0429「静かな生活」
大江健三郎の作品。私小説的な雰囲気は今回はなく、大江の娘という視点から、話が構成されているように思う。この構成はおそらく、静かな生活、というシリーズにおいて、一貫して保たれているのではないかと思う。(案内人という作品においても、それは継続されていた。)
大江自身は、生涯のテーマとして、長男のことについて考えることを掲げていた、と私は記憶しているのだが。
そのような想いがあるのであれば、それを様々な視点から考えてみたいと思うのは自然な流れなのではないかとも感じたが。かなりこれはディープな内面を掘り下げるような、家族的なことでもあれば、この作品は決して一人の気持ちのために書いていいという類のようなものではない気もする。
つまり、これはかなりセンシティブなところまで触れて、要するに書くことで何かを探求しているという、挑戦的で斬新で、新しい書き物だということだ。読んでいる途中で、これは実際に大江の娘が書いているのかもしれないというような、リアリティがあったし、本当に異なる視点が実際に考慮されているかのような、効能が感じられた。
以降は、「静かな生活」にて具体的な部分に触れながら、少しのことを書いていきたいと思う。まったく、こういった文章というものは書き慣れていないので、これをどうやって今後の創作に結びつけていこうかといった思いではあるが。頑張って書いていきたい所存。
≪新聞の知恵遅れ青年の性的「爆発」≫
≪もう「キン」が伸びることはなくなったのではないだろうか?(中略)ともかくも悪いことじゃないよ、安心できるさ、結局は、といったので私は反撥した。≫
少しだけ該当箇所を探し出すのが面倒くさくなったので、ここまでにしておくが。この小説において、たびたび示される娘のやるせない、怒り。秘めた怒り。それについて、この二つの引用は、その怒りの対象になっているのだが。それは極めて家族的な視点、特に兄より下の歳に位置する娘という立場からの、イーヨーに対する理解を示唆するものとなっているように思う。その意味で、大江がもし様々な視点でそのような長男に対することを考えたいと思っていたのであれば、それは成功しているのかもしれない。そして、そのどこまでも家族的な雰囲気というものが読者にも伝わっていると、私は思う。
娘と親との絶妙な距離感というもの、精神的な距離というもの、その雰囲気も作品の文章の節々から感じられてよかった、リアリティがあったように思う。なおさら、そのような特別な家庭事情をもったグループの雰囲気を表現しえていると思う。
娘は様々な≪懊悩≫について、悩まされている。それが兄に関することであることがほとんであるような内容ではあるが、兄に対する思いのなかにある懊悩から派生した、自分に対する懊悩というものに対しての描写もある。それは≪「狂信者」の心の内側が、あの茶色の点の眼から、父の娘である私に示されていた≫というところから総合的に理解できる。これをもとにして具体的な恐怖や可能性についての考えが巡らされている。
懊悩について、それはあらゆる人においての、心を悩まし続ける要素であることは絶対であるように思う。その懊悩に対して、≪懊悩のしるし≫という表現があるのがおもしろい。それが、苦闘のすえ、心のなかに少しもないのだという。 時間の経過とともに、その懊悩というものも、輪郭がぼやけていき、また新たな懊悩はあるけれども、かつてのものよりかは気にならないことがほとんどではないだろうか、というような示唆も含まれているのではないか、と読むこともできると思う。
懊悩に対して、その懊悩の対象が自分ではなく、多くはイーヨーに向けられていることが表現からも、娘の境遇からも、状況からも、よく感じとれる小説だとは思う。そして、大江はこれを書くことで、何を考えていたのだろうかとも思う。
これを書いたものを、娘が読んだら実際にどう感じるのか。これがとても大切であるようにも思う。(というか、大江には娘がいたのだろうか。もしいないのであるとしたら、それはいないという上で、なにかの意味があらなけらばならないとも思う。)
静かな生活の、なかにある、懊悩の、複雑な交錯というか、リアルというか。
それを感じた、読書体験だった。
まだまだいっぱい書くことはありそうなんだけど、今回はここまで。また再読することが近々あるだろうから、そのときに、また書き足すという形で。
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