。

    生きづらさに現状解決方法はない、という葛藤を書きましたので、共感を得られて良かったです。
    綺麗事は具体策とセットでなければ意味がないのですが、システム的にはそれが障害者雇用などにあたるのだと思います。
    これは障害者を受け入れることで配慮を「義務化」しており、代わりに会社は補助金を受け取ったり社会貢献をアピールしたりのメリットを受けるわけです。
    ところが障害者にはっきり該当しない場合はこのシステムが利用できません。
    手帳があっても、一般雇用の待遇が良いと隠して就労する人もいます。
    その場合、会社は当然普通に働ける人間を雇ったつもりで、その分の給料を支払っているんですから成果を出してもらわないと困ります。そういうシステムだからです。
    大人の発達障害、特に女性の場合はそれまでの経験から擬態が上手いことも多く、面接時は良かったのに仕事しだすと「なんかおかしくない?」ってことにもなりがちです。
    これは悪く言えば相手を騙しているので、最後まで騙し切る覚悟を持って食らいつくしかないと思います。
    無償のボランティアを美談にしてはいけません。

    綺麗事は理想に掲げて行動するなら素敵なことだと思いますが、多くはそれを口にしていればとりあえず自分が善い人間に見えるという防御策です。
    考え続けること、言葉にすること、意見を出すこと、行動すること。
    余裕のある人は、できる範囲で構わないからそれを実行する。
    そして余裕のない人にそれを押し付けることはしないで欲しいと思います。

  • 後編への応援コメント

    色々な考え、色々な立場の人がいますよね。とても刺さる話でした!

    作者からの返信

    タカナシ トーヤ様
    コメント、レビューまでありがとうございます。
    双方の立場から見た時に物事がどう映るか、考えるきっかけになれば幸いです。

  • 後編への応援コメント

    確かに、最後で「イイハナシカモ?」感が。

    実際はキツいでしょうね。営利企業の中だと……本人も先輩も、課長も。同僚もだろうなぁ。自分が「普通」と思ってる人も、そう思えない人も。皆、仕事して食べてるし。

    んむー。

    作者からの返信

    hikageneko様
    コメントありがとうございます。

    槙田先輩の存在をどう捉えるかで「イイハナシ」かどうかが変わりますね。

    笹原課長の言い分は理に適っていると思います。現代の価値観に合わせた配慮が行われている一方で、線引きがかっちりしており、温度がありません。
    槙田先輩は指導者に向きません、SNSに発言を投稿されたら燃えるのはこちらです。しかし相手のプライベートにまで踏み込み一人の人間を丸ごと抱え込む気概があります。
    どちらが良い悪いではありません。相性です。その相性や能力のバランスを見極めるのが管理職の役割かと思います。本来凹凸は誰にでもあるものです。

    ただ「管理のプロ」がいる企業がどれだけあるか……。

  • 後編への応援コメント

    生きづらい世の中になってきたと思います。
    通信が発達して莫大な情報を得られるようになり、様々な事柄への理解が広まり、深まっていくはずが、それよりも早く相手を慮る心が消えていっているような、そんな感覚。
    人と人とのやり取りが、人が発する声である言葉から、人が打ち込む記号である文字へ変化していったのがそれに拍車をかけているような……
    そう言いながらも、槙田さんとかの立場であれば、自分も苛ついてしまうんだろうなぁ……。ここまで上長が色々と分かっているなら、その上長の業務マネジメントや周囲の理解が重要かと思います。
    重い内容だとは思いますが、世に訴えかける作品。認識や理解が深まるきっかけになりますように……

    作者からの返信

    下東様
    コメントありがとうございます。

    「生きやすさ」という観点から見れば、昔と比べて随分と生きやすくなったとは思います。
    差別やハラスメントが可視化されたこと、技術が向上したこと、様々な「理解」が広まったこと。
    理解を求めるために声を上げることは重要です。しかしその先、「配慮」を求めることは「特別扱い」です。

    「配慮」が行き過ぎていると感じることがあります。
    名前のついたあらゆる症状は、免罪符ではないので。
    「できない」人がいると、確実に割を食うのは「できる」人です。
    待遇や給与にきちんと反映されているならいいのですが、日本企業だと難しい印象です。その状態で負担が偏れば怒るのは当然で、周囲が鬱になることもあります。

    最適解は私にもわかりませんが、生きづらい人に配慮するために、周囲が生きづらくなることはあってはならないと考えます。

    長いのでなるべく要点纏めようと努力はしましたが、伝わりにくかったらすみません。